「ゆめのなか」

                          BY 月香

-4-



「お待たせしました!お連れしましたよ!」
 清継がボクを案内してくれた部屋は、何も無い広い和室だった。そこには男が一人、こちらを向いてきちんと正座をしている。
 顔を上げたその人物には、見覚えがあった。
 そう、嫌というほどに。
 色素の薄い髪の色に、きつい赤い瞳。着流し姿。はだけた胸元から見える、黒い紐状の紋様。
 翼こそなかったが、ボクの夢に毎晩現れているその人そのものだ。ボクは目の前のその人物が、夢のなかの『ぜん』だと、ごく自然にそう確信していた。
 そしてボクは同時に、裸で迫られた夢の詳細まで思い出してしまった。
「う、わ……」
 きっと自分は今、真っ赤な顔をしているに違いない。男の裸を思い出して赤面するなんて、自分でも信じられない。
 まずい、と思ったボクは両手で頬を押さえて自分の顔を隠そうとした。
 彼はすくっと立ち上がり、立ち尽くすボクへと近寄ってきた。ボクの頭の中で、どんな映像が再生されているか知らずに。
「リクオ!」
「あ、はい」
 突然、自分の名を呼び捨てにされたが、ボクは反射的に返事をしてしまった。
「リクオ……」
 さらに、いきなりぎゅっと抱きしめられて、ボクは軽くパニックに陥る。
 誰かに両腕で抱きしめられるなんて、そうそう無い経験だと思う。ボクだって──病院で目を覚ました時に、両親に抱きしめられたくらいだ。
「え、あの……その……」
 じっとボクの顔を覗き込む彼の顔は真剣そのものだった。やっぱり整った顔をしていたんだな、と率直な感想を抱いた。
 そんなボクに、彼は眉をしかめて睨みつけてきた。身長差の所為で上から見下ろされる形になる。
 これって、いわゆるメンチ切りってやつでは……。思わず肩を震わせて身を引いたボクを、彼は更にぎゅっと自分に押しつけるようにした。
「やっぱり……」
「え?」
 彼は、一瞬にして表情を変えた。目をぱっと開いて、頬を上気させて満面の笑みを浮かべた。
 この表情、どこかで見たことがある。
 夢の中の彼は、いつも苦しそうにしていた筈なのに。 
「やっぱり、リクオだ!間違い無い!やったぞ、清継!」
「お分かりになりますか?」
「もちろんだ!」
「お役に立てて、光栄です!」
「えと、ボクは『陸夫』、ですけど……それが何か?」
 名前に間違いは無いが、……何故この人達はこんなに喜んでいるのだろう。戸惑うボクを置いてけぼりにして、盛り上がっているようだ。
「これで、目を覚ましてくれる」
 彼のそんな一言で、ボクは思い出した。
 そうだ、彼はボクの夢で、ずっと誰かに『目を覚ましてくれ』と訴えかけていた。
 誰か、に。
 けれど、ボクはこうして起きていて。──それは、ボクではない、誰かなのか?
 ぼんやりとしていたボクの腕を、彼がぐいと掴んだ。
「こっちだ!」
「……え?」
 ボクは腕を引かれて、奥の部屋へと連れていかれた。
 隣の畳の部屋でに──布団が敷かれていて、男性が一人横たわっていた。
 目を閉じていて、ぴくりとも動かない。息さえもしているかどうか分からないほどだった。
 着ているのはやっぱり着物だ。和風の装いをした男の長い髪は銀色で、布団からはみ出る程に長い。若く、整った容貌はまるで陶器で出来た人形のようだ。そのミスマッチな光景にボクは足が震えた。
「──リクオ」
 彼の声が、低く、ボクの耳の奥に響く。 
「は、はい?」
「おかえり」
「え?」
 ボクは『ぜん』に、どん、と背中を強く押された。



○○○



「リクオ!ようやく目を覚ましたな!」
「……ぜん……」
 リクオの金茶色の瞳がオレをとらえて、すっと細められた。久しぶりに目を開けたので、部屋の明かりが眩しかったのかもしれない。
 動いているリクオを見るのは久しぶりだ。
 嬉し過ぎて胸が熱くなる。うっかり吐血しそうになり、オレは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
 リクオはオレの名前を呼んだ。ということはオレのことは、ちゃんと認識しているようだ。念のため自己認識があるかも確認する。
「自分の名前、分かるか?」
「……ぬら……りくお……」
「良かった。お前、一ヶ月も寝たままだったんだぜ!」
 リクオは片手をついて布団から起き上がった。オレはその背に手をあてて、起き上がるのを助けてやった。暖かな体温が布を通して伝わってくる。半妖のリクオは、普通の妖怪よりも少し体温が高いのだ。
 ぼんやりとしているリクオの、顔にかかる銀髪を後ろにさっと払い、整える。
「ううん、もうそんなになるか……」
 その物言いは、リクオには意識を失っていた自覚があるということだ。
「指は動くか?足は?」
 毎日、オレがリクオの手足をもんだり、曲げたりして動かしてやっていたが、自分で動かすとはまた勝手が違う。リクオは、じっと手を見つめ、握ったり開いたりして確認していた。
「……ああ。大丈夫だ」
 顔を上げて、オレを真っ直ぐに見たリクオの瞳には生気が宿っており、オレは思わず抱きついてしまった。
「リクオ……良かった……!」
 嬉しくて声が震えそうになるのを耐えているオレの背を、リクオがぽんぽんと軽く叩いた。 
「──清継」
 リクオが呼んだのは、人間の友人の名だった。
「は、はい!」
 そうだ、リクオの友人がまだここに居たのを忘れていた。いくらリクオが久々に目を覚ましたからと言って、醜態をさらすのは不味いと、オレはばっとリクオから離れた。
 リクオは布団に腰を下ろしたままで、口の端を上げて笑った。
「世話、かけたみたいだな」
 どうやらリクオは、自分の身に起きていた出来事と、今に至るまでの経緯を大体理解しているようだ。
「と、とんでもないです!ボクに出来ることをしただけで、──元々の案は、鴉天狗さんが……」
 清継が頬を染めて、片手に持った機械をいじりながら、リクオの方をチラチラと見ている。
「……あの……?リクオ様は、目を覚まされたんですか……?」 
 控えめな声が後ろの方から聞こえて、オレは振り返った。
 少し開いた襖の間から、本家の妖怪らが何人もこちらを伺っていた。
「おう!心配かけたな、皆」
 リクオが布団から身を起こして動き、声を発している姿を見た妖怪達が、感極まったのか我先にとどっと部屋に押し寄せた。
「り、リクオさま~!」
「良かった!本当に良かった!」
 数えきれない数の妖怪が、布団の回りに群がり、リクオにのしかからんばかりの勢いだ。
「おい!あんまり詰め寄んなよ!リクオが潰れちまうぜ」
 一応忠告はしたが、オレの言葉なんか耳に入っていないようなヤツらばっかりだ。まあ仕方ない。ヘタすれば、リクオはずっと目を覚まさない可能性もあったのだから。
 そして、さっきまでリクオが横たわっていた布団のすぐ脇には、清継が連れてきた人間の少年が倒れていた。意識は、無い。
「──どうしましょう?この人間」
「気絶しているだけだ。今のうちに、家まで送り届けておこう。夢だと思うだろ」
 首無に指示をして、少年を別室に運ばせる。
 リクオの依代だった者だ。




 ──リクオは、一ヶ月前から意識を失ったままだった。
 晴明との戦いが終わり、怪我を治したリクオはまた、百鬼夜行の主として多くの妖怪らを率いた。
 最大の敵を倒したとはいえ、その残党はまだ闇の中をうごめいており、ことあるごとに奴良組に諍いをしかけてきた。
 リクオが最後に相対した敵は妖怪の魂を食らう性質があり、リクオがとどめを刺したものの、敵は最後の悪あがきで、リクオの魂に牙を立てたのだ。
 敵は消滅し、喰われた他の仲間の魂が帰って来たのに、──リクオの魂だけは戻ってこなかった。
 今まで魂を食われたまま朝を迎えてしまった妖怪らは、その実態を失って塵になって消えていったけれど、幸いリクオは朝が来ても消えはしなかった。
 不思議なことに、夜の、妖怪の姿のままで眠り続けていたのだ。
 リクオの魂は完全に消えたわけではないと、オレは薬師として治療のために奔走した。オレだけではなく、古い知識にも精通している牛鬼や土地神らも、総動員で協力をした。
 妖怪の姿が保たれているということは、足りないものは人間としてのリクオなのだ。リクオは4分の1は妖怪、そして残り4分の3は人間だった。
 可能性を検討した結果、魂の半分以上を無くしてしまったリクオは、こうして眠り続けたまま、妖怪としての姿を保つことが精一杯なのだろうと結論づけるに至った。
 朝日の中、横たわっているリクオは綺麗だった。常ならば見ることの無い光景だ。床に落ちてうねる銀色の髪が、きらきらと光っていた。
 祖父である初代は緊急事態だと花開院に連絡をとった。昔から、失せ物探しは陰陽師が得意とするところだ。
 今回の失せ物は、リクオの魂だ。
 陰陽師に助けを求めることを多くの幹部連中は嫌がったが、初代が決めたことだと皆、黙って従った。
 オレだって、怪我や病気ならば自分がなんとかしたかったが、今回の出来事はそんな次元のものではない。
 初代は、リクオの友人でもあり当代の花開院頭首の名を継いだ、花開院ゆらと連絡をとった。しかし、ゆらに会うた
めではない。その陰陽師娘が呼び出すことができる、『十三代目秀元』に助言を求めるためだった。
 現代に甦らせられた稀代の陰陽師秀元は、終始へらへらと笑っていて、オレ達の神経を逆撫でしていった。
 実際に占術を施したのは、リクオの同級生だったが、秀元は──人間の魂は近しい人間の元にある、と言った。そして場所は、東京都内。
 漠然とした占いだったが、初代はそれを信じた。
 すぐに、奴良組構成員が総動員して、三代目総大将の行方を追うことになった。
 近しい人間とはどういう意味か。
 普通に言葉の意味をとらえれば、血縁の者。または、リクオの友人達がそれに当たるのだろう。
 体という器を失った魂は、新たな器を探す筈だ。
 ──しかし友人らの側には、リクオの魂は無かった。
 ということは、奴良組に関係の無い人間の側にあるということなのか。
 東京には多くの人間がいるという。その中から、ただ一人の魂を拾い上げることがどんなに困難なことなのか、オレは想像するだけで目眩がした。
 皆で知恵を寄せあって、あらゆる可能性を考えた。
 一つの体に魂が二つ入っているということは、精神的に何か違和感を持っているかもしれないと、オレは人間界の精神科の医者にも探り入れさせた。もしかしたら、そんな症例の者の中にリクオが紛れ込んでいるかもしれないからだ。
 薬鴆堂は仲介者を通して人間の病院にも薬を卸していたので、そのつてで情報を集めさせた。
 蛙番頭が、精神科だけでなく他の病院も調べようと言ったので、全面的に任せた。
 主に捜索の対象になったのは、リクオと同じ年齢の中学二年生だった。
 が、実際にリクオの依代を探し当ててみれば、清継の話ではその少年は中学一年生。依代は、長く病院に入院していた所為で、一学年遅れていたのだと言う。
 そんな事態を想定していかなかったため、探し当てるのに時間がかかってしまったのだ。
 今回のリクオ捜索に一番効力を発揮したのは、人間界の技術だった。
 鴉天狗は、あらゆる手段を講じるべきだと言い、オレには理解出来ない言葉を並べて、『いんたーねっと』なるものも使って捜索の範囲を広げようと言った。
 人間の生活に詳しい鴉天狗が、もしかして今時の人間ならば、この方法で引っかかるのではないかと提案したのだ。
オレもそうだが、人間世界の『ネット』とやらの依存性の強さを知らない妖怪たちは半信半疑だったが、結局それが一番の近道だったのかもしれない。
 それに関しては、リクオの友人である清継の協力が大きい。
 鴉天狗が説明してくれたことには、清継の『妖怪脳』に寄せられる不思議な話や怪異の報告は多く、その中から気になる事柄を選んで調べて行こうといったのだ。
 しかし、実際に役にたったのは、清継が趣味で情報を載せていた『妖怪大図鑑』の方だった。
 リクオがぬらりひょんの孫だと知り、奴良本家に出入りして本物の妖怪らと親交を深めるに至った清継は、知り合った妖怪の特徴やデータを、勝手に自分の『妖怪脳』に載せていた。
 得体の知れない存在が妖怪というものなのに、そんなに詳細な情報を万人が見られる場所に置いておくのはどうかとオレはリクオに忠告したが、リクオは、そんなものを誰も本物だとは思わないだろうからと、清継の好きにさせていた。
 だが、リクオの依代はそれを頼りに、夢に現れる『鴆』を探しあて、清継に連絡をとったのだという。
 
 


 眠ったままの妖怪のリクオと、どこかへはじき出されてしまった人間のリクオは必ず深層意識で繋がっている。
 だから、リクオに向かって何か働きかけをしたらどうだと、秀元はそう提案して京都へ帰っていった。まあ実際帰ったのは、花開院ゆらの方なのだが。
 もっと詳しく教えろと詰め寄る妖怪らに、秀元は両手を挙げてこれ以上は分からないと言う。
 けれど、苛々しているオレを側に呼びつけると、にやにやと笑いながら、リクオの恋人であるオレが呼びかければ、相手とも何らかの接点が生まれるだろうと言い残したのだった。
 わずかな可能性があるのであれば、何でもやってやろうと意気込んでいたオレは、秀元や、周りの妖怪が勧めるままに、リクオの欠けた魂を呼び戻すためにあらゆる手段を取ることを誓った。 
 その結果、奴良組にやってきたのが、この依代の少年だった。
 事故で長い間意識が無かかったため、リクオの魂が入り込む余地があり、偶然にも、同い年で名前も同じ『リクオ』だった。
 弾かれたリクオの人間の魂は、そんな、『近しい者』に身を寄せたのだった。




 とりあえず、リクオの体に問題が無いか診察をしようと、オレはリクオに群がる本家の妖怪を追い出した。
「後で呼んでやるから、一旦てめえら外に出ろ!」
 主治医であるオレの言葉に、妖怪らはしぶしぶと応じた。が、猩影だけは部屋を出て行かない。
「お前、何で居るんだよ」
「え?兄弟分じゃないっスか」
 たしかに、猩影はオレやリクオと年が近く、数少ない幹部格の妖怪の中では親しく付き合っている。
「まあいいけどよ」
 リクオが、猩影に出て行けとも言わないので、オレは放っておくことにした。
「……リクオ、大丈夫か?どっか、変なとこは無いか?」 
 オレがそう言いながら、リクオの頭を撫でさすり、首筋から肩、背中へと手を這わせる。口を無理矢理開けて、舌や喉の粘膜に異常が無いか確認する。
「ひゃあ、ふぇいひひゃ(ああ、平気だ)」
「そうか、良かった!」
 なにせリクオは一ヶ月も眠っていたのだ。体のどこかに、異変が起きていてもおかしくない。オレはリクオの襦袢をはだけて、じっくりと検分する。
 ずっと寝ていた割には筋肉も落ちておらず、オレは変わらないリクオの美しい体に満足した。
 リクオは、オレの手をくすぐったそうに目を細める。
 帯をほどいて下半身の方も確認しようとしたオレの手を、リクオが掴んだ。
「どうした?どっか痛いとことかあったか?」
「あ……いや大丈夫だ。その続きは、後でいい」
「そうか?」
 こういうのは早いほうが良いのだけれど、と薬師の意見を述べると、リクオは首を傾げて妙な表情をした。
「それにしても……お前、裸で何やってんだ?」
「え?」
「夢で、見たんだよ」
 オレはリクオの問いかけを聞き、──血の気が引く思いだった。
 裸で、と言われれば思い当たることはアレしかない。
 やはり、眠るリクオと依代の間には、無意識下で繋がりがあったのだ。
 つまりオレがリクオの側で今まで何をやっていたのか、ということも全て伝わっていたのか?
 血の気が引いて青くなったオレだったが、途端に激しい羞恥心が沸き上がり、顔が熱くなる。きっと、今オレは赤い顔をしている筈だ。
「え?……あ、その……いや……だって、な」
 オレが何と答えようかと、どもりながら視線を彷徨わせていると、後ろから猩影が余計なことをバラしたのだった。
「鴆様が色っぽい姿で迫れば、三代目が我慢出来なくて目を覚ますんじゃないかって。まぁ、面白そうだったんでそう言ったんですけど。……本当にやったんですね、へぇー」
「な、冗談だったのかよ!」
 そう提案したのは猩影だった。ちょっと待て。オレは、リクオが目を覚ますわずかな可能性があれば、何でも実行してきた。オレはいつでも本気だった。なのに猩影は、冗談でそんなことをオレにやってみろと言ったのか?
 オレは、ふるふると震え、その時の自分を思い出して目の前が真っ暗になる。まずい、倒れそうだ。
「いやいや、半分はマジっす」
 ではやはり、半分は冗談だったということではないか。猩影の軽い物言いに、オレはからかわれていたと気づき、拳を振り上げた。
「てめぇ!」
 猩影の後頭部をどついたが、オレの非力な腕力では狒々の息子に衝撃を与えることは出来ない。片目を閉じて頭をさする猩影に、思わずオレは毒羽をお見舞いしてやった。部屋中に、緑色の毒羽が舞った。
「うわっ!毒羽反対!」
 慌てて羽から逃げようと、猩影が部屋の中を走り回った。逃がさねぇぜ。オレの羽は、消えるまでずっと目標を追い続けるのだ。
「何やってんだよ」
 オレと猩影のやり合いに、リクオが呆れた声を出した。
「……り、リクオ」
 取り乱した自分を恥じて、オレは急いで羽を消した。猩影が冷や汗を吹きながら、床にへたり込む。
「リクオ、覚えてんのは、それだけか?」
 オレは毎夜、眠るリクオの耳元で何度もその名を呼び、目を覚ましてくれと懇願した。時には、涙も出てしまい慌てて拭った。
 眠るリクオの傍らで呼びかけ続けたのは、オレだけではなかった。
 他にも、雪女がリクオの好きな料理を作って側に置き、匂いで嗅覚に訴えてみたり。普段はリクオに余り協力的でない一つ目入道などは、達磨達を巻き込んで秘蔵の酒を提供させ、わざとリクオの側で酒盛りをしたりしていた。酒好きのリクオの反応を期待したのだ。
 その様子を見て首無は、まるで天岩戸だと苦笑していた。
 そういや、確かウズメノミコトって女神は、天岩戸を開けさせるために裸で踊ったって……。妙な想像をしているオレに、リクオはニヤリと口の端をゆがめた。
「……知らねぇな。鴆の裸以外」
「うわー!わ、忘れろ!」
「無理だ」
「うう……」
 オレはがくりと、膝と手を床についた。後ろの方で、猩影が面白がって声を殺して笑っているのが視界に隅に入る。くそう、やっぱり後で毒羽をお見舞いしてやる。
 リクオは、布団の上で胡座をかいた。
「まぁ、そのおかげで、あの人間も『鴆』を探そうって気になったんじゃねぇの」
 くつくつとリクオが面白がって笑った。
 ああ、リクオが起きて動いてしゃべっている。その普通のことが、こんなにも嬉しい。オレの恥は、オレが耐えればいいだけの話だ。
 それでも、つい不満がオレの口から漏れる。
「どうして、早く帰ってきてくれなかったんだよ」
 リクオは目を瞬かせて、ううんと唸る。
「どうしてって、言われてもなぁ。自分でなんとか出来る感じがしなかったしよ……」
「リクオの妖力がありゃ、ただの人間の器からなんて、簡単に出られた筈だろ」
「いやー、鴆様。さすがに無理っしょ?」
 猩影は手をぶんぶんと振ってリクオに同意を求める。
 リクオは、両腕を組んで視線を下に向けた。
「そうかもしれねぇな……けど」
 少し説明に悩んだような顔をした後で、はっきりと答える。
「正直、ちょっと楽しかったんだ」
「何?」
「普通の人間としての、生活が」
 オレには良く分からないが、リクオは人間としての生活をとても大事にしていた。
 普通の子供のように学校へ行き、普段の移動には人間の乗り物を使い、人間の友人達と普通に遊ぶ。
 しかしリクオは、もう学校には通っていなかった。
 百物語組の園潮らの策略の一端で、世の中に『奴良リクオ』という妖怪の噂と、写真がばらまかれた所為だった。
 もちろん、妖怪が実際存在していて、世界を滅ぼそうとしているなんて、そんな噂を今でも信じている者は少ないだろう。けれど、未だ好奇心を持った人間は多くいたし、直に妖怪から被害を受けた人間達は『奴良リクオ』という存在に敏感になっていた。
 現在は、表向きは病気の療養のため学校を休学している、ということになっている。病院の診断書は、オレが薬鴆堂と付き合いのある人間の病院で用意させた。
「……何て言ったらいいか、分かんねぇけどよ。普通の人間の両親がいて、普通のクラスメイトがいて……」  
「そういう暮らしがしたいのか?」
 オレがそう尋ねると、リクオはすぐに首を横に振った。
 その反応にオレは、安心する。 
「いや……。でも、ちょっとだけ、楽しかっただけだよ」
 ふっと息を吐くリクオは、遠い所を見つめていた。

 


 空が白んできた。
 リクオの姿は、四分の一の妖怪の姿から、四分の三の人間の姿へと変わった。体つきが小さくなり、髪が短くなる。茶色の髪が朝日に透けて、金色に見えていた。
 オレは、本当の意味で安堵していた。
 朝になっても人間の姿にならないリクオを見続けていたオレは、ようやく本当のリクオが帰ってきてくれたような気がしたのだ。
 このリクオを見るのも一ヶ月ぶりだ。
 周りの妖怪らも、リクオが朝日の中、人間の姿を取り戻したことを歓迎していた。
 そういえば、リクオが人間の姿に戻ったことを歓迎されるなんて、初めてのことではないだろうか──。



◇◇◇



 オレは事故で一年も意識が無かったらしい。
 そして一ヶ月ほど前、目を覚ましてしばらく学校に通っていた、らしい。
 『らしい』というのは、その間のことを覚えていないからだ。
 家族の話によると記憶喪失だったようだが、記憶が戻ると、目が覚めてから今までの記憶が無いことが分かった。病院の先生は記憶喪失が治った後、その間のことを忘れてしまうことは多いと教えてくれた。
 記憶の無かった一ヶ月、オレはどんな人間で、どんな生活を送っていたのだろう。
 母親なんかは、今までのオレより聞き分けがいい良い子だったわよなんて、冗談なのか本気なのか分からないことを言った。
 治療のために学校を転校したオレにとっては、全員が初対面と同じだ。それに、実際の年齢も違う。
 それに一ヶ月も、オレじゃない者がオレだということで学校生活を送っていたのだ。
 ほぼ、初めて学校に行ったオレは、ひどく緊張していたが、同級生達は親切に接してくれた。
 そして、なんだか、やけにクラスの女子が馴れ馴れしいのだ。
 記憶の無い間のオレは、もしや女たらしだったのだろうか?……とりあえず悩んでも仕方ないので、モテ期到来ってヤツだと思うことにした。
 事故のリハビリも兼ねて、オレはサッカー部に入部した。そんなに上手くは無いが、元々経験があったからだ。
 今日は休日だが、部活の友人に誘われて、川原のサッカー場で試合をすることになっていた。と言っても学校は全然関係なく、勝手にメンバーを誘い合ってメンバーを集めたという。
 だから、ほぼ初心者からクラブに所属している者まで、色々なメンバーが集まっていた。
「陸夫君!」
 聞き覚えのある女の子の声がして、オレは振り返った。この声は確か、同じクラスの女子だ。
 遠目に確認すると、確かにそうだ。応援に来たいと言っていたことを思い出す。
 しかし、見ると──彼女は全然違う方向へと駆けていった。
 オレに用事があったんじゃないのかよ、とちょっとムカついて見ていると、どうも様子がおかしかった。




「陸夫君!」
「……なに?」
「あ、ご、ごめんなさい……人間違いでした」
「ボクは『リクオ』だけど、ボクに用じゃないの?」
「えっと……あ、か、彼です!」
 同級生の女子は、キョロキョロと首を必死で振って、ようやくオレの姿を見つけてこっちを指さしている。
 オレは二人に走って近寄った。『陸夫』と呼ばれて振り返った少年の顔は見たことが無い。きっと、相手チームのメンバーなのだろう。
「あれ?本当に応援に来たのかよ」
 オレは同級生にわざとぶっきらぼうに言ったが、本当はけっこう嬉しい。
「陸夫君!う、うん……ごめん、間違えちゃって。だって、──後ろ姿が、そっくりだったんだもん」
「え?」
 そう言われればそうかもしれない。背格好が似ているし、茶色がかった髪型も似ている。
 少年はにっこりと笑い、オレに話しかけてきた。
「こんにちは。君もゲームに参加するの?」
「ああ、あっちのチームで出るんだ」
「じゃあ、敵チームだね」
 同じ名前の少年は、オレに右手を差し出してきた。オレもそれに応えて、握手をした。
「よろしくな。お前も『陸夫』って言うんだな」
「同じ名前なんだね」
 少年はにこにこと人懐っこい笑顔を浮かべている。
「部活はサッカー部なの?」
「ああ。始めたばっかだけどな。お前も?」
 オレがそう尋ねると、少年は首を横に振る。
「今日は友達が誘ってくれたんだ。──たまには、日の光の下で体を動かさないと駄目だって」
 オレは少年の、『日の光の下』という表現が気になった。
 よく聞く引きこもりか、まさか、こいつもオレと似たような境遇だったのだろうか。
 オレは怪我で入院していて、退院したのは記憶に無いが二ヶ月ほど前のことだ。それまで、ずっと病院のベッドで寝ていたそうだ。
「諦めてたけど……」
 同じ名前の少年は、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、ボクも学校に行けるようがんばってみようかな……」
 見た目、どこかを悪くしているようには見えないが、こいつはやっぱり病気か何かで学校に行けないんだな。
「えと……その、頑張れよ」
 自分と似た境遇なのかと思うと、自然とそんな言葉が口をついてでた。
「え?──うん、ありがとう」
 初めて会った相手に頑張れなんて言われて驚いたのだろう。目を大きく見開いてオレを見返したが、すぐに表情が柔らかくなった。
「じゃあ、また」
 そう言って、『リクオ』は手を振りながら向こうへ走っていった。




(終)


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(20130324)
おつきあい頂きまして
ありがとうございました。

25巻オマケ漫画発表のため
微パラレルになりましたが。
リクオが晴明編後に
学校に行っていないバージョンです。