ハルカナル
-春奏る-

                          BY 月香
−2−


 陰陽師を含むリクオの友人達が居なくなって、隠れることに疲れ切っていた妖怪達が、ようやく表に出て来ることができた。 
 ばたばたと本家仕えの妖怪達が走り回る中、鴆は自分の領地へと帰って行った。
 そんな中、一人冷静だった首無が鴆が去った暗い空を仰ぎながら呟いたのだった。
「──鴆様、大丈夫ですかね。お屋敷が燃えたおかげで、ろくに住む所も無いって言うのに」
「そうだったの?首無、早く言ってよ!」
 そう責められたが、首無は当然リクオは鴆の状況を分かっていただろうと思っていたので、困ってしまった。
「そしたら」
「そしたら、どうするんじゃ?リクオ」
 後ろからやって来たのは、奴良組総大将の初代ぬらりひょんだった。
「……おじいちゃん」
 全てを見透かしたような顔で聞く祖父に、リクオは当然だと言うように言い返した。
「そしたら、この家に居てもらうよ。屋敷の修理が終わるまで。だって鴆君、体が悪いんでしょ」
 ぬらりひょんは面白そうに、リクオの顔を覗き込む。
「ほう、『妖怪なんて大嫌い〜』なんて言ってるお前の側に居させて、もっとがっかりさせるのか。鴆は、お前にこの奴良組を継いで欲しいと思っとるんじゃぞ」
 それは何度も言われたから分かっている。でも、この組を妖怪として自分が継ぐだなんて、人間の血の濃い自分に出来ることとは思えなかった。それに自分は、悪行を繰り返し人間に害を為す妖怪を理解することが出来ない。
「──そんなこと言ったって、僕は妖怪なんて……三代目なんて継ぐつもり無いし……」
 総大将の血を継いでいるのは、父亡き後は自分だけだ。だから、周りの妖怪が自分に期待していることは承知していたが、それが常にリクオにのし掛かっていた。
 更に鴆に怒鳴られて、リクオは心は更に重くなったことを感じた。
「だったら、鴆のことは放っておくのじゃな」
 ぬらりひょんはそうは言うが、リクオは鴆をどうしても放ってはおけない。誰か迎えにやって、この本家で休んで貰おうかとそんなことも考え始めていた。
 リクオは久しぶりに会った鴆に、何だか苦手な空気を感じていたのだが、今では逆に気になってしかたがない。
 じっと宙を見つめ、考え込んでいるリクオをぬらりひょんは面白そうに見つめていた。体調が悪いからと、本家へ来ることを遠慮していた鴆を、無理に呼びつけたのは総大将だった。
 人間の世界で生きるリクオが、自分の中に流れる四分の一の妖怪の血に、いつも引け目を感じていることは分かっていた。
 幼い時は違っていた。リクオは妖怪達と庭を走り回って悪戯を繰り返し、祖父と一緒になって無銭飲食をしたりもした。楽しそうな孫の姿を見て、ぬらりひょんは自分もまた若返ったような喜びを感じていたのだった。
 リクオと幼い時分に特に仲の良かった鴆と顔を合わせれば、妖怪と共に過ごした昔の楽しかった出来事も思い出すだろうと画策したのだが、どうやら功を奏したらしい。何かしらの感情を、リクオの中に蘇させることが出来た。
 若い内は悩むのも華よと、ぬらりひょんは笑みを浮かべながら部屋へと戻った。
 リクオはぼんやりと、夜空を見上げていた。満月の光が辺りを煌々と照らしていた。 
「ご飯の用意できてますよ〜。点呼も取りますよー。誰か滅されてない〜?」
 雪女の楽しそうな声が聞こえる。リクオは、ついさっきまで陰陽師が家に来ると言って震えて隠れていたのに、呑気なものだなと思った。
 はぁ、とため息を吐いたリクオの耳に、小さな声が聞こえてきた。
「……若、リクオ様」
 何事かと、声がした方へと足を運ぶと、庭から一匹の服を着たネズミが顔を出した。妖怪のようだったがリクオは初めて見る妖怪だった。
「何だい?」
「お初にお目にかかります。私、旧鼠組の者です……」





 互いの腕を交差させて、二つの杯の酒をそれぞれ自分で飲み干す。主従の誓いだが、同時にそうではなく、互いに対等な義兄弟の杯でもあった。
「お前が、オレの最初の杯の相手だ」
 月の光にも似た長い髪を揺らし、妖怪の姿へと覚醒したリクオは大人びた顔でニヤリと鴆に向かって笑う。上弦の月が、わずかに二人を照らし出していた。 
「……最初の……そいつぁ光栄だね……」
 呟きながら、鴆の体がぐらりと揺れた。鴆は自分の手から杯が離れて落ちるのが分かったが、体力の限界を感じていたためもう、それをどうすることもできなかった。焼け跡にどさりと倒れ込み、リクオの目の前で人の姿を維持することも出来なくなった鴆は、本性の鳥の姿に戻ってしまったのだった。
 そして鴆は、リクオに抱き上げられた。主人の手を煩わせることは憚られたが、断る気も自ら立ち上がる力も失っていた。
 今までならば、こんな時は必ず鴆の傍らには蛇太夫が居た。鴆の特性である身毒に犯された体を支え、時には肩を貸し、床に伏せることの多い主人の意を受け党首代理として一派を統括して来た。
 だが蛇太夫は、鴆の元に仕え始めた頃からずっと、薬師一派を乗っ取るつもりだったのだ。党首である鴆の命が残り少ないと知ると、さっさと鴆を亡き者にし、自らが薬師一派を牛耳るつもりだったらしい。
 その企みは、たまたま屋敷を訪れたリクオによって阻まれた。蛇太夫はその身を切り裂かれ、野望と共に塵になって消えたのだった。
 人型を維持出来なくなってしまった鴆はその後、リクオの強大な妖気に包まれて、朧車で本家に運ばれた。
 あのまま焼け跡に放って置かれたら身毒で弱った鴆の体は、下手をしたら衰弱して死んでいたかもしれず、鴆はリクオにいくら感謝してもしきれない。
 それに、鴆はあそこに一人、残されたくなかった。
 何年も自分に仕えてくれた蛇太夫に裏切られて、鴆は正直、途方に暮れていた。所詮、自分はその程度の器だったのだと。自分が一派の党首として信頼し目をかけ、何の疑いも持たずに一緒に頼り、一派を盛り立てていたと思っていた相手は、ずっと偽りの気持ちで自分を騙していた。
 騙されていたことにも気付けずにいた自分は、党首としての器があるのだろうかと。ただ、先代の党首の子だという理由で一派を率いることになった自分は、その資格があったのだろうか。
 この先、どんな顔をして薬師一派を率いて行けばいいのか、そんな自責の念に駆られた鴆はリクオが覚醒した姿を初めて見て、羨ましいと思った。妖怪として強く、その強さにふさわしい美しさに憧れ、畏れた。
 自分の想い描いていた、百鬼の下僕を率いる妖怪の総大将の姿が目の前にあったのだった。



 今現在、鴆の元に居るのは薬師一派古参の者達で、それらは蛇太夫の息のかかっていない者ばかりだった。
 気づくとここ数年、党首である鴆の近くに控えていた側近は、全員が蛇太夫の仲間だった。おそらく少しずつ、蛇太夫の息のかかった者に替えられていったのだろう。
 今でも鴆は、彼らが自分を最初から疎んじ、裏切るつもりだったことが信じられない。そんな自分を甘いと思う。
 蛇太夫は、鴆と主従の誓いの杯を交わした相手だった。古参の妖怪達とは違い、鴆の父親である先代の党首や、先々代と自分を無理矢理比べて小言を言わない蛇太夫を、鴆は好ましく思っていたのだ。
 先日の覚醒したリクオが蹴散らしてくれたおかげで、一派内からは蛇太夫の影は一掃できたようだったが、常に鴆には喪失感が付きまとっていた。 
 薬師一派の構成員は少なくなったが、祖父の代から仕えてくれている慣れた者が多く、鴆は安心して屋敷の再建に身を入れることができた。
 とりあえずの処置として屋敷は、焼け残った蔵の片隅が整えられ、自分や一派の者が寝泊まりできるようになっていた。臨時の診療所も作り、最低限の薬の処方や治療が出来るようにもしている。
 鴆は、自分が本家で寝ている間に、これだけ環境を整えてくれた配下の者に、労いの言葉をかけること位しかできない自分に歯がゆさも感じていた。
 配下の者達の中には、鴆が急ごしらえの蔵で寝泊まりすることを心配している者も居た。
 身毒が回り体調の良くない鴆には、できればきちんとした暖かく安心して休める場所へ移り住んで欲しいのだ。中には、薬師一派が懇意にしている他の組へと、鴆の居場所を確保することを打診している者も居るという。
 そんな気遣いを有り難く思うが、一派の長として自分だけがのうのうと生活をする訳にはいかない。
 数日前に焼け落ちた母屋には、完成品の薬や治療道具、文献等があったがそのほとんどは焼失してしまった。だが、調合前の薬草や主な文献は蔵に保管しているものが結構あったし、本家である奴良組にも、非常用として薬やその材料が蓄えてある。
 当座の薬はそれで何とかなるだろう。だが、いざという時に特別な秘薬が使えなくては、薬師一派の名が泣く。一日でも早く、屋敷とその中身の建て直しが必要だった。
 幸い、屋敷の修復作業には本家からも手伝いが来てくれて、立て直しの準備は順調に進んでいるようだった。
 今は、焼けた屋敷の残骸が片づけられ、殺風景な情景が目の前に広がっている。
 自分が生まれ育った家が無くなるというのは、気分が良いものじゃない。ましてやそれが、自らが裏切られた結果だということが、鴆を打ちのめしていた。
 蔵の入り口へと足を運ぶと、普段では無いような賑やかな声が聞こえてくる。
「──何だ?今日はやけに客が多いじゃねえか」
「は、はい鴆様。本日は、重傷患者こそはおりませんが、切り傷・打ち身などの軽い症状の薬を貰いに来る妖怪が多くて」
 ぱたぱたと動き回る配下の者を見ながら鴆は頷いた。良かった、軽い症状の薬なら蔵に保存してあった薬草でなんとか対応できる。
 そんな臨時の診療所に、どこかで見たことがあるような妖怪が現れた。怪我をした友人の妖怪にと、薬を貰いに来たらしい。何本もある腕で、あれこれと薬を物色している。
 向こうは鴆を見知っているらしく、ぺこぺこと頭を下げながら鴆に近づいてきた。
「あ、鴆様はこちらにお戻りだったんですね。──その様子じゃぁ、ご存じないみたいで」
「何のことだ?」
「いやー、噂になっとりますよ!リクオ様が──」
 そこまで話を聞いて、鴆は思い出した。この妖怪は確か、本家の庭で見かけたことがあった。
「ああ──妖怪の姿になったんだよな」
 本人は全く覚えちゃいないがな、とは言わずに苦笑いをした。
 本家から来た妖怪は、ならば知っているだろうと声高く、リクオを讃辞する言葉を発する。
「あの、初代ぬらりひょん様の勇姿を彷彿とさせるお姿!長くたなびく髪と鋭い眼光!いやーあのようなお姿を、再び拝見出来るとは、思ってもみませんでしたよ!」
「そうだな」
 鴆は、願わくばあの姿をずっと維持できれば良いのだが、四分の三の人間の血はそうはさせないだろうと思う。
 興奮した妖怪は、何本もある腕をぶんぶんと振り回して熱弁を振るう。
「ええ、皆もう大騒ぎでしたよ。これで、奴良組も安泰です!立派な三代目のお姿で……久々のすばらしい百鬼夜行でしたな〜」
「……何?今、なんつった?!」
 いきなり鴆に胸元を掴まれ、妖怪は目を白黒させた。
「百鬼夜行だぁ?!」
「ゆ、夕べ、出入りがあったんすよ……ご存じ無かったですか?」
「何、出入り!それも、夕べだと?!」
 自分が本家を出て来たその日に、リクオはまた本家でも妖怪の姿に変化したというのか。そして更に、百鬼夜行があったのだと知った鴆は、自分一人がシマへ戻って来たことを後悔した。
 ──きっと、妖怪の姿のリクオだったら、自分と交わした義兄弟の杯のことも覚えていた筈だ。そして、百鬼夜行にも誘ってくれた筈だった。
 鴆が昼に感じた、例えようのない絶望感も取り去ってくれたことだろう。そんな好機を自分は逃してしまったのだった。





 ずかずかと廊下を勢い良く歩く鴆の後ろを、鴉天狗が慌てて追いかけていた。朝日が昇ったため、鴆を阻む妖怪は極端に少ない。 
「お待ち下さい!鴆様!」
「出入りがあったそうじゃねーか!なんでオレを呼ばねえ!?」
 本家から来た妖怪に百鬼夜行のことを聞いた鴆は、我慢出来ずに昨日の今日で再び本家を訪れていた。
「ちくしょう、約束したってのによぉ……」
 鴆がリクオに、三代目の晴れ姿を見せてくれと頼んだ時、リクオは鴆に杯を勧めてくれた。それは、晴れ姿──百鬼夜行を率いた姿を見せてくれるという返事では無かったのか。自分独りよがりの約束だったのか。他の奴らは良くて、オレではダメなのか。
 そう思うと胸が苦しくなる。鴆は、ぎゅっと胸元を握りしめた。
「わあっ、鴆様!」
 ゲホッと咳き込み、廊下にうずくまった鴆の右手の血を見た鴉天狗が血相を変えた。
「……大丈夫だ」
 胸元から手ぬぐいを取り出し、素早く拭うと鴆はさっと立ち上がった。胸のこの痛みは、体調の所為だけじゃない。ましてや、短期間にシマと本家を行き来した疲れから来るものでもない。
「リクオの部屋はどこだ?」 
「その、リクオ様はまだお休みで……」
「人間は朝、起きるもんなんだろ?!だったら、オレが起こしてやらぁ!」
 鴉天狗が教えてくれなかったため、勘と昔の記憶だけでリクオの部屋へとたどり着くと、鴆は部屋の障子を勢い良く開けた。
 怒鳴ってやろうと口を開き、リクオの顔を見た鴆は──その口を静かに閉じた。
「ぜ、鴆様!お待ちくださーい!」
「おい……静かにしな」
 騒ぎ立てる鴉天狗を静かにさせると、眠るリクオの額にすっと左手を当てて、眉をしかめた。更に腕を取り、その手首に自分の中指をそっと当てた。脈が、かなり速い。
「……リクオ、お前、熱が」
「え?リクオ様ー!!」
 鴆の言葉通り、鴉天狗が耳元で叫んでも起き上がらない程、リクオは意識がもうろうとしていたのだった。
「まさか……」
 嫌なことを思い出し、鴆は顔色を変えた。
「鴉天狗、本家付きの薬師が居ただろ、そいつにもリクオを診せてやってくれ」
「は、鴆様は、──あ」
 何故、奴良組きっての薬師である鴆がここに居るのに、わざわざ他の者に診て貰わなければいけないのか。そう疑問を抱いた瞬間、鴉天狗も何か思い当たることがあったのだろう、鴆の言葉に頷くともの凄い早さで部屋を飛び出して行った。
 




【続く】

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2010.11.2