ハルカナル
-春奏る-

                          BY 月香
−3−


 学校を休んだリクオに、同級生達がわざわざ見舞いに来てくれたが、その夜には熱は下がり体調もいつも通りに戻っていた。
 まだ寝ていてくださいという妖怪達を振り払い、リクオはある場所へと足を向けていた。そっと障子を開けると、緑色の羽織を肩にかけた青年が居た。
「──良かった、まだ居たんだね」
 リクオが向かったのは、家の奥にしつらえられた客間だった。一昨日、一羽の綺麗な鳥が休んでいた部屋だった。
 目的の人物は、きっとここではないかと見当をつけてやってきたのだ。リクオが考えた通り、薬師一派の党首・鴆はその部屋で一人、静かに座っていた。
「組のモンが迎えを寄こさねぇんだ。……屋敷が再建出来るまで、どっか行ってろってよ」
 今朝、鴆が領地を出てくる時にそう言われたのだった。他の貸し元に世話になるのが嫌ならば、いっそ本家に居てくれと。総大将には許可を得ていると言われた時、自分が知らない間にそこまで本家と話を通していた、手回しの良い蛙妖怪に脱帽した。
「じゃあ、しばらくウチに居るんだね?」
 嬉しそうなリクオを、鴆は不思議そうに見ていた。
 昼間の人間のリクオは、妖怪を敬遠していた筈だった。本家の妖怪ならともかく、鴆のような外部の妖怪を気に掛ける必要は無い。それに、鴆はことあるごとにリクオに、夜の記憶が無いことに文句を言い、三代目を継げと迫っていたのだから、逆に嫌われていても何もおかしくない。
 鴆はまさか、妖怪の時の記憶が戻ったのかと期待を抱いたが、どうやらそうでも無いらしい。子供らしい無邪気さを持って、リクオは古い幼なじみに久々に会えたことを喜んでいるだけなのだ。
 そのとおりリクオは、鴆がこの家に居ることが嬉しかった。体調が良くないという鴆を気遣うつもりもあったが、まだ鴆と話したいことがあったのだ。
「その様子じゃあ、熱は下がったみたいだな……。まあ、ありゃー、ただの気負い過ぎだからな」
 鴆が思い描いた最悪の状況は、思い過ごしだったことが分かった。
 もしや昨日、自分がリクオの前で吐いた血が原因で、人間であるリクオに悪影響を与えてしまったのではないかと危惧していたのだ。
 鴆の毒は、普通の人間であれば即座に内腑を爛れさせる猛毒だ。体液に含まれる濃度は自らの意志でその毒の強さを加減できるとはいえ、咄嗟の発作には対応出来ないかもしれない。もし、そうならば自分がリクオの体を診ることも触れることも出来ない。そのため他の薬師妖怪に確認させたが、結局何でもないことが分かった。鴆は、心から安堵した。
 鴆に気負い過ぎだと言われてリクオは面白くなさそうだった。何だか子供扱いされている気がするのだ。
「気負いすぎって……それって、考え過ぎってこと?」
「慣れないことしたから、だろうな」
 リクオが妖怪の姿になったのは、鴆が知る限り五年程前に一度切りだという。だというのに数日前、鴆を裏切りから守るために覚醒した。そして昨日もまた、人間の友人達を助けるために変化したのだという。
 リクオの体調不良は、短い期間に何度も変化した所為だろうと鴆は考えていた。
 精神的なストレスも原因の一つかもしれなかった。人間のリクオは妖怪を嫌っており、自分の中でまだ、折り合いが付いていないのだろうと思う。いずれ、妖怪の姿になることが当たり前になれば、体調も落ち着くだろうが、そんな日が訪れることがあるのか、鴆は疑問を抱かずにいられない。 
「鴆君が持ってきてくれた薬、良く効いたけど、……すごく不味いよ」
 舌を出しておどけるリクオから、鴆は目を逸らした。
「……屋敷が燃えちまったんでな。良い材料が無くて、あり合わせの薬草を煎じたんだ。味は二の次だ」
「ホントに、苦かったよ」
「そうか……」
 空には真円に限りなく近い月が、高く昇っていた。
 昨日は、満月だった。おそらく百鬼夜行にふさわしい夜だったのだろうと思うと、鴆は悔しくてたまらない。
 百鬼夜行は、奴良組の総大将が率いるものだった。年若い鴆はまだ、それに連なったことが無い。亡くなった父から聞いた、奴良組二代目の百鬼夜行の武勇伝は幼い鴆を奮い立たせた。
 昼のリクオが何も覚えていないことは、鴉天狗からも話しを聞いたので理解はした。だが、納得は出来ない。 
 初代・ぬらりひょんに本家に呼ばれた時は、今更、身毒に犯され死を待つだけの自分に、何の用があるのだろうと不思議に思うと同時に、とても嬉しかった。まだ、本家の──リクオの為に役立てることがあるのだろうかと、鴆は高揚していたのだ。 
 総大将の用件は、三代目を継ぐ気の無いリクオに、鴆から一喝して欲しいのだと言う。そんな噂は聞いていたが、基本的に鴆は自分が見て感じたこと以外は信じない質だった。その噂が本当だったのだと知った時、鴆は愕然とし、寝たきりが続いていた自らの体にムチ打って本家へとやってきたのだった。
 幼いリクオは、口癖のように三代目を継ぐのだと言っていた。鴆を、自分の百鬼夜行の後ろに並ばせてくれると、そう約束した。
 五年ぶりに会った幼なじみのリクオは、鴆に絶望を与えたが、妖怪へと覚醒したリクオは、鴆が望む三代目の姿そのものだった。
 どちらもリクオの本当の姿であることは間違い無かった。鴆は、片方を信じて片方を疑うようなことはしたくなかったが、今のこの状況では鴆も複雑な気持ちを隠せないでいた。 
「──朧車の中で夢うつつに聞いたんだ。妖怪のお前の声で、『三代目を継ぐ』って」
 リクオは鴆が言っている話が数日前、鳥型になった鴆を屋敷から連れ帰った時のことだと気づいた。
「それは……」
「嬉しかったぜ。それに、お前の初めての義兄弟の杯を交わしてもらって、オレぁ、もう死んでもいいって」
「死ぬだなんて!」
 体の弱い鴆の口から『死』という言葉が出てくるのを聞いたリクオは、酷く現実味のある響きを感じて、冗談では無いと冷や汗を流した。
「お前は忘れたんだろうけどな、──お前に連れて来られてから、ずっと本家で寝ていたんだ」
 なかなか人型になれる程に体調が戻らなかった鴆をその間、本家付きの薬師妖怪が世話をしてくれていたらしい。そして意識が戻った鴆は、周りの妖怪達が、喜びに湧いて浮き足立っているのが分かった。
「納豆小僧が教えてくれたよ。リクオが数年ぶりに妖怪の姿に変化したって話を鴉天狗から聞いて、皆で祝ってるんだって。これで『百鬼夜行』を率いてくれるだろうってな」
 目を細めて月を見上げる鴆の表情は、うっとりと夢を見ているようだった。
 鴆は、リクオが妖怪として覚醒して、奴良組の総大将となることを望んで、それこそ夢見ているのだ。
「それでオレも思ったんだ。まだ、死ぬのは早い。オレも、リクオの百鬼夜行に加わるんだってな」
 妖怪の姿に覚醒したリクオは、強大な妖気を持っていた。鴆はそれを直に肌で感じている。自分と杯を交わし、三代目を継ぐという言葉も聞き、鴆はリクオが幼い頃からの約束を果たしてくれたことに感動していた。だから、覚えていないという昼のリクオに、魂が冷える思いをしたのだ。
 知らぬ間に、会わなかった五年は、二人の間に長く深い溝を作ってしまっていた。
 鴆は思う。きっと、妖怪に覚醒したリクオは約束を覚えている筈だった。人間のリクオは無理でも、妖怪のリクオだったら約束を覚えているだろうと。
 なのに、妖怪に覚醒したリクオまでもが自分を無視したと、そう思えてならない。
「──お前は夕べオレが居ない隙に、また妖怪に変化したそうじゃないか。それも、出入りで百鬼夜行を率いたんだって?何で、オレを呼ばねぇんだ!」
 弱く、戦力にならない鴆は要らないのか、それとも、妖怪のリクオまでもが、オレとの約束を忘れて、曖昧な物にしようとしているのだろうか。鴆は、気が気では無かった。
「鴆君……あんまり怒鳴ると、また血を吐いちゃうよ」
 荒く息を吐く鴆をリクオが気遣うように、その肩に手を伸ばした。
 昨日、同じように伸ばした手を断られたことを一瞬、思い出したけれども、リクオはめげずに再び同じように手を差し伸べる。
 今度は、振り払われることは無かった。逆に鴆は、自分の肩を支えるリクオを不思議そうな顔で見ていた。
 そんなに、『百鬼夜行』は大事なものだったのかと、リクオは鴆の剣幕に押され気味だった。
 そういえば昔、祖父や父がたくさんの妖怪を引き連れて夜の街へと繰り出すのを見て、何だかとても楽しそうで、連れてって欲しいと駄々をこねた時があった。その頃はまだ、皆が何をしに行くのか全く分からなかったけれども。
 結局、連れて行ってはもらえず、仲間はずれにされたような気持ちで、屋敷で留守番の妖怪達と一緒になって、ふてくされていたことを思い出した。
 きっと、鴆はあの時の自分のような感情を味わっているんだろうか。
「……そうは言っても、お前はまた、覚えてないって言うんだろうな」
 息を整えそう呟き、がっかりする鴆に、本当の事を言うのは酷かもしれない。
 ──うっすらと記憶らしきものがあることを。
 刀を握る、手の感触。杯から上る、月色の炎。背後にある、頼もしい気配。腕の中の、冷えた鴆の体温。大切なモノを守りたい、焦燥感。
 でもそれは、まるで白い霧の中を手探りで歩いているような、そんなあやふやなはっきりとしないもので、そんな状態で記憶があるだなんて言って、鴆を糠喜びさせたくない。今の自分は覚えているけれど、寝て起きればもう忘れてしまうかもしれない。
 だから今のリクオは、こう言うしかなかった。
「覚えてなくて、ゴメン」
 鴆はそれを聞き、はぁと息を吐いて肩を落とした。
「そうだぜ、オレとの誓いの杯を忘れるなんて……。いや、──オレも約束、破っちまったんだ」
「約束……って、何?」
 鴆が言う、約束が何なのか分からず、リクオは目を細める。鴆は、言うべきかどうか一瞬迷ったが、リクオが何も覚えていないのならばと口を開く。
「……五年位前の話だ。──オレは、もう二度とリクオと会わないって、本家には来ないって」
「何それ、僕、そんな約束したの?!」
 それこそ全く覚えていない。リクオは耳を疑った。まさか、その時も妖怪の姿になった訳ではあるまいに、どうして自分は覚えていないんだろう。
「それも覚えていないんだな。まあ、小さかったしな……」
 ははは、と軽く笑った鴆の目の奥は笑っていないことが分かった。
 リクオはショックを受けた。そうなのだ、いくら鴆が儚い妖怪だといっても、この五年、一度も総会に出席出来ない方が不自然だった。だが、何かしらの理由で、本家を訪れることを控えていたのならば頷ける。
「ゴメンね、鴆君。──僕はどうして、そんな約束したのかな……」
 鴆が五年程前までは本家に良く顔を出していたのは覚えているが、いつから、どういうきっかけで来なくなっていたのかリクオには記憶がない。自分はまだ子供だったし随分昔のことだから、鴆が言うとおり、覚えていなくても不思議では無いのだけれども。
「──思い出さなくていいぜ、お互いに約束を忘れて、破っちまった。おあいこだ。……それでいいじゃねえか。どうせ、子供の口喧嘩の延長みたいなもんだしな」
 リクオは自分が鴆と喧嘩していたことにも驚いた。全く覚えていないが、だから、先日久しぶりに会った時、会いたくないような苦手な感覚だけが蘇ったのだろうか。
 妖怪は見た目と実年齢が全く一致しない者が多かったため、本当の意味で年が近く、薬師一派の若頭だった鴆は、リクオの丁度良い遊び相手として本家からも歓迎されていた。
 リクオ自身、以前は良く鴆と庭を走り回ったり木に登ったりと、楽しく過ごしていたことなどはすぐに思い出せた。
 そういえば熱を出して寝込んだ時、鴆にとんでもなく不味い薬を飲まされて気を失ったと、首無から聞いたことがあった。鴆を苦手になったのは、その所為だったのかもしれないと思うと、おかしいけれど何だか理解できる。でももう自分は、多少苦い薬だって我慢して飲めるようになった。鴆を厭う理由なんて、何も無い。
「鴆君、じゃあ、今度からは本家に遊びに来てくれる?」
 リクオの記憶の鴆は、一緒に遊んだ幼なじみのイメージが強かったため、リクオはそんな風に言ったが、鴆の答えは冷静なものだった。
「そうだな……そんな頻繁には来れないけど、総会にはなるべく顔を出すようにするよ」
 それは、本家に来ることが党首としての役目を果たすためで、義務以外の何者でもないのだと言っているようで、リクオは気に入らなかった。
「用なんか無くても、来てよ」
 子供らしい我が儘を言うリクオに、鴆は笑いかけた。
「いやーそいつは無理だな」
「どうして?」
「……あんまり、出歩けないんだよ。すぐ、具合悪くなって寝込んじまうからな」
 そう言われるとリクオも無理は言えない。鴆が吐血するところを、目の当たりにしていたのだ。
 だが、ならばもし自分が万が一、また妖怪に変化したとしても、鴆が望む百鬼夜行にだって呼ぶことは出来ないだろう。
 もし自分が妖怪だったら、百鬼夜行を率いることになったら──伏せっている鴆を無理矢理呼びつけることなんて出来ない。
 ならばこの先、鴆とこうして二人きりで話す機会はどれだけ訪れるのだろうか。
 リクオは今日まで確かめることが出来なかった、ずっと気になっていたことを、ようやく訊くために口を開いた。
「ねえ、この間の……緑色の大きな鳥って、鴆君だよね?」
 リクオの友人達が家を探索した時、奥座敷に居た一羽の鳥。リクオは、今まで見たことのない美しい妖怪を忘れることが出来なかった。
 鳥の姿と聞いて、鴆はすぐに思い当たった。本家で休ませて貰っていた時のことだろう。
「ああ。本性に戻っちまったまま、寝てたんだ」 
「凄く、綺麗だなって思って。緑色で光ってて……」
 リクオに綺麗だと言われて、鴆は苦笑する。まだ小さい頃の雛の姿ならともかく、全身に毒が回り、羽色も濁ったこの時に、そんなことを言われるのは予想していなかった。
「ありゃー、毒の色だ。──お前は触りたいとか思うんじゃないぜ」
 妖怪に変化したリクオならばともかく、人間のリクオには色々不味いことがある。鴆は毒鳥なのだ。
「そうなの?」
 リクオは、例え妖怪だとしても、あんなにキラキラした鳥の羽は見たことが無かった。それが毒の色だと、鴆自身が卑下する色だとすれば、毒が回りきる前の鴆の色はどんなに美しいのだろうか。
 鴉天狗の息子達の羽は黒くて大きくて強そうだけれど、鴆の羽色は繊細な輝きを発していた。鴆の羽は戦うためのものでは無いのだと聞いて、リクオは納得した。
 鴆の口調は任侠妖怪らしく威勢が良いものだったけれど、本性だという鳥の姿を思い出すと、儚げで短命な妖怪だという、鴉天狗の言葉も頷けるものだった。 
 何とか、そんな鴆の興味を自分に引き留めて置きたいと思ったリクオは、ある事を思い出す。
「ねえ、僕は鴆君と義兄弟の杯を交わしたんだよね。だったら、その約束は今から守るよ!」
 これだったら、自分がもし三代目を継いでも継がなくても妖怪でも人間でも、今の自分が果たすことができる。
「リクオ?」
 突然そんなことを言い出したリクオを、鴆は不思議な顔で見つめた。
「守るよ」
 リクオの声が、すうっと鴆の心に届いた。
 ──鴆は弱い妖怪だからな、オレが守ってやるよ──。
 鴆は、はっとした。目の前のリクオが、自分とした約束なんて覚えているわけがない。自分を守ると言ってくれたことも、ましてや幼い時の約束も。
 だがその一言で、鴆の気持ちは明らかに軽くなった。
「約束は、守るよ。必ず」
 耳から入ってくる、リクオの言葉が心地よい。嘘でも良い、思い違いでも良い、だから。
「──ああ、守ってくれよ」
「鴆君は、僕と五分五分の杯を交わした、義兄弟だよ」
 鴆が本当に守って欲しいのは、そっちの約束なんかではないのだが、そんなことを今のリクオに言ったところで分からないだろう。
 自分達はお互いに約束を破った、それでいい。
「ああ、そうだな」
 鴆はリクオの目を見て笑い返した。そんな様子の幼なじみを見て、リクオはほっとしたように頷く。
 覚えていなくてもいい。このリクオは、あのリクオと同じようで違う。鴆は思う。
 五年前、オレの後を付いて歩いていた幼なじみのリクオではないし、あの夜、オレを義兄弟にしてくれたリクオとも違うのだ。
 どちらも春の月が鴆に見せた、幻だったのかもしれない。





【終】

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ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
…これに修正を加えたものと、続編を合わせまして
2010年の冬コミに「春奏る」として、本を発行予定です。
もし、興味がありましたらそちらもよろしくお願いします。
領価については、多少割安にする予定です;;
2010.11.27