落霞紅・2

この話は、2002年夏発行の
『落霞紅』の続編となっております。

BY 月香
 
「行く方向は一緒ですよね?あの、よろしかったら途中まで、ご一緒しませんか?」
 そう誘われ、セレストは白鳳の顔をまじまじと見つめた。
 今、正に自分もそう言おうとしていたところだったからだ。
 白鳳と数年ぶりの再会を果たしたセレストは、夕べの逢瀬で、目の前の人への想いを確認したばかりだった。
 最初、白鳳の方から自分に声をかけてきたことに、一人喜んでいたのだが、すぐに『温泉きゃんきゃん』を手に入れる為なのだろうと気づき、セレストは自らを嘲笑した。
 そして、自分が抱いているような感情を、白鳳が持っているはずないのだと、自分を納得させたセレストは、そのまま成り行きのままに白鳳を抱いたのだった。
 だがその後、白鳳が自分に近づいてきたのは、温泉きゃんきゃんなど関係ないことだと知り、セレストは困惑していたのだった。ではどうして自分に声をかけてきたのか。ただ懐かしかっただけなんだろうか?
 安心して眠れる……と白鳳は嬉しそうに言った。
 セレストは、自分が白鳳にとって安全な男だと思われていることが少し残念だった。
 自分の心は定まったものの、白鳳の気持ちは一向に理解できず、せめてもう少し一緒に居て欲しいと思っていた。だから今、白鳳からそう誘われたことが不思議だった。
「−−え?あの、それは……」
「何度も言わせないでくださいよ。だから、どうせ行く方向が一緒なんですから、一緒に行ってもいいですかって聞いてるんですけど?」
 一人で旅をしても、面白くないでしょう?と白鳳は笑って言った。本当は一人ではない。肩に乗っている小さなモンスター、スイは白鳳の実の弟なのだから。
 セレストは自惚れでは無く、白鳳に少しは気にしてもらっていると思っていた。
 けれどそれは、一時肌を合わせた人間に対して、情が移っただけだろうと考えていたので、こんなさわやかな朝日の中、白鳳にそう言われたことが信じがたいことだったのだ。
 それでも、スイを柔らかく抱きしめて少し不安げに見上げてくる白鳳に、セレストは慌ててその申し出を受けた。
「いいですよ、もちろん!あの、貴方がそう言わなければ、俺がそう言おうと思ってたんですよ」
 白鳳の次の目的地は、ルーキウス王国の隣の国だった。そこに、ルーキウス王国で天然記念物に指定されている『温泉きゃんきゃん』が生息しているかもしれないのだ。
 ルーキウス王国の温泉ダンジョン、その三番湯と同じ源泉から湧き出ている温泉が、隣国にあることが分かったからだ。
 それが本当ならば、白鳳はルーキウス王国の法を犯してまでモンスターの捕獲に挑まなくて良いのだ。今回の白鳳の旅は、それを確認するためのものだった。それに、白鳳の捕まえなければならない男の子モンスターは、『温泉きゃんきゃん』が最後だと言うのだ。
 これで、十年近くも世界を彷徨ってきた白鳳の旅そのものが終わりを告げることになる。遂に弟の呪いを解くことができるのだ。
 どうせ、道のりは途中まで同じなのだし−−そう思い、、セレストは夜が明けたら白鳳に、途中まで一緒に行ってはくれないかと言うつもりだった。
 結局、セレストにとっては不思議なことに、白鳳の方からそう申し出てくれたのだった。
 裏があるのだとは思いたくなかったが、白鳳の今までの行動と言動からは、それが素直な気持ちから出たのだとはセレストには思えなかった。
 それでも、嬉しいことには変わりなかったのだが、今度は逆に白鳳の方がセレストの言葉を社交辞令だと受け取ったらしい。
「ふふふ、気を使わなくていいんですよ」
「そんな……」
 あくまで白鳳は穏やかな笑みを崩そうとはしなかった。
「行きましょう、白鳳さん。途中まででも−−これは、オレの意志です」
「ええ、途中まで……」
 途中まで、という言葉に、二人ともこだわっていた





 白鳳の旅は徒歩が主な移動手段だったが、王国騎士団の一員であるセレストは、長距離に限ってはそうではなかった。
 しばらく歩いた所で白鳳は、セレストが徒歩でこの国へ国王の用事で来たはずは無いと思い、素朴な疑問を口にした。
「……セレストは、何か乗り物に乗ってきたのではないのですか?」
「えっ?」
 確かに白鳳の指摘通り、セレストは昨日、ルーキウス王の用事でこの国までウシでやって来ていた。
 後は一泊して帰るだけという時になって、酒場で白鳳と数年ぶりに出会ったのだ。
 乗ってきたウシで飛ばせば、一日とかからず国へ帰れる筈だった。けれども、懐かしさだけでなく、それ以上にセレストは白鳳と別れがたく、酒の勢いを借りて、売り言葉に買い言葉で白鳳と夜を共にしてしまったのだった。
 あの時と同じく、お互いの気持ちが通じ合ったわけではないのに白鳳を抱いてしまったことに、セレストは後悔の念を抱いていたのだ。
 セレストがその気になれば、ルーキウス王国へは今日中に着くだろう。
 だけれども、それでは白鳳との別れがすぐに来てしまう。徒歩で行けば、あと二日程は白鳳と居られるはずだった。
 元々、国王やカナンには、せっかくだから少し羽を伸ばしてくると良いというありがたい言葉を頂いていた。
「セレスト?」
「ええ、確かに……でも、休暇も兼ねているので、平気ですよ」
 初めての時と同様、成り行きで肌を合わせてしまったのに、夕べとはうって変わって穏やかに話しができるのが、セレストは不思議でもあり嬉しくもあった。





 昨夜、酒場ではできなかった他愛のない話をしながら、セレストは白鳳の横顔を眺めていた。会うことの叶わなかった数年の月日など感じさせない白鳳の姿。あの時と同じ美しく涼やかな姿だった。
 セレストは呪いをかけられたのは弟スイではなく、白鳳その人なのではないかと思った。もっとも美しい姿のまま、時を留める呪いを−−。
「どうしたんですか、私の顔に何か付いてます?」
「あっ、いえ……」
「ふふ、さては私に見とれていたんでしょう」
 白鳳に指摘されたとおりだったので、セレストは言い訳する間もなく、自分の顔が赤く火照るのを感じた。
「おや、図星ですか……それとも、夕べのことでも思い出していたんですか?貴方は私をその広い胸に抱きしめて、耳元で囁いてくれたじゃないですか……」
 声を潜めてそう囁く白鳳に、からかわれているのだと気づいていたが、一度頭に上った血はなかなか元に戻ってくれなかった。
「あっあっあのっ白鳳さんっ今回は、神風とか、お供は連れていないんですかっ?」
 白鳳はそれには答えず、セレストが必死で話をはぐらかそうとしているのを面白そうに眺めていた。
 セレストは更に、違う話を振った。ずっと聞いてみたいことがあったのだ。どさくさに紛れて尋ねてみる、良いチャンスだと思った。
「−−は、白鳳さんは、弟さんが元に戻ったらどうするんですか?」
 セレストは何気ない雰囲気を装って白鳳に尋ねたつもりだったが、白鳳の方はその質問に敏感に反応した。さっきまでやんわりと微笑んでいた白鳳の表情が、ほんの一瞬引きつったように見えたのだ。
「……一度、国へ帰るつもりですよ」
 帰って、それから何をするのか問いただしてみたかったが、白鳳の表情が変わったことを見てとって、気づかない振りをしつつ違う事を聞いてみる。
「国、というのは、白鳳さん達の故郷ですか?」
「ええ」
「ご家族は、弟さんだけだと聞きましたが、他に……親戚の方とか、待っている人は居らっしゃらないんですか?」
 本当は、「国に待たせている恋人でもいるのか」とでも聞きたかったのだが、そんなこと直接聞けるわけがない。セレストの意図には気づかない白鳳は、微動だにしない表情のまま答えた。
「……私の家族は、スイだけですよ。でも−−」
「でも?」
「スイの家族は、まだ国に居る筈ですね」
「弟さんの、家族?」
「ええ。私とスイは異母兄弟なので、スイの母親はまだ健在の筈ですよ。−−スイがこんな姿になってから、故郷の事は気にする余裕が無かったもので、今はどうしているのか……」
 それでは白鳳にとっては義理の母になるのではないか。なのに、他人行儀な白鳳が不思議だったが、それ以上深く追求するのも申し訳ないと思い、その話題はもう止めにした。
 そして、セレストは白鳳にふっと微笑みかけた。
「意外ですね、白鳳さんがそんなに自分のことをおっしゃってくださるなんて」
 尋ねたのは自分でも、白鳳がそれに答える義務は無かった。はぐらかされても文句は言えないのに、白鳳の様子を見ると本当の事を教えてくれたようだった。きっと、言いにくい事だっただろう。
 それが嬉しくて笑っていると、白鳳の口からも同じ台詞がこぼれた。 
「……嬉しいのかも、しれませんね」
 白鳳の先刻までの顔は、楽しくて話をしているようには見えなかった。本当にその言葉どおりなのかと、セレストは白鳳の表情を覗き込む。
 すると、ついさっきまで故郷の話をしていた時とは、うって変わって穏やかな笑みを返してくれたのだった。
「嬉しいって……ああ、スイ君が元の姿に戻れるかもしれないからですか?」
「そうですね、それもありますけど……」
 貴方とこうして歩いていられるだけで、嬉しいのだと言ったら、セレストはどんな顔をするだろうか?そんなこと信じられないと、否定されるだろうか−−。
 この青い空の下、何の思惑もなく二人でいられることが、白鳳にとってのささやかな幸福だった。けれど−−この肩に乗る、自分が責任をとらなくてはならない弟のことを、忘れたわけではない。
 セレストに会いたいと思ったのは自分だった。会わなければ良かったと後悔しているのも、また自分だ。
 五年前だったら、冗談の振りをして無理矢理抱きついていたかもしれない。
 だけれども陽光の下、もう隣を歩くセレストの腕を取ることは出来なかった。





 −−このまま、手に力を込めたらどうなるだろう。
 白鳳は、未だ目を覚まさないセレストの首に両手をかけたまま、動きを止めてしまった。 今夜は酒の勢いでの関係では無かった。ごく自然に二人で同じ宿を取り、お互い何の思惑も無く肌を合わせ、抱き合ったのだ。
 心臓が高鳴り、その音が今セレストの首を絞めている手のひらを通して、セレストに伝わってしまうのではないかと思ったくらいだ。
 それは、このままセレストの首を締め付け、その息の根を止めてしまえば、自分の憂いは無くなるだろうという期待感だった。セレストの行動に一喜一憂しなくて良いのだし、この先セレストが国へ帰り、あの王子に身も心も捧げて仕える姿を想像しなくてもいいということだった。
 セレストは決して、カナン王子から自ら離れることは考えもしないだろう。
 そして自分も、スイを……自分がこんな姿にしてしまった弟を、例え元の姿に戻ったとしても、一人残して行くことなんて出来ない。
 けれど同時に、セレストに手をかけるようなことをして、彼に軽蔑されたくないという気持ちはある。
 そして、この世界から彼を失いたいくない。
五年前のあの事件のことを思い出すとぞっとする。いくら、セレストを自分に引き渡すことを条件にしていたとはいえ、少し間違えばこの存在を失っていたのだ。白鳳が本当にそう自覚したのは、ルーキウス王国を出た後だったが。
 この世界の誰にも……何者にも彼を渡したくないけれど、この世界からも消えて欲しくないのだ。なんてやっかいで矛盾した願いだろう−−。
「……殺さないんですか、俺を」
「−−セレスト!」
 目が覚めていたのかと、白鳳はばっと手を放した。
 真っ直ぐな瞳で見つめられ、言葉でなくその視線で責められているような気持ちになった。
「締めればいいのに……どうしたんです?」
 セレストはゆっくりとベッドに起き上がり、夜目にもはっきり見える白鳳の白い姿を見つめた。
 思い詰めていた自分とは違い、あくまで淡々としたセレストに白鳳は困惑する。
 自分がセレストを死に至らしめようと、そう実行に移そうとしていたことは分かっていたはずなのに、意地の悪いことに何故やめたのかそう聞いてくるのだ。
 セレストと白鳳は、セレストが国王の親書を届けた国を出発して、ルーキウス王国に着くまでの道連れだった。もっと早く国へ帰ることができた筈のセレストは、久しぶりに会った自分に付き合って、道連れを申し出てくれたのだ。それも、もう明日で終わり。
 明日には別れなければいけない。
 夜が開けた後、しばらく歩けばセレストの仕える王国がある。
 自分の目的とセレストの立場を考えれば、これが永遠の別れとなってもおかしくなかった。
 白鳳は、セレストと別れたく無かった。ただそれだけだった。
 −−何故、自分を責めないのか。
 命が惜しくないのか。自分がその気になれば、人間の命などモンスターを捕らえるよりも簡単に奪うことができたのに。
「締めればいいだなんて、貴方、死にたいんですか」
 白鳳はついさっきまで殺す気でいたのは自分の方だったのに、今度はそんなバカなことを言い出したセレストを責めるように言った。
「そんな願望は無いけれど……貴方は俺の首を絞めても、殺すなんてできないでしょう?」
「−−!私だって、人は、殺せます」
 事実、セレストには言えないけれど、人を死に追いやったことは一度や二度ではない。それは全て、白鳳が弟と一緒に居るための手段の一つだった。後悔なんてしていない。
「いいえ、貴方には俺は殺せない。−−貴方は、寂しがりやだから……」
 今までの白鳳であれば、そんなことを言われれば、バカにされているのではないかと吐き捨てていた。けれど、その言葉が自分の想い人から聞かされたことで、さらに衝撃を受けた。
「貴方は、自分に関わった人間は、大事にするでしょう?それが、ほんの少しの関係でも。だからあの時、貴方は俺やカナン様に手をかけることを、ほんの少しでも躊躇したはずだ。本当に血も涙もない人間なら、気にもしないはずでしょう」
 そうなのだろうか。自分はセレストにそこまで見透かされていたのだろうか?付き合った期間ということであれば、セレストよりも長く付き合った、その時だけの恋人はいくらでもいる。
 そんな短い時間で理解されてしまうような、自分はそんな簡単で単純な分かりやすい人間だったのだろうか?そんな筈はない、自分はいつだって本当の自分を誰にも見せたつもりはない。知っているのは、今ではモノ言わぬ弟だけなのだから。
「本当に殺すつもりがあったのなら、貴方のモンスターに襲わせればいい。その方が簡単だし、罪悪感も少ないはずだ」
「それは……こんなことに、私の可愛いモンスターを使いたくなかったからですよ」
「貴方は、俺に触れていたかったんじゃないんですか?俺の首筋から伝わる脈を、命の鼓動を」
 −−手のひらから伝わってきたセレストの体温。首筋で脈打つ血の流れ。彼が、今ここで生きて存在している証だった。そうやって直に触れなければ他人の存在を確かめられない、自分。
 いつからこうなってしまったのかは、知っている。
 弟が自分の愚かな行動のせいで、呪いをかけられた時からだ……。あの時の事は思い出したくないが、忘れられる訳がない。弟が陥ってしまった境遇を目の当たりにし、全身から血が抜け出してしまったのかと思った。それ位、自分は動揺し、血の気が無かったのだろう。
「だったらどうだと言うんです?貴方が、触らせてくれるんですか?ずっと、貴方を私に?そんなこと、無理なのに?」
 薄暗い部屋の中では、セレストには白鳳の細かな表情までは読みとることができない。
「貴方も、他の男達も私にとっての、スイの代わりなんですよ!等身大の人間を肌で感じていたかっただけだ。貴方なんて、スイが元に戻れば、私にとっていらない人間になるんです」
 だけれど、縋るような泣きそうな白鳳の顔は、はっきりと見えた。セレストは初めて、白鳳のそんな表情を見た気がした。強気な言葉もセレストの耳には泣き声のように聞こえるのだ。
 自分が弟の代わりだというのであれば、それでもかまわない。
 セレストは、やり方は褒められたものでは無いが、目的を達成するためには何でもすると言った、自分には無い白鳳のその姿勢を羨ましく思っていたのだ。
 だから白鳳が弟を元の姿に戻した後、無事に次の目的に向かって行くところを見届けたいと思った。
「……俺は、貴方と居たい。スイ君のことがなければ、このまま貴方を離したくないくらいだ」
「……そんなこと、出来ないようなこと言うんじゃありませんよ、セレスト。貴方があの坊ちゃんと離れられるなんて、不可能でしょう?」
 核心をつかれ、セレストは口ごもった。確かに自分は、カナンに生涯仕えるのだと誓った筈だった。騎士ではなく自分自身として。
 が、その時セレストは見てしまったのだ。白鳳が一瞬寂しげに眉を寄せ、自分から目を逸らすのを。
「だったら、そんな顔をしないでください。……オレも貴方から離れられなくなる」
「……オレ『も』?」
 自分がいつ、セレストと離れたくないなんて言ったのか?白鳳は自分を翻弄するセレストが憎いと思う。そんな人間は今までいなかった。
「自惚れないでください。アナタと寝られればどうでも良かったんですよ」
 そんな、どこかで聞いたような台詞を白鳳の口から聞き、セレストはハッとする。これでは以前と同じだ。
 だけども、自分はあの時とは違う。今では白鳳への思いを自覚していた。
 セレストはあの時とは、違った対応ができるはずだと思った。白鳳を追いつめるのでも傷つけるのでもない、もっと別の答えを。
「−−俺を、待つ気はありますか?」
 予期せぬ言葉を聞いて、白鳳は目を見開いた。
「え?」
「ほんの数日、俺を待つ気持ちがありますか?……貴方が、俺を待っていてくれるというのなら、俺はカナン様にお許しを頂いて、貴方の所へ戻って来ます。だから」
 だから−−。





「五日、いえ、十日ほどお暇を頂きたいのですが」
 そんな突然の話に、ルーキウス王国の王弟カナンは目を丸くした。
 ついさっき三日間の国外出張から帰ってきたばかりだというのに、セレストに休み癖でも付いたのかと眉を顰める。
「理由は、なんだ」
「……その、今は申し上げられません」
 いくら白鳳の次の目的地が隣の国だからといって、白鳳を追って行くのだとは言えなかった。
 その間に、何とか白鳳の心に入り込めないものかとセレストは考えていた。たった十日では何が出来るか分からないが、自分の気持ちだけでも白鳳に分かってもらおうと思っていた。それに、カナンの従者として側を離れられる期間は、十日が限度だろうと思っていたのだ。
「理由も言わず、休みをくれと言うのか」
 自分でも無理な願いを申し出ていると思った。
「−−はい、申し訳有りません」
 跪き、顔を上げることが出来ないでいると、カナンの口から意外な台詞が出てきた。
「……お前、好きな奴を追いかけたいんだろ?」
 いきなり核心を突かれ、思わずセレストはがばっと立ち上がる。今では目線がそんなに変わらない主君は、セレストの様子を見て、してやったりと意地悪く笑っている。
「え?ええっ、な、何を−−!?」
「あの時と同じ顔をしているぞ。……五年前、王冠を盗まれた、その頃だ」
 その時はまだ自分の気持ちを自覚していなかったが、その頃から自分は進歩がないのかと、セレストは少しショックだった。
「僕は、お前と白鳳の間に何があったのかは知らないが……何か、あったんだろう?その時と同じ顔をしていると思ったんだ」
 あの時はカナン様もご自分のことで精一杯だったろうに、私のことも気にかけていただいていたのだ−−と、カナンの厚意をありがたく思う。それと同時に、まんまと自分の気持ちを見破られていたのだという失態に、セレストは自己嫌悪を感じた。
「あの時−−お前は本当は、白鳳を追って行きたかったんじゃないのか?」
 追って行きたいのとは、少し違う気がした。あの時、自分は白鳳を理解したかったのだと思う。もう一度会いたいと切に思うようになったのは、それからしばらく経ってからだった。
「……いいえ」
 歯切れの悪い答えにカナンが突っ込んできた。
「僕の所為か」
「いえ!そんな!……確かにカナン様のことも考えましたが、この国や王家の方々、家族のことも……」
 自分一人の勝手な行動が、自分の家族だけでなくお仕えしている方々にも、多大な迷惑をかけることだと分かっていた。けれどもそれは決して枷ではなくて、自分の意志で選んだ道であり、家族や王家の人々が健やかに暮らしていくことが自分の願いだった。それは確かだ。
「今は、兄上が国王を継いだのだし、お前の妹も結婚して子供もいるだろう?もう、心残りという程のものは少ないんじゃないのか?」
 カナンの言葉には、自分自身のことが抜けていた。セレストが一番気にかけ、その行く末を見守っていきたいのは、この目の前にいる人物だというのに。
 王弟として国政に参加はしているものの、冒険に出るという夢を忘れる様子のないカナンに、セレストは頭を痛めていたのだ。
「お前、今追いかけて行きたい奴ってのは……白鳳、か?」
 どうしてこの方は全てお見通しなのか。白鳳はかつて敵だった人物だ。王冠を盗み、王家簒奪を目論んだのだ。カナンも何かしら思う所があって当然だった。
 そんな相手に懸想してしまったと知られ、セレストは申し訳なさといたたまれ無さで一杯だった。それでも嘘を付くことはできない。
「……はい。偶然、お会いしまして」
 それ以上、説明のしようがない。
「そうか。ならセレスト、お前はクビだ」
「え?」
 さらりとカナンの口から出てきたのは、またも突拍子の無いことだった。それとも、敵に現を抜かすような奴は、いらないとでも言うつもりなのかとセレストは衝撃を受けた。
「カ、カナ……」
「いや、クビだと退職金が出ないな……。今すぐ、辞表を書け!そして退職金は、実家に置いていけ。お前のことだから、家族のこととか後で絶対気にするだろう?」
 具体的なことまで指示され、セレストはカナンが言おうとしていることの意味が分からなかった。
「いえ、私は十日程のお休みを頂ければ……。それに今、カナン様を残して職を辞する訳には。カナン様をお守りし、お側に仕えるのが私の仕事ではなく、私自身の役目だと思っております」
 生まれた時から使えてきた主君にお払い箱にされそうになり、セレストは慌てる。自分は必要無い人間だと、最も言われたくない相手に言われているのだ。
 が、そんな心配を余所に、カナンはにっこり笑って言った。
「安心しろ。僕も行く」
「はい?」
 セレストは、かなり上ずった声で返事をしてしまい、きっと自分はすごく変な顔をしているだろうと思った。
「僕も辞職願いを出すぞ!ルーキウス王国の王弟としての地位をな」
「カ、カナン様!!」
 一気に血の気が無くなったのを感じる。冷や汗を流しながら、セレストはカナンを諫めた。
「な、何を?!今、ご自分がおっしゃったことの重大さが分かっているんですか!」
 震えた声で叫ぶセレストに、カナンはいつものマイペースな笑顔で答えた。
「前々から言っていたはずだ。僕はルーシャス様のような冒険者になるんだ。これも良い機会だ。僕はこの国を出る。安心しろ、さし当たっての目的はウルネリウスの残党退治だが、行く当てがあるわけではないから、お前が白鳳を追いかけていくのに付き合ってやるぞ」
 はははと笑うカナンの目は本気だった。セレストは青くなりながら思う。俺に付き合ってやると言いながら、渡りに船だと思っているのだ。
「カナン様!?そんな重要なことを、こんなふうに決めてしまって−−」
「僕は、冒険者になるんだ。それはもうずっと前から決めていたことだ」
 ああ、いつかこんな日が来るのではないかと思っていたが、それが私事を利用されてだなんて−−。一体、リグナム様達に何と申し開きしたら良いのか。
 セレストはカナンを引き止めるため、必死で説得する。
「ルーシャス様の冒険は、この地で王となったところで終わりました。カナン様はどうするんですか?逆に、王家をお出になり、冒険に出て……」
「何を言っている。僕の冒険は一生終わらない」
 カナンはセレストの言葉を遮り、何を今更といった呆れ顔でセレストを見た。
「ルーシャス様だってそうだ。冒険とは未知のモノとの戦いだ。何も無かった場所で国を作り王となる。それこそ、未知との戦いじゃなかったのか?ルーシャス様の冒険は、一生終わらなかったんだ。−−そして、僕もだ」

「僕は、僕の冒険を一生終わらせるつもりはないぞ」

 意志のはっきりした瞳のカナンを見ていると、セレストはもう何も言えなくなってしまった。確かに、事あるごとに『冒険に出る』と言い続けてきたカナンだったが、セレストはまさか本当に城を出て行くとは、今まで考えたくなかったのだ。
 何も好き好んで、この生活をお捨てにならずとも−−と思う。でもだからと言って、平穏な生活にどっぷり浸っているカナンの姿を、セレストは想像し難かった。
「それにお前も、僕の従者で一生を終わらせるのか?」
「……カナン様−−」
白鳳には、弟が元に戻ったらどうするのかと聞いた自分だったが、いざ自分がこれからどうするのかと問われれば、具体的なビジョンが無かった。いや、ルーキウス王国の王弟カナンに仕えている自分がいるのだろうと、ごく自然に思っていた。
 しかし、たった今自分は、カナンが平坦な人生を送っている所を想像して、無理かもしれないと思ってしまった。
 それでは、自分も平穏とは言えなくても、自分が思い描く将来など、とうてい叶うものではないことに気づいたのだ。
 それに、それでは余りに消極的だ。そんなことでは、白鳳に自分を理解してもらおうだなんて言えない−−。
「……分かりました……カナン様」
 諦め半分、そして新たな決意を半分思いながら、セレストは承諾した。その決断を聞き、パアッと顔を輝かせたカナンに、大事な事を言っておくことは忘れなかった。
「よく言った、セレスト!よし、早速準備を……」
「ただし、お父上様達に、きちんと了解を得てから、でしたら」
「うっ!……分かった……」
 途端、冷や汗をかきつつも意を決し、父リプトンの元へ行くためにカナンは部屋を出て行った。
 その後ろ姿をセレストは見送る。
家族に了承を得なければいけないのはセレストも同じで、それを考えると気が重かった。好きになった人(それも、同性だ)を追いかけて、仕事を辞めて−−それもカナンと一緒に国を出るなんて。だが、父はともかく他の家族はどうにか理解してくれるだろうという確信があった。
 −−いつかそんな信頼関係を、白鳳と交わすことができたら良いとセレストは願った。
 城の廊下を早歩きで進んでいるカナンの方も、自分の家族はきっと理解してくれると感じて、信じていた。
 冒険を妨げることなんてできない。なにせ自分の家族は皆、初代ルーキウス王『冒険者ルーシャス』の血統を受け継ぐ人々なのだから。




                                     ende





《オマケ》
 
「ところでセレスト、お前、脈はあるんだろうな?」
「はい?」
「白鳳を落とす自信はあるのかと聞いているんだ」
「お、落とすだなんて、なんて俗っぽい言葉を覚えてくるんですか」
「なんだ、無いのか?見込みも無いのに、お前仕事を辞めたのか?」
「……辞めさせたのは、カナン様でしょう」
「まあ、世の中、キレイな男は白鳳だけじゃない。他にもたくさんいるんだから、がっかりするなよ」
「いえ、私は別に男が好きななわけじゃ……;;」

 カップリングは「セレ×白」ですが
正直、カナセレも大好きです。
セレストが情けないのは
その所為だということで……
この作品の間に入る「落霞紅2.5」はこちらです。