落霞紅

この話は、2002年夏発行の王子さまLv1本です。
在庫がなくなり、再版の予定が無いためここへ掲載しました。
既にご購入の方には申し訳ありませんが
ご了承くださいますよう、お願いいたします。

BY 月香

 かつて、ルーキウス王国の王冠盗難事件を引き起こした白鳳は、その夜闇に紛れて国を脱出する予定だった。
 それを引き留めたのは、セレストだった。
 近衛隊副隊長でもあり、今回の事件の当事者兼被害者でもある彼だったので、白鳳は自分を直に捕らえに来たのだろうと、一瞬身構えた。
 が、セレストはどういう訳か、追っ手は来ないと言う。それどころか、白鳳と夜を共にしようと言うのだ。
 ただの同情にしては、余りにも思い切ったことをすると、白鳳は内心驚いていた。まさかセレストが甘い感情でもって、そんなことを言ってきたわけではあるまい。
 だが、そんな自分の心の内を他人にあからさまにする白鳳ではなく、平常心を装うとセレストを誘い、彼に抱かれた。
 そして夜が明ける前に宿を後にし、ルーキウス王国を出たのだった。
 白鳳は自分を抱いた男の顔を朝の光の中で見たくなかった。見たくなかったというよりは、見せたくなかったのだ。自分の、顔を。
 肌を重ねながら、セレストは「自分を奴隷にした後も、そんな顔で抱かれるつもりだったのか」と聞いてきた。
 そんな時の自分の顔など、知る由もない。
 白鳳は今まで、ただ楽しめればそれで良かったのだ。だから、自分の表情になど興味はなかった。
 自分は楽しんでいたはずだ。だから彼に抱かれている時も、いつもの様に快楽を求め、相手を翻弄し、うっすらと笑みを浮かべる──。そんな表情をしていたはずだったのだ。
 自分は、セレストにどんな顔を見せてしまったのだろう。
 彼は、自分の一体どんな表情を見ていたというのだろう。
 わずかに、ほんのわずかに見せてしまった自分の弱みに、セレストは敏感に反応を返してきた。
 セレストは幼い頃から高貴な人間に仕えてきたのだ。仕えるべき相手の微かな感情を理解しようと努めるうちに、他人の隠した心まで感じとれるようになっていたのかもしれない。
 弟にかけられた呪いを解くために、モンスターハンターとして世界を放浪して来た白鳳だったが、ほとんどの男の子モンスターを捕まえた今となって、ふと思い出したのがセレストのことだったのだ。
 捕らえなければならないモンスターが、遂にルーキウス王国の温泉きゃんきゃんだけになったと、そう考えていたせいだろう。
 今までセレストのことを、全く思い出さなかったわけではなかった。青い髪の青年を見かけ、息の詰まるような感覚を覚える事は度々あった。自分は一体何をセレストに求めていたのか、自問自答することもあった。
 完全な答えは遂に導き出されることはなかったけれども、あの時は否定したが、自分の弱さを垣間見せてしまった彼に、頼ってみたかったのかもしれない──。
「いいかい?スイ……。ほんの少しだけ、最後に寄り道をしても」
 そして白鳳は、この旅が終わる前にもう一度、セレストに会いたいと思ってしまったのだった。
 

■■■■■


「今晩は、お久しぶりですね」
 セレストは最初、その言葉が自分に向かって言われたものだとは思わなかった。
 何故なら、自分にそんな言葉をかけてくる者がここにいるとは思っていなかったからだ。こんな国を離れた酒場で、自分の知り合いに会うことはまずないだろうと。
 セレストは、ルーキウス国王の親書をこの国へと届ける任務を仰せつかっていた。
 ついさっきその役目も終え、今夜は一泊してから、うしを飛ばしても丸一日はかかるルーキウス王国への帰途へとつく予定だった。
 本来ならば国王の親書を届ける役目は文官の仕事だったが、多少遠い国だったこともあり、近衛隊副隊長のセレストがその役目を任されたのだ。
「……相変わらず、つれないですねぇ。セレストは」
 そこまで言われて、初めてセレストは後ろを振り向いた。そして、そこに立つ人物の姿を目にし、驚愕の表情を隠せなかった。
 最後に会ったあの夜から、四年、いや五年は過ぎているだろうか。
「白鳳、さん……」
 セレストは、目の前の白鳳の姿に目を奪われていた。
 最後に会ったあの夜から何年も経っているのに、あの時と変わらぬ姿。赤い異国の服に白い羽のショール。銀の髪は肩で切りそろえられていて、神秘的な紅い瞳で自分を見返していた。
 そしてその肩には、あの時のように彼の弟のスイが小さな姿で掴まっている。
 時が止まっていたのかと思った。
「──おひさし、ぶりですね。本当に……」
 それ以上言葉が出てこなかった。
「いやだな。そんなに警戒しないでください。ただ、懐かしい顔を偶然見つけてしまったので、つい声をかけたくなったんですよ」
 白鳳がセレストと出会ったのは偶然だった。少なくとも、セレストにはそう思わせておきたかった。
 偶然を装ってはいたが、白鳳にとっては必然だった。
 数日前、ルーキウス王国にたどり着いたものの、直接城へ向かうこともできず、どうやってセレストに会おうかと考えていた白鳳は、道を歩く近衛兵からセレストの次の仕事のことを聞いたのだ。
 好都合なことに、セレストは一人で他国へと向かうのだという。
 白鳳はその国へ先回りして、セレストがやって来るのを待っていたのだ。
 他国だということも都合が良かった。あの王国では、セレストが仕えているカナン王子と出会う可能性が高い。
 近衛兵が自分の顔を見ても何の反応を示さなかったことから、自分がこの国でお尋ね者にはなっていないことを知った。だが仮にも自分はこの国の王冠を盗み、王家を陥れようとしていたのだ。あの王子があっさり自分を許すとは考えにくい。
 本当は、遠くからセレストの顔を見ることができればそれで良かった。だが、見慣れぬ夕暮れの街並の中、本人を直に目にして悪戯心が騒いだ白鳳は、セレストが自分を見てどんな反応をするのか試してみたくなったのだ。
「隣、いいですか?」
「あ、……ええ、どうぞ」
 セレストははっと我に返り、白鳳に椅子を勧めた。今、セレストは夕食もかねて酒場で酒を飲んでいたのだ。一人だけでは、そう酒の量も多くはなかったが。
 この店は、以前一度だけ白鳳と酒を飲み交わした酒場と雰囲気が似ていた。席も同じようなカウンターだった。目立った違いと言えば、少しここの方が広く、ルーキウス王国ではあまり見ないような料理が並んでいるくらいだろう。
「何か、飲みますか?」
「ええ、そうですね……貴方と同じものを頂きます」
 セレストは、カウンター向こうの店員を呼び止め、白鳳のためのものと、自分の飲み物を注文する。今度は、今飲んでいるものよりも少し強い酒だった。
 酒は好きだったが、今日は酔う程には飲むつもりはなかった。務めは果たしたとはいえ、まだ仕事中であると考えていたからだ。
 だけれども白鳳を、──ずっと心に引っかかっていた相手を突然目の前にして、平静でいられなかった。
 愛していたわけではなかった。最初は同情……と言っては申し訳なかったが、大半はそんな感情で、残りはどうしてもこのまま白鳳を行かせてしまっては、自分の気が済まなかったからだった。
 セレストはカナンと共に王冠を取り戻した後、兵の追っ手をかけると言ったカナンを押しとどめた。その理由をカナンは当然聞きたがったが、セレストは理由は聞かずにあと一日……いや一晩だけ待って欲しいと申し出たのだ。
 カナンは今日は疲れたからもういいと、直接言いはしなかったが、セレストの真剣な説得に何か理由があるのだろうと分かってくれたらしい。
 実際、城はまだ混乱中で、カナンもつじつま合わせの説明に忙しかったことも理由の一つだった。
 そして、セレストは白鳳に会いに行った。
 辛いのにそうとは言えず、泣きたいのにそうすることも出来ない。そのくせ自分に対してのみ本音を呟いたくせに嘘ぶいて逃げた、白鳳の目を覚ましてやりたかった。楽にしてあげたかった。自分の前で──。
 今思えば、そんな感情だったのだと思う。同情、やはりそうなのだろうか。
 あの夜、成り行き同然でセレストは初めて男と体を重ねた。けれども、考えていたより全く嫌悪感など感じず──それどころか、愛もないままに自分を抱けと言った白鳳が、愛おしく見えた自分が不思議だった。
 目的を成し得るためには手段を問わないと、そう言った彼も本当の姿だろうが、それが弟を元の姿に戻すためだと、言いたくても言えない彼もまた真実だった。
 セレストは、自分を自ら偽り続けている彼が可哀想で、切なかった。
 こんな形で彼を抱くのではなかったと思ったのは、全てが終わった朝だった。
 白鳳の本音が聞きたいと、自分がこうすることで白鳳の心を少しでも開かせることが出来るなどと考えたこと自体が、自分の思い上がりだったのだと、セレストは自らを責めた。
 事件の被害者となった自分に彼を糾弾する権利はあっても、自分自身にはその資格は無かったのだ。
 朝日の射し込む部屋には既に白鳳の姿はなく、その痕跡すらも見いだせない程だった。
 ただ残っていたのは、自分の肩にわずかに付けられた紅い爪の跡だけだったが、それも数日できれいに消えた。
「貴方は、私を捕まえないんですか?……私は、あなたの国を奪おうとした犯罪者ですよ。それに、温泉きゃんきゃんも、いつか必ず手に入れてやろうと狙っている」
 数年前の出来事へと記憶を飛ばしていたセレストは、白鳳のその言葉で我に返った。
 確かに白鳳には、ルーキウス王国の天然記念物に指定された、温泉きゃんきゃんが絶対に必要だった。その理由を知っているセレストは、白鳳に温泉きゃんきゃんを諦めろと酷なことは言えず、けれども協力することも難しかった。
 国の方針が変わらない限り、セレストは温泉きゃんきゃんを外敵から守らねばならないのだ。
 自分の立場と職務に誇りを抱いていたセレストは、それが邪魔だと思う時が来ることなど考えもしなかった。
「……今は、勤務外です、から──」
 セレストはそれだけを、何とか口から絞り出した。
「ふふふ、変な言い訳ですね。でも、その方が私には好都合だ」
 白鳳がグラスを弄ぶその指先を、セレストはじっと見つめていた。



「この国には、いつ、いらっしゃったんですか?」
「──今日、着いたばかりですよ。宿を取ってすぐに食事に出かけたら、街を歩く貴方を見つけたんです」
「そうなんですか」
「ええ」
「そうですか……」
 スイはお腹が一杯になったのか、白鳳の手元で体を丸めて眠っている。こうなってしまえば、スイは朝までなかなか目を覚ますことはなかった。
 本当に、今日はそんなに飲むつもりはなかったのだが、セレストは白鳳と何を話したら良いのかわからず間をもたせるために、自然にグラスの数が増えていった。
 会うことを目的としてやってきた白鳳と違い、思ってもみなかった出会いをしたセレストは、聞き手役に徹するだけで精一杯だった。
 自分の方を見ようとせず、口数も少ないセレストの態度を、白鳳は当然の反応だろうと思っていた。セレストにとっては、あの夜のことは思い出したくもないことだっただろう。お互い意識して、カナンのことやルーキウス王国、数年前の事件のことは話題にすることを避けていた。
 それでも、自分に付き合って話しを聞いてくれるだけで、白鳳は嬉しかったのだ。
「……こんな所で会ったのも、何かの縁ということで──どうです、セレスト?」
 だから、白鳳がセレストに誘いをかけたのも、乗ってくるはずがないと確信していたからだった。セレストの嗜好はノーマルだと白鳳は思っていた。一度目は勢いで事に及んでも二度目となれば躊躇する筈だ。
「何が、です?」
 いくら酒の量が増えても、自分と目を合わせようとしないセレストへの、ほんの意地悪のつもりもあったのかもしれない。
「私と、また、寝てみませんか?」
「──は……」
「……ふふふ」
 唖然として自分の顔を凝視するセレストを見返して、白鳳はそれだけで満足していたのだ。だが。
「遊び、ですか」
 思いの外、真剣なセレストの声を聞いて、白鳳は顔を上げた。さっきまでろくに自分を見ようとしなかったセレストが、今は自分の目を真っ直ぐに見つめている。
「──?セレスト……」
 顔を赤らめて必死で否定するのか、逆に青ざめて自分を責めなじるのか、そんな自分が想像していたような態度ではなく、悲痛な表情で。
「俺は、お断りです!……遊びで、そんな……」
「では……遊びではないと言ったら、貴方は信じますか?」
 セレストは、顔を歪ませる自分とは対照的な白鳳の微笑む様子に、本気なのか冗談なのか計りかねていた。出会った頃の自分であれば、冗談なのだと端から拒絶していただろう。
 だが、セレストはそれだけが白鳳の姿ではないということを、今では知ってしまっていたのだ。
「それは……」
 掴み所のない白鳳の表情に、セレストはどう答えたら良いか分からなかった。
 はっきりと答えを返さないセレストに、白鳳は無理もないと思う。そう思われるように、白鳳はずっとセレストの前で振る舞ってきたのだから。
 遊びだと思われるのは、白鳳にとって本望だった。
「いいんですよ。これは、遊びですから……最後の、ね」
 その言い方に引っかかり、セレストは聞き返す。
「最後?」
 白鳳は手にしたグラスの中の酒を飲み干すと、自分でも確認するようにセレストに答えた。
「ええ。実は、スイと……弟と一緒に故郷へ帰ることができそうなので」
 ということは、スイの、弟の呪いを解く目処が立ったということなのかと、セレストは心の底から良かったと言ってあげたかった。と、同時にある疑問が浮かびあがる。
 良かったですねと言う前に、その疑問が口をついて出た。
「本当ですか?!じゃ、じゃあ、世界中の男の子モンスターは……」
「あと、一匹なんです」
「それは、まさか……」
「ええ、温泉きゃんきゃんです」
 やっぱり、とセレストは胸に重苦しいものがのし掛かったような感覚を覚えた。
「──それで、俺に近づいたんですか?」
 少しの間の後、セレストが発した言葉は先ほどまでのものと比べものにならない位、低く響いた。酒場に居るというのに、周りの喧騒が耳に入ってこなかった。
「え?」
「もう、俺が誰に仕えているか分かっているでしょう。温泉きゃんきゃんのために、今日、俺に声をかけてきて……俺と寝ようだなんて、そんなことを言うんですか!」
 喜ぶべきことなのだ。白鳳の弟スイが元の人間の姿に戻る時が近いということなのだから。なのに、セレストは白鳳が自分に近づいて来た理由が、自分を利用するため、ただそれだけなのだと思うと、悔しさに目眩がしそうだった。
「貴方は、俺を利用しようとしているだけなのでしょう?……いいでしょう、寝ましょうか。あの時のように」
「セレスト、私は──」
 白鳳が何か言いたげにしていたが、セレストはそれ以上何も聞きたくなかった。
「ただし、俺は貴方の企みには乗りませんよ。それでも、よろしければ」
 言ってしまった後で、セレストはなんてことをしてしまったと、後悔していた。これでは、あの時よりもたちが悪い。白鳳が自分のことなど、どうでも良いのだということは分かっていたはずだ。
 きっと今日、白鳳に会わなければ、この感情が恋かもしれないだなんて、一生気が付かなかっただろう。
 だけれども、向こうから声をかけてきてくれたことや、一緒にこうして酒を飲んでいてくれることがこんなにも嬉しくて、錯覚してしまっていた。
 この人が純粋な好意で、自分の側に居たのかもしれない──だなんて。
 やはり、白鳳が自分にちょっかいを仕掛けてくるなんて、遊びでなければ策略以外の何者でもないのだ。
 グラスを両手で押さえ、自分から目を逸らしていたセレストに白鳳は無表情で答えた。
「いいですよ。私の計画には、乗ってくださらなくても」
 あっさりと了承する。
「白鳳さ……」
「行きましょうか。貴方の宿へ?それとも、私の……?」


■■■■■


 セレストは白鳳の泊まる宿へ来ていた。
 自分の宿では以前のように目を覚ます前に、彼がどこかへ行ってしまうだろうと危惧したからだ。
 だから今も、熱を冷ますためベッドから出て行こうとした白鳳を抱き寄せ、自分は朝まで眠らずにいるつもりだった。スイは少し離れた棚の上で毛布にくるまれ、眠り続けている。
 薄目を開けてじっと自分の顔を見ているセレストから、白鳳はせめて顔を逸らそうと試みるが、思いのほか力強い腕に逃れられずため息をつく。
「……セレスト、ずっとそうやっているつもりですか?」
 離して欲しいと言外に責められても、セレストは気づかない振りをした。
「ええ」
 せめて、今だけでも恋人と過ごしているのだと思わせて欲しくて、セレストは白鳳の銀の髪をゆっくりと梳く。夜目にも輝く銀糸に、長く伸ばしたらどんなに栄えるだろうかと思いを巡らした。
「眠ったら、どうです?」
「……白鳳さんが寝たら、俺も寝ますよ」
「ずっと、私の寝顔でも見ているつもり、ですか?」
 白鳳はセレストに自分の顔を見られていたくなかった。あの時言われた言葉に今でも拘っているわけではなかったが、やはり少しは気になる。
「ああ、眠り辛いですよね、すいません。じゃあ、こうしてますから……」
 そう言ってセレストは、更に白鳳を腕の中に抱き込んだ。寝台がそんなに広くないためそうするしか出来ないのだろうが、顔は見えずとも先刻よりもずっと密着した状態になり、白鳳は正直困惑していた。
 以前一度だけ抱かれたあの頃よりも、確実に容色は落ちているはずの自分を、セレストは嫌悪するわけでもなく、むしろ積極的に自分の手を引いた。
 さっきから、なんだかセレストのペースに引きずられてしまう。
「……あの、セレスト、どうもこういう体勢で眠るのは、慣れてないもので」
 そう言われて、セレストは逆に不審に思う。考えたくはないが、白鳳のように奔放な者ならば、誰かと夜を過ごすことなど日常茶飯事なのではないかと思ってしまうのは当然だろう。だからこそ、今こうして自分の腕の中に、留めておきたかったのだけれども。
 もしかして──と淡い期待を抱きつつ、セレストは白鳳に聞かずにはいられなかった。
「……眠らないんですか?──では、いつもお一人で?」
「ええ、そういうことになりますか」
 あ、スイは一緒ですけどね。と笑っている腕の中の人に、セレストは口に出すつもりのなかったことまで聞いてしまった。
「どうして。貴方だったら世界中至る所に恋人でも居るんじゃないんですか?」
 ストレートにそう聞かれ、白鳳は思わず吹き出してしまった。それに対する白鳳の答えは、簡潔なものだった。
「寝首をかかれますから」
「……」
 体はともかく、心までそう簡単に許してしまっては、旅の身でこんなにも危険なことはないと白鳳は言った。
 笑ってそうは言っているが、今まで頼る者も無く、たった一人で弟を守りながら旅を続けてきた白鳳の心境を察すると、セレストは言葉に詰まる。
 以前の自分であれば言えた言葉が、今は言えない。気の毒だ──などと、決意を持って行動している白鳳に対して、そんな一言で片づけてしまうのは酷く残酷に思えた。
「貴方はそんなこと、しないでしょう?」
「しませんよ、そんな!」
 全く心外なことを言われて、思わず勢いをつけてがばっと体を起こした。そんな姿を見上げて白鳳は笑みを浮かべる。
「ふふふ……やっぱりいいな、セレストは」
 白鳳は人差し指でセレストの首筋をそっとなぞり、ついさっき自分が付けた口づけの跡を満足気に確認した。
「何がです……」
「最後の遊びの相手にして、良かった」
 弟を元に戻すという理由が無くなれば、自分のこんな旅は終わる。
 なりふり構わず突き進んでいた自分に理由が無くなってしまえば後は本気になるしかないから。──という、白鳳の本音は今のセレストには分からない。
「最後だなんて……、故郷に帰られてから、いくらでも遊べばいいじゃないですか。でも私は貴方の企みには、決して協力なんてしませんよ」
 そうして、ルーキウス王国の周りを彷徨いていればいいんだなどと、大人げないことを考えてしまったセレストは、更に自己嫌悪に陥った。
「かまいませんよ」
 寝ころんだまま答えた白鳳に、あっさりと自分の言葉を肯定され、セレストは聞かずにはいられない。
「どうして……じゃあ、温泉きゃんきゃんは──?」
 その、最後の男の子モンスターが捕まえられなければ、白鳳の弟スイは元の姿に戻れないはず。
 まさか、手に入れなくても望みを叶える方法でも見つかったというのだろうか?それとも、ルーキウス王国から無理矢理に、温泉きゃんきゃんを奪う手だてでも考え付いたのだろうか……。
「当てがありますんで。……温泉きゃんきゃんは、ルーキウス王国だけに居るのではないことが最近分かりましてね」
「……何ですって?」
 セレストは初耳だった。流石に、全てのモンスターの情報を把握しているわけではないが、温泉きゃんきゃんを天然記念物に指定した後、リプトン国王が近隣の国に、それに該当するような男の子モンスターが出没しないかどうか、問い合わせの使いを出したことがあった。
 その時の話では、やはり温泉きゃんきゃんはこのルーキウス王国の温泉、三番湯以外では発見されていなかったはずだ。
 オクトマンに襲撃を受けた時も、一度は他の温泉に身を寄せていた温泉きゃんきゃんだったが、三番湯以外では生きていけないと、戻って来ていたではないか。
「あの三番湯と源泉を同じくする温泉が、ルーキウス王国の隣国にあることが分かりましてね。そして、そこには天然記念物ではない、温泉きゃんきゃんが居るそうなんですよ」
 その言葉はセレストに衝撃を与えた。もっとしっかり調査をしていれば、分かったことだったと思うと、自分達の調査の甘さを反省した。そして、それ以上に白鳳が最後に求めるモンスターが、自分の国ルーキウス王国に居るのではなかったことを悔しく思う。
「そ、それでは、白鳳さんがこの国に居たのは、もしかして……」
「そこへ、向かう途中でした」
 それは嘘だった。白鳳はセレストと会うために、数日前までルーキウス王国に居たのにわざわざこの国までやってきたのだ。
 そんなことを知らないセレストは、喜ばしいことではないかと無理に自分に言い聞かせていた。
 ──これで白鳳さんが、最後の望みのモンスターを手に入れることができる。そうすれば、当ての無い旅を続けなくても良くなるのだし、カナン様も……ルーキウス王国も面子を潰さなくて済むんだ。
 セレストは血の気が引くほど落胆している自分に気が付いた。白鳳が自分に対して、何らかの思惑を持つ理由なんて、何も無かったのだと……。
 と、そこまで考えてセレストは腑に落ちないことに気づいた。
「で、では、貴方は、俺と寝る必要なんてなかったんじゃないですか?!」
「どうして、ですか?」
 白鳳が紅い瞳でセレストを見上げる。
「だって、貴方は、温泉きゃんきゃんを手に入れるために、俺と……」
 それ以上続けることができず、セレストが口ごもると白鳳は楽しそうに笑った。
「そんなこと、言った覚えはありませんよ。ふふふ……セレスト、やっぱり、貴方は可愛い人だ」
 セレストはずっと、何らかの打算があって白鳳が自分と体を重ねたと思い込んでいたのだ。
 確かに、そんなふうに考えるようにし向けたのは白鳳自身だったが、こうも見事にひっかかってくれるとは、何だか楽しくてしょうがない。
「じゃあ、どうして俺と……ああ、遊び、でしたね」
「ええ、そうです」
「そうですよね……」
 『遊び』だという言葉に傷ついている様子のセレストを見て、白鳳は自分の考えが間違っていなかったことを感じた。
 嫌われているのだろうと思っていた。何年かぶりに再会した後は、自分と目を合わせてくれなくて、つい悪戯心を出したら自分が思うよりも過剰に反応されて──。さっきも体を重ねている時に何を言われるのかと構えていたのに、結局会話らしい会話は無く、後悔しているのだろうかと思えば、自分をその腕から離そうとしなかった。
 自分は、彼に好かれている?好きなどという大げさな感情でなくても、気になる存在としてセレストの心の中に、ほんの少しでも残してもらえるのだろうか?
「セレスト」
「はい?」
 名を呼ばれて反射的に返事を返したセレストに、白鳳はほんの少し間を置いてから再び口を開いた。
「セレスト……実は、私は嘘を付いてたんです」
 白鳳は、久しぶりに再会をした想い人に向かってそう呟いた。
 今更何故そんなことを言うのかと、セレストはため息を付くしかなかった。
「嘘なんて、いつもなんじゃないですか?」
 確かに本音を素直に言ったことなど、ほとんど無いのかもしれない。呆れ顔のセレストに、白鳳は彼の思い通りの台詞を言ってやった。
「ふふふ……そうですね。信じなくても、結構ですよ」
 ただ、聞いてもらえれば良い。あの時のように。
「それで、何なんです?」
 嘘だと言いながらも律儀に聞き返してくるセレストを見上げながら、白鳳は本当は黙っているつもりだったことを打ち明けた。
「私は、実はこの国には三日前から来ていたんです」
 もったいぶったような言い方に、セレストはその言葉の真意を計りかねていた。三日もあれば、ここからルーキウス王国に向かうには十分だ。となれば、温泉きゃんきゃんが居るという隣国にも着いていておかしくない時間だった。
 白鳳の旅は、急ぎの旅ではなかっただろうか。
「……それだけの時間があったら、温泉きゃんきゃんを捕まえに行けたんじゃないんですか」
 セレストの冷静な物言いを、白鳳は再び自分のペースに引きずり込んでやろうと思った。
「用事があったものですから、……あ、貴方に会いたくて──」
 決して誰も裏切らない人。そんなセレストを羨ましく思う。自分には出来なかった生き方だから。
「え?な、何を言っているんですか?!……それも、嘘、なんでしょう?」
 自分が今何と聞いたのか信じられず、冷や汗をかいて狼狽えているセレストの顔を見ているうちに、もっと意地悪をしてやりたくなってきた白鳳は、答えずにはぐらかした。
「ふふふ……さて、どうでしょう?」
「本当、なんですか?」
 本当だったらいいと、つい期待してしまったセレストの再度の問いかけにも、白鳳は答えなかった。
「さあ……」
「白鳳さん!」
 夜も深いというのに、耳元で大声を出したセレストを白鳳は諫めた。
「ああ、もう眠りませんか?……いなくなったりしませんから、このまま、寝ましょう」
 セレストの腕が引き寄せられ、白鳳の銀の髪がふわりとかかる。
 白い肢体が自分の胸にすり寄って来たおかげで、セレストはまんまと白鳳に話をはぐらかされてしまった。
 腕枕の状態になっていることに気づき、セレストはいっそう高まった胸の鼓動を白鳳に気づかれないかと冷や汗をかいた。
 自分で白鳳を抱き寄せた時は慌てることも無かったのに、どうして白鳳の方から逆に身を任せて来たことに、こんなに気恥ずかしさを感じるのだろう。
「……あ、でも、この体勢だと寝にくいって言ってませんでしたか?」
 なんとか冷静さを装い、心臓を落ち着けながらセレストはさっき言われたことを思い出した。白鳳に無理をさせてまで、自分と居て欲しくはない。
「セレストは、寝首なんてかかないでしょう?」
「当たり前です!」
 再び間髪入れずに即答したセレストに、微笑んで見せて白鳳は目を閉じた。
「そうでしょう?なら安心して眠れる……。本当に、こんな風に誰かと眠れるなんて、考えたこと、無かった」
 こんな風に誰かと体を合わせたまま眠ることができるなんて、弟のスイと一緒に旅をしていた頃以来だと、白鳳は懐かしいその人間の体温に身を委ねた。
 もう少し、この感触を味わっていたいと言ったら、セレストはどんな顔をするだろうか。それに、スイは……。
 白鳳は、明日の朝になってもまだ自分にその気があれば、セレストの国へ帰る道連れにしてくれないかと言ってみようと思った。どうせ、行き先は同じ方角だ。
 あれから十年、その時間を白鳳は弟のために男の子モンスターを捕らえる旅に費やして来たが、そんなことで自分の罪が許されるとは思っていない。自分の愚かな行動のせいで、弟は若い時代を思うままに過ごせなかったのだ。これから先の自分の命も、弟に捧げる位の決心はあった。
 今日セレストに声をかけたのも、本当に、最後の遊びのつもりだったのだ。それがほんの少し延びるだけだ。
 元に戻ったら、何でも言うことを聞いてあげるから、だからもう少しだけこの遊びを続けさせて欲しいと、白鳳は離れた場所で深い眠りについている弟に願った。
 


 間もなく規則正しい寝息が聞こえてきて、セレストはゆっくり目を開けた。
 ──こんな風に誰かと眠れるなんて、考えたこと無かった──
 白鳳の言葉を思い出す。 
 セレストはやっと、白鳳の本音を少しだけ垣間見た気がした。
「……ええ、安心して、眠ってください」
 セレストは、自分の腕を枕代わりに寝息を立てている白鳳を、このままずっとに腕の中に閉じ込めておきたいと思った。
 けれども明日になれば、別れの時が必ず来るのだ。セレストはそれまで、自分勝手な思い込みでもいいから、腕の中の人に今度こそ安らぎを与えてあげたかった。
「……あ」
 そしてあることに気づいた。白鳳の最後の目的地は、自分の国の隣国だと言った。ならば、これから向かう行程は途中まで同じ筈。もう少しだけなら一緒に居られるかもしれない。
 白鳳は嫌がるかもしれないが、そう提案するだけならいいはずだと、セレストは口元に笑みを浮かべた。
 きっと、弟のスイが元の姿に戻れば、白鳳は自分のことなど忘れてしまう。せめて良い思い出の一つとして自分のことを思い出してくれたらいいと、セレストは願った。
 カーテンの隙間から見える夜空が、段々と白みを帯びてきた。
 間もなく、夜が明ける。

                                   《ende》
王レベ1の公式カップリングの中で
最もマイナーなセレ×白です。
私もこの話を考えついた時は
何で!?と思ったのですが
頭から離れなくなってしまいました……;;

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