天ヲ咲ク祈リ(お試し版)

                          BY 月香



 鴆が死んだ。
 『鴆』にしては大往生だったと言うことだが、オレにとっては全然短い。
 それでも、随分前から鴆が死ぬことを覚悟していたオレは、どうにか皆の前では泣かないで済んだ。



 そしてオレは今日も、理由など無く薬鴆堂へ向かう。
 庭が良く見える縁側に腰を下ろし、自分で持って来た酒を勝手に一人で飲む。
 小さな池の畔には、躑躅など花の咲く低木が植えてあって、オレは鴆と二人で毎年、花を愛でながら酒を飲んだ。
 奴良組の三代目総大将を襲名してから、もう何十年経っただろうか。鴆と二人で眺め続けたこの風景は昔と全く変わらなかった。きっと、この先もそうなのだろうと思うと、なんだか胸の辺りが暖かくなるのだった。



「いらっしゃいませ、三代目」
「おう、邪魔してるぜ」
 畏を解き、薬鴆堂の縁側に座り、姿を隠さないままで酒を飲んでいると、ようやくオレに気づいた蛙番頭がやってきた。
 蛙番頭も心得たもので、オレが来たと分かれば特に詮索することもなく、さっと酒の肴を用意してくれるのだった。
 ちなみに酒はオレが持参したもので、盃は鴆の部屋に置いてある。いつも鴆と二人で使っていたものだ。
 本当ならば、この目の前の部屋は、新しい薬鴆堂の主が使う予定だったのだが、オレの我が儘でこのままにして貰ったのだ。だから今、この部屋は無人だ。
 オレには総大将としての様々な雑務があったが、その時間の合間を縫って、薬鴆堂へ訪れていた。
 そして、この部屋の前から庭を眺め、鴆が居た頃の思い出に浸ることが最近の楽しみであり、息抜きだった。



 蛙番頭の用意した肴をつまんでいると、屋敷の奥から緑色の羽織を肩にひっかけた青年が足早にやってきた。
 新しい薬師一派の頭首は、鴆が一族の里から選び、養子として教育した者だ。
 小さい頃から鴆が手元に置いて育てていたので、オレもよく知っている者だった。
「……失礼します、三代目」
「ああ、黄寿(こうじゅ)か」
 黄寿が当代の『鴆』だということは頭では分かっていたが、オレはまだコイツを『鴆』と呼べないでいた。
 未練だということは重々承知している。
 黄寿もそれを理解していて、特にオレに文句を言うこともない。だから、ここは落ち着く。
 本家に居る時に、うっかり当代の鴆のことを名前で呼ぶと、生真面目な黒羽丸達に怒られるのだ。
「ようこそいらっしゃいました、三代目。ろくなお構いも出来ず……」
 そう言って黄寿は頭を下げた。
「あー、気にするな。勝手に来て勝手に帰るからよ」
 そもそもオレはぬらりひょんだ。オレがその気になれば、誰にも全く気づかれないように酒だけ飲んで、つまみも勝手に頂いて帰ることもできる。
「固っ苦しい挨拶はいい。お前は鴆の義理の息子だ。そしたら、オレにも息子同然ってもんだ」
「恐れ入ります」
 黄寿が深く頭を下げた。息子同然だって言ってるのに、頑なまでに礼儀を欠くことは無い。もっと砕けて付き合って欲しいのだが、奴良組総大将のオレは黄寿の主なので、それは出来ないの一点張りだ。
 そういや死んだ親父も小さかった鴆を息子みたいに扱ってたっけなぁと、しみじみと懐かしく思う。
 親父はオレに鴆を、オレの兄だと紹介した。その所為で鴆は本家に訪れるたびに、オレに纏わり付かれて苦笑していたことを思い出した。
「あの、……一つご報告したいことがあります」
 黄寿が珍しく、曇った表情をしている。
「なんだ?」
「……先代が亡くなって間もない時に、こんなお話をするのは気が引けるのですが」
「ん?」
「患者から、妙な噂を聞きまして……」
 やけに歯切れの悪い黄寿に、オレは表情を引き締め、続きを促した。
「言ってみろ」
 オレの許可が出たことでようやく腹を据えたのか、本題に入った。
「はい。実は……先代の幽霊が出る、らしいと……」
「鴆の幽霊?妖怪の?」
「はい」
「お前のことじゃねぇのか」
 当代の『鴆』は、オレの鴆の従兄弟の子なので、容貌が似ているのだ。整った顔立ちに、短く切りそろえた緑の髪の毛。それは『鴆』の特徴でもあったが、オレの鴆や後継者を良く知らない者であれば、見間違えた可能性がある。
 しかし黄寿は首を振る。
「見たと言っている妖怪は、昔から義父上のことを良く知っていたようで、絶対に見間違える筈はないと言うのです」
「ふうん」
 人間の幽霊なら珍しくもないが、妖怪の幽霊なんて聞いたこともない。
 黄寿も、妖怪は死んだら消え、人間のように魂魄など残る筈もないと言う。
「……それは、誰が見たか分かるかい?」
 オレが訊ねると、それを想定していたのだろう、黄寿は懐から一枚の和紙を取り出した。
「はい。この者達が見たと言っております」
 用意の良い黄寿に感心しながら、ざっとそれに目を通す。見ると、十人ほどの名前が書かれていた。
「多いな」
「はい、なので気になりまして……」
 一人二人ならば何かの見間違いかとも思うのだが、これだけの人数が見ているとなれば、幽霊でなくとも何か原因がありそうだった。



 オレは、苛ついていた。
 よりによって、オレの死んだ恋人が幽霊になって彷徨っているだなんて妙な噂、広めた奴の意図が知りたい。
 ──幽霊でも何でも、会えるものなら会いたいのはオレの方だ。
 鴆は短命な妖怪だった。それは出会った頃から重々承知していた。鴆自身からも口を酸っぱくするほど何度も聞かされ、理解していた……つもりだった。
 だから、鴆が身毒の所為で身罷った時も、オレはなんとか喪失感に耐えることが出来たのだ。
 そうだ、オレは耐えたのだ。寂しく思わないわけが無いのだ。
 オレがそうやって必死に耐え、鴆と二度と会えないことを覚悟したと言うのに、オレ以外の奴が鴆の幽霊と会っていたなんて許せない。それも、オレより先に。
 それが本当に鴆ならば、どうしてオレの目の前に真っ先に現れないのか。
 人間の幽霊は、この世に未練を持って化けて現れるものだ。ということは、鴆は、オレに未練を持っていないということなのか……。
 いや、そんな訳はない。死ぬ直前まで、いや死んでもオレ達はずっと一緒だと、誓い会ったじゃないか。
 そして、もしこれが誰かの騙りだとすれば、鴆の姿を真似ている不届き者がいるわけだ。
 畜生、鴆の命とオレの純情を軽々しく弄びやがって……。見つけたら、ただじゃおかねぇ!
「分かった、黄寿。この話はオレが預かる」
 オレが総力を挙げて詳しく調べると言うと、黄寿はほっとしたように笑った。
「はい!是非ともお願いいたします」
 見たヤツが嘘を吐いているのか、何かを見間違えたのか。もし本当に鴆に似た幽霊のようなモノがいるなら、それの正体は一体何なのか──オレの精神状態の安定の為にも、早急に突き止める必要があった。



~後略~



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