言祝ぎを辿って(お試し版)

                          BY 月香




※作中の暦は、平成二十一年のものです。

 縁側に腰掛け、両手で大きな湯飲み茶碗を抱えていたリクオは、大きな声を出した。
「え?十五夜って十月三日だったんだ?」
 そういえば、縁側にお団子が並んでたような……と呟く。本家の妖怪達が月見だと言って庭で宴会を開いていた様子は見たが、そんなことが日常茶飯事だったため、リクオはそれが十五夜、旧暦の八月十五日だということをすっかり失念していた。
「じゃあ、旧暦の八月十二日って、もう過ぎちゃったんだ!」
 どうしてリクオがそんなことを聞いてきたのか分からなかったが、そうだと鴆は頷いた。
 今日は珍しく、日が高いうちにリクオが薬鴆堂へ訪れていた。
 日中は学校生活などの人間の営みがあり、夜は夜で奴良組総大将としての役目があるリクオは、なかなかまとまった自分の時間を持つことができなかった。
 リクオが三代目を襲名したのは去年の九月二十三日。リクオが十三歳の誕生日を迎え、妖怪として成人した日だ。
 もう一年以上も前のことだが、鴆にとってはまるで昨日のことのようだ。
 返す返すも、その日のことを思い出すと──腹立たしい。
 鴆は、リクオが三代目を襲名するその日、体調不良によりどうしても床を離れることが出来ず、薬鴆堂で高熱を出して寝込んでいたのだった。
 その夏に、羽衣狐との決戦のため京都に向かったリクオに無理矢理付いて行ったことが原因なのか、鴆は残暑に耐えきれず、長く伏せっていた。リクオの一世一代の晴れ姿を自分の目で見ることが出来なかった鴆は、悔しさで更に高熱を出してしまったようだった。
 そんな鴆を気の毒に思ったのか、本家の妖怪がこっそり録画していたビデオで鴆に様子を見せてくれたのだが、やはりその場に居合わせることが出来なかったことは今でも悔やまれる。
 リクオは、奴良組の宿敵である晴明との決戦を終え、敵妖怪の残党の処理など色々と雑事は多かったが、最近はおおむね落ち着いた日常の中にあった。
 鴆は、リクオの為に疲労回復の効果のある薬草茶を煎れて、今日は二人でゆっくりと縁側に座って庭を眺めていたのだった。
 鴆がごくりと飲んだ緑茶には、わずかに血の匂いが残っている。リクオには告げていなかったが、鴆は今朝方また発作を起こして血を吐いたばかりだったのだ。
 鴆はリクオがせっかく来てくれたのだからと、止める蛙番頭の制止を振り切り、こうして平気な振りをしてリクオの隣に座っていた。



 旧暦の日付など、現代を生きるリクオにはあまり関係の無いことだったので、リクオはその知識に乏しかった。配下の組の一つである薬鴆堂も、奴良本家に合わせて新暦を利用している。
「そうだな。九月の──三十日か」
 鴆がそう答えると、リクオが慌てたように声を上げた。何故か鴆を責めるような拗ねた顔をする。
「結構、過ぎちゃったじゃん!」
「え?ああ、そうだな」
 それは事実だったので、鴆は何でもないことのように答えたが、リクオはどうも不服そうだ。
「もー、早く言ってよ!」
 口を尖らせたリクオに文句を言われたが、理由が分からない鴆は首を傾げるしかない。



~中略~



「いちいち、お祝いとかしなくていいんだぜ?」
 逆に、総大将に気を遣わせてしまって申し訳ないと言う。
「ううん、絶対お祝いするからね」
 楽しそうにはっきりと言い、リクオは笑った。
 そのお祝いってのはやっぱりアレかと、鴆は少しげんなりした。
 微妙な顔で、引きつった笑顔を見せる鴆の考えていることを、リクオはお見通しだったが、気付かない振りをして首を傾げた。
「鴆君、何か欲しいものはある?」
「……いや、リクオの気持ちは嬉しいけどよ、特には無いなぁ」
 リクオは鴆が何も欲しい物を言わないことを分かっていて、そんなことを聞くのだ。
 例えば鴆が自分から、祝いの品はこれが欲しいと希望を言えば、リクオは何でも用意してくれるだろう。しかし正直鴆にはリクオから欲しいものなど何も無いのだ。
 鴆の願いは、リクオが百鬼を率いて、奴良組三代目総大将を襲名することだった。その瞬間を直に見ることは出来なかったが、願いはもう叶ってしまった。 
 それ以上、何かを期待するなんて恐れ多いことだ。こうして忙しい時間を縫って、自分に会いに来てくれるだけで十分だった。
 そう答えた鴆に、リクオは口を尖らせる。
「ボクは、会っていなかった五年間の分も、鴆君をお祝いしたいんだよ」
 有無を言わさぬ勢いのリクオに、鴆は結局頷いてしまう。 
 しかし、『会っていなかった分』と過去形のみで言ったリクオは、あえて避けていたかもしれない。
 これから先、鴆がリクオと会えなくなるであろう長い時間を。『鴆』は短命だ。いずれ、遠くない未来に鴆は寿命を全うし、この世から消える。
 半妖である二代目の鯉伴が、若い姿のまま三百年を生きていたことを思えば、妖怪の血が四分の一とはいえ、リクオもこの先かなりの年月を生きる筈だった。
 奴良組の三代目総大将として、精力的に活躍しているリクオを誇らしげに思い、これから続くであろう繁栄の日々を、鴆は嬉しく思う。
 例え、その場にすでに鴆が居なかったとしても。



 いろいろな記念日はすべて祝いたいと強く言うリクオに、鴆は抵抗することを諦めた。
「だからか、お前──オレが初めて歩いた日とか、そんなのを聞きたがったのは」
 本家では、リクオの成長記録は写真やら何やらで大量に記録されていたと言う。
 それは当然だろう。数百年も待ちに待った三代目の誕生なのだから、周りの歓迎と期待は並々ならぬものがあったことが想像出来る。



~後略~



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