金銀花の夢(お試し版)

                          BY 月香





 リクオが奴良組三代目を継ぐと、そう宣言してからしばらく経った。
 鴆は総会のために本家へ足を運ぶことが楽しくて仕方無かった。数ヶ月前までは、朧車を使っても本家へ訪れることもままならない程に体調が芳しくなく、季節の変わり目には一日起きては数日寝込むということも珍しくなかった。
 今は無理さえしなければ、こうして定期的に総会へ参加することが出来るようになった。
 未だに数多い反リクオ派の者達は、今日もネチネチとあること無いこと適当に鴆達に向かって文句を言ってきたけれど、三代目を継ぐと決めたリクオは堂々としていて、多少の批判や嫌味には動じることは無い。
 いずれ、ぬらりひょんが決めたリクオの十三歳の誕生日が来れば、リクオは次期総大将を襲名するのだ。鴆はそう信じていた。
 広間では既に総会後の恒例の宴会が始まっている。そこにはリクオの姿は無かった。今のリクオは人間の子供の姿だったから、酒の匂いで充満している場所から早々に逃げたらしい。
 鴆は、体調が良かったため最近参加を遠慮していた宴会にも出るつもりだった。その前に、本家の医務室の様子を見に行こうと席を立った。
 普段は本家付きの妖怪医師が常駐していて、薬の在庫を管理している。彼らを信用していない訳では無いが、その管理が適正かどうか判断するのは、薬師一派の頭首の役目でもあると鴆は考えていた。それに、自分が本家の為に出来ることがあるということが、鴆に喜びを与えていた。
 廊下の向こうから、鴆の姿を見つけたリクオが足早にやってきた。嬉しそうに鴆に笑いかけてくる。そんなリクオを見つめているだけで、鴆も胸の奥が暖かくなっていた。
 五年前、突然リクオが奴良組を継がない、人間として生きるのだと言い出した時には、血の気も凍る思いだった。
 鴆にとって、奴良組の総大将に仕えることは生き甲斐そのものだった。初代ぬらりひょんや鯉伴からの直々の頼みで、鴆はいずれ三代目を継ぐリクオを主として仕えることに決まっていた。
 なのにリクオの妖怪嫌いはその後何年も変わらず、鴆は組の、というよりもリクオの将来が気がかりで心労を抱え込んでいた。
 人間の血の濃いリクオが、妖怪の世界で生活することは確かに難しいことなのだろう。だが、妖怪の血の入ったリクオが人間界で普通に暮らしていくことも、同じく簡単なことでは無いように思えた。
 最悪、本当にリクオが三代目を継ぐことを拒否し続けた場合、鯉伴亡き今、老齢のぬらりひょんの後継は誰か別の者になるかもしれなかった。その時、鴆はリクオ以外の者を主として認められる自信が無かった。そんな未来が来るくらいならば、この儚い命など、さっさと絶えてしまえば良いとまで思うようになった。
 今ではそんな心配事が無くなった所為か、鴆の体調もかなり良くなり、こうして総会へも欠席しなくても大丈夫になったのだった。
 病は気から、という言葉は人間界だけでなく妖怪の世界にもある。むしろ『畏』という絶対的な妖力でもって力の優劣が決まる妖怪世界の方が、気の持ちようで色々なことが左右されるのだ。
 鴆の目の前までやってきたリクオの表情が、一瞬ためらうように曇った。
「鴆君」
 人間の姿のリクオが鴆に声をかけてくる。
「どうした?リクオ」
「──今夜はウチに泊まっていくんでしょ?」
 リクオの言うとおり今日は、久々にぬらりひょんから総会後の宴会に参加するよう声がかかっていた。朧車で今夜中に自分のシマまで戻ることも可能だったが、急ぎの用事も無く体調も良かったために、鴆は最初からそのつもりでいた。
「ああ、せっかくの総大将のお誘いだからな」
 頷いた鴆に、リクオが少し困ったような、曖昧な笑顔で鴆の表情を伺ってくる。
「それで、鴆君の布団なんだけど……」
 言いにくそうな様子を不思議に思い、鴆は背を丸めてリクオの顔を覗き込んだ。
「うん?」
「首無が、ボクの部屋に敷いちゃったんだけど……いい?」
「え──?」
 突然の言葉に一瞬返事に詰まった鴆を見て、リクオは両手をぶんぶんと振って、気にしないでと言った。
「あ、やっぱり客間に準備させるね!」
 義兄弟の沈黙を、否定の意味にとらえたのだろう。リクオは慌てたように鴆へ言い直す。くるりときびすを返して首無を探しに行こうとするリクオの肩を、鴆は咄嗟に掴んで引き留めた。
「……いや。お前さえ良ければ、そのままでいいぜ」
 そう答えると、ぱあっとリクオが満面の笑顔を見せる。
 そんな顔をされたらこっちも嬉しくて仕方ないと、鴆は頷いて見せた。



~中略~



 鞍馬の大天狗は、無事だった配下の者に言いつけて、リクオや牛鬼の着替えを持って来てくれた。
 リクオの刃と鴆毒にやられた仲間のために衣服を準備させた、そのついでだと言ったが、真っ先に衣服を鴆達に差し出してくれた所を見ると、ある程度の敬意を払って貰っているようだった。
「──お前も、着替えろよ」
 リクオは鴆に声をかけたが、それは曖昧な笑みでかわされた。
「いや、オレの着物は無事だから……」
 鴆は、毒羽根を出すために肩口から抜いていた着物をさっと着直すと、未だ地面に横になっている天狗達の容体を確認すべく歩き出そうとする。しかしリクオに、ぐいとその腕を掴まれた。
 予告も無く腕を取られたことと、自分の行動を遮られたことに戸惑い、鴆はリクオに文句を言ってやろうと口を開いた。
「おい」
「黙ってろ」
 有無を言わさぬ強さでリクオの腕に腰を掴まれ、御堂の中へと引っぱられるように歩かされた。
 リクオに他意は無いのだろうが、ついさっきリクオへの義兄弟以上の執着を自覚した鴆にとって、その手の熱さが無性に意識されて、いたたまれなく思う。
 鴆の両足は、木の階段を数段上がるだけでも何度もふらついた。リクオには見抜かれていたかもしれない。実は、立っていることさえも限界だった鴆は、牛鬼や天狗達の様子を見に行くことは諦め、仕方なく御堂の中で少し休むことにした。
 鴆の体には先刻の感覚がまだ残っていて、意識しなくても何度も脳内で繰り返される記憶は、いつも病で冷えがちな鴆の体温を内側から上げている。
 ずっと、リクオの為に共に戦いたいと思っていた。
 鴆の過保護な義兄弟は、毒鳥の脆弱な体質を心配してか、出入りがあっても誘いもしなかったし、今回の京都行きも、鴆を連れて行く気は全くなかったようだった。
 鴆は、京都へはこっそり付いて来たのだ。すぐにリクオにバレるのではと内心ビクビクしていたが、京都の近くまで意外と気付かれずに来ることができた。
 リクオに認められていないということは、鴆はいわば部外者だ。そんな者が宝舟に勝手に乗り込んでいるというのに誰も気が付かないとは、危機管理がなっていないと、鴆は逆に文句を言ってやりたいと考えていた。
 いつもリクオに心配される側だった鴆は、今度は自分が心配してやる番だと、薬師としてそして唯一の義兄弟として、リクオの力になることを強く決心していた。
 それがまさか、こんな風になるとは思ってもいなかったが。「鴆、とりあえず、ここで休みな」
 その言葉に甘えて、鴆は床に腰を下ろさせてもらった。鴆はリクオに毒羽根の畏の全てを預けた時に、妖力と体力の両方を根こそぎ奪われた感覚を味わっていた。
 牛鬼が言うところの『御業』の直後は、こんなにも無防備になってしまうのかと、鴆は自らの体力の無さを痛感した。リクオを信頼していなければ、こんな形での力の預け方なんてとうていできやしない。
「怪我は無えか」
 低く屈み込み、リクオが鴆の顔をまっすぐに覗き込んだ。間近にリクオの顔が迫ったことに動揺した鴆は、なるべく平静を保とうと努力をした。
 今は、さっきまでの繋がっているような感覚は無い。自分の虚勢もリクオにはばれない筈だった。
「──あ、ああ、オレは平気だ。ちょっと疲れちまっただけだよ」
 お前こそどうなんだ、と鴆はリクオの顔に手を伸ばした。
 差し出した腕を強い力で握り返され、鴆はゾクリと体が震えるのを感じた。ついさっきまで、強大な畏れを発して牛鬼と対峙していたリクオの鋭い眼光に射抜かれ、無意識に体が強ばった。怖さではなく、武者震いのようなものだった。
 それを見たリクオが、途端に和らいだ目で心配そうな顔を鴆に向ける。
「本当に、平気か」
 リクオはぺたぺたと鴆の体を着物の上から無遠慮に触ってくる。まるで子供が戯れに触れてくるような手の動きに、鴆はくすぐったさを覚えて目を細めた。
「……お前が庇ってくれていたから、かすり傷程度だよ」
 先刻の、御堂の中で天狗に襲われた時、リクオは鴆を背にして守ってくれた。突然の奇襲から鴆だけは逃がそうと身を挺して庇ってくれたのだ。
 だけども鴆は、守られる為にその背中を見ていたいのではなく、共に戦い、リクオの百鬼として背中を見ていたかったのだ。そう心から訴えた時、リクオは鴆の意志を汲んでくれた。



~後略~




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