救済の技法(お試し版)
BY 月香 |
日の落ちた後の薬鴆堂は、妙薬を販売する店や診療所の方はともかく、主の居室がある側はいつも静かだった。薬師一派組長である鴆が、常に体調が悪く寝込むことが多かったからだろう。 リクオは、目当ての相手が寝ていると悪いと思い、本家から乗ってきた妖怪の背からそっと庭に降り立った。 朧車で訪れる時にはきちんと門から入るが、鯰妖怪に乗って来る時は完全に私用での訪れなので、いつも庭から直接上がり込んでいた。 数日前にここへ訪れた時は、鴆の体調が悪く伏せっていたため、その顔だけを見てすぐに帰った。今日は出来れば直接話を交わしたかったが、まず鴆の様態を確認するのが先決だった。 家人に見つかって騒がれるのも面倒だと、夜の姿のリクオは畏れを身に纏い、その気配を絶ったままで鴆の部屋へと近づいた。 ぬらりひょんの血を四分の一受け継ぐリクオが、ついに奴良組の三代目総大将を襲名したのは先月のことだ。 若頭だった今までのように先触れも無く屋敷を訪れることに、薬鴆堂の番頭にあからさまな困った顔で応対されてから、リクオはなるべくこっそりと鴆の部屋に向かうことにしていた。 リクオは鴆に惚れていた。それを自覚出来たのは、リクオが数年ぶりに妖怪へと変化した夜だった。 自らの側近に裏切られて、焼け落ちた屋敷の跡に座り込む鴆を見て庇護欲にかられた。その後意識を失った鴆が人型を取れずに毒鳥の姿に戻ってしまった時も、その煌めく羽根の妖鳥を自分の物にしたいと強く感じた。 この想いは鴆に伝えてあったが、はっきりした答えを求めるとはぐらかされて、今日に至る。好かれていることは知っているし、リクオの気持ちを拒まれることも無い。だが、リクオは鴆がどのように自分を好きなのか、確信を持てないでいた。 自分が口説き落とす前に、鴆に倒れられては困るのだ。 リクオが静かに足を進めると、鴆の私室から話し声が聞こえた。 良かった、体調はそれ程悪くないらしい。 ならば畏れを解いて堂々と正面から訪問すればいいのだが、ふと、ぬらりひょんの悪戯心が芽生え、リクオはそのまま姿を消し鴆の居る部屋を覗いた。 部屋に居たのは、鴆だけではなかった。 今までこの屋敷では見たことのない子供が二人、淡い若草色の揃いの着物を身につけ、きちんと正座をして鴆の方をじっと見つめている。見た目や顔立ちがとても似ていたので、双子なのではないかとも思った。年の頃は、人間の姿のリクオより少し下だろうか。と言っても妖怪は見た目で年齢を推し量ることはできないのだが。 髪の色が鴆とよく似ていたので、リクオは直感で恐らく鴆の一族の子供なのだろうと思った。 ~中略~ 「──むっ、強い妖気を感じるで」 ゆらがパーカーのポケットから赤い財布をさっと取り出した。中には護符や、強力な式神の札が入っているのだ。 慌ててリクオがゆらの前に飛び出る。ついさっき、むやみに妖怪を攻撃しないで欲しいと言ったばかりだというのに、常に臨戦態勢を取るゆらにリクオはハラハラしていた。 いつの間にか竜二も、マントの中に手を入れていて、それが式神を放つためだと気付いてリクオは声を上げた。 「ちょ、ちょっと待ってよ、花開院さん達!」 目の前に現れた妖怪が敵かどうかの判断は、リクオと馬頭丸がしなくてはいけない。 今まで姿を消して、離れて付いて来ていた馬頭丸が後ろから飛び出してきた。 「……うーん?あ、この妖気!」 馬頭丸がぴょんと跳ねるように走り寄って行く。その様子を見て、リクオは霧の向こうの妖気が敵のものでは無いのだということを知った。 そして、視力の良いリクオが霧の中で見付けたのは意外な相手だった。見慣れた緑色の着物の端が見えて、リクオは確信した。 「鴆君!……何でこんなところに……」 思わずリクオも馬頭丸の後を追うように駆けだした。 「牛頭丸じゃん!もー朝から姿が見えないと思ったら!」 そこに居たのは鴆一人だけでは無かった。馬頭丸と同じ牛鬼組の牛頭丸とそしてもう一人、奴良組ではない妖怪も一緒だった。 「なんだ、お前らも来たのかよ」 「なんだじゃないよー!」 面倒臭そうな牛頭丸に馬頭丸が食ってかかる。リクオの視線の先には、こちらを不思議そうな顔で見つめる鴆がいた。 リクオは先日、夜の自分が一方的に鴆に言いがかりを付けて薬鴆堂を飛び出してから、鴆と連絡をとっていなかったのだ。 早く会って謝りたいと思っていたが、まさかこんな場所で出会うとは思ってもいなかった。 「何でって、それはオレの台詞だぜ。……ちっ、術師も一緒かよ」 鴆は、ちらりとリクオの後ろを見ると、人間の姿に舌打ちをする。 「ボクら、ちゃんと牛鬼の許可はもらったよ」 リクオが答えると、面白くなさそうに鴆も言った。 「……オレだって、牛鬼と鞍馬の大天狗にちゃんと断ってから来たぜ」 それは、鴆の傍らに牛頭丸と、そして大天狗の配下の者が居ることで理解できた。この山は丁度、牛鬼と鞍馬大天狗のシマの境目にある。 だから、天狗がここに居たことは特に驚きはしないが、自分に何の断りも無く、京妖怪の一人が鴆と一緒だったことが気に入らないのだ。 「ふーん、鞍馬の天狗ね。仲良くなったんだね」 「京都じゃ一緒に戦った仲じゃねえか」 元々、鞍馬の天狗達は京都の妖怪で、羽衣狐の配下だった。 鞍馬の山中でリクオが土蜘蛛に対抗する技を身につけるため、牛鬼と鞍馬の大天狗は共にリクオに修行を付けてくれた。だが、天狗達は約束した協力の期限を勝手に切り上げてリクオと鴆を襲い、鴆の毒羽根の畏を纏ったリクオに倒された。当然、天狗達は鴆毒に犯され瀕死の状態にまで陥ったが、鴆は彼らに治療を施し事なきを得たのだった。 その所為か天狗達は鴆を薬師として認めたらしく、羽衣狐との戦いの折も何かと鴆の側に居て、後方で仲間の治療に当たる薬師に降りかかる敵の火の粉を払ってくれていたのだという。 リクオは前線にいたため知らなかったが、随分仲良くなったものだと、義兄弟に馴れ馴れしく近づく天狗達に良い感情は無かった。 「お前こそ、奴良組の三代目がこんな場所で、──そんな奴らなんかと一緒に居るなんてどういうことだ」 鴆が言った『そんな奴ら』とは、リクオと共に居る花開院の陰陽師達のことだ。鴆は、リクオの後ろに居る人間の姿を見ると、不機嫌そうに目を細めた。 「何しに来たんだよ。ここは人間の来るとこじゃねーぞ」 敵意をむき出しにする鴆を、リクオがなだめる。 「鴆君、落ち着いてよ。僕達は茸を採りに来たんだよ。霊力の高い茸だって。今の時期、この界隈の山にしか生えないという……」 「奴良君の新しい刀を作るのに、使えるらしいねん」 祢々切丸が晴明に壊されてしまったことは、奴良組の妖怪ならば皆知っている。そしてそれに代わる、より強力な妖刀を花開院に作成の依頼をしていることも。 共通の強敵に対抗するため、妖怪の奴良組と陰陽師の花開院家が手を組んだのは仕方のないことだったが、鴆はリクオが人間と馴れ合うことにあまり良い顔はしていなかった。 リクオが今までの経緯を簡単に説明すると、鴆は拳を振り上げ奮起した。 「何ぃ?お前らもアレを狙ってんのか!こうしちゃいられねえ!術師なんかに先を越されてたまるかってんだ!」 くるりときびすを返し、鴆はリクオに背を向けてさっさと山道へと足を運ぼうとする。 「え?鴆君も、それを探しに来たの?」 リクオはそう言えば先日、薬鴆堂で会った時に鴆が貴重な茸を採りに行く方法について語っていたことを思い出した。 「じゃあ、一緒に探そうよ。その方が早いだろうし……」 リクオの提案は、自然に口から出たものだった。目的が同じならばバラバラに探すよりは、よほど効率が良いはずだ。 正直、リクオは秀元が言う茸がどういうものなのか全く知らない。実物を見たことがあるのは恐らく秀元だけだったが、その彼もどのような場所にそれが生えているか、実際のところは知らない様子だった。 それに、自分にとって大切な義兄弟の鴆と共に居られることがリクオの希望なのだ。 なのに鴆は冗談じゃないと、一蹴する。 「ああ?術師となんか、馴れ合ってられっかよ!……ッ」 勢いよくそう宣言した鴆は、息を吸い込み過ぎたのか、ばっと口もとを手で押さえてびくりと背を丸めた。 「おいおい鴆、大丈夫かよ」 激しく咳き込む鴆に、側にいた牛頭丸が自然に手を伸ばそうとしたのを見て、リクオは焦りと共に手を差し出す。 「鴆君!」 牛頭丸の手を遮ると、鴆の肩に自分の手を添えてその背をさする。鴆は額に汗を拭きだして、止まらない咳をなんとか押さえようとヒューヒューと細い息を吐く。 「……もしかして、あんまり調子良くないの?」 リクオは、はっとした。鴆が咳き込んだりすることはいつものこととは言え、つい先日まで屋敷で伏せっていたのだ。 体調が悪いのがいつもの状態なのだと言う鴆に対し、リクオはあからさまに気に掛けた様子を周りの者達にも見せつけていた。リクオの狙いは、立場が上の自分がただ一人の義兄弟の体を気遣うことで、周りの者達にも同等の対応をさせることだった。その方が自分の目が届かない場所でも、誰かしら鴆の体調に気を配ってくれるだろうと思っていたのだ。 だが、だからと言っても、目の前で自分以外の者が鴆に構っているのを見るのは、あまり良い気分じゃない。 「──悪いけど、ちょっと離れててくれるかな?」 リクオは鴆の背をさすりながら、牛頭丸達に場を外すように言った。 「何でもねえよ。こんくらい、いつものことだ」 強がって見せてはいたが、会うたびに線が細くなっていくような鴆の姿に、リクオはその命の火がいつまで持つのかと、そんな不穏な考えを取り払うことができない。 それについ先日、薬鴆堂で会った時に鴆は言った。自分の跡継ぎのことを考えているのだと。そして実際に、鴆一族の子供を屋敷に呼んでいたのだ。 分かっていた筈なのに、それが目の前に形となって現れて、リクオは、鴆が居なくなることに全く覚悟が決まっていなかった自分を思い知らされたのだった。 ~中略~ 「どっち行ったらええん?秀元」 ゆらの問いかけに秀元は、いいことを思いついたと、手をポンと打ち合わせる。 「ほな、その枝を拾ってや」 ゆらは近くに落ちていた、五十センチほどの細い木の枝を拾い上げた。 「これ?」 「そう、そしてそれを真っ直ぐに地面に立てて、あ、地面に刺さなくてええから」 「……こう?」 ゆらは秀元の指示の通り、縦に持ち、杖を付くように軽く地面に立てた。 「そして、ボクが合図したら、ぱっと手を放すんや!」 「わ、分かったで!」 「──放して!」 パタン、と木の枝が倒れた。 秀元は木の枝が指した方向をじっと見つめ、真面目な顔でこう言った。 「うん、こっち行こうか」 「ちょお待って!これってただの運任せやんけ!」 ゆらは反射的にツッコミを入れようとして手を振り上げたが、それを察知していた秀元は難なく避ける。 「秀元!アンタ、何か木の枝に念を込めるとか、そんなんせえへんの?」 陰陽師の古来からの能力の一つに、占術がある。天才と名高い十三代目秀元ともなれば、それも得意な筈だった。 もっともな文句にリクオと馬頭丸が頷いた。竜二は眉をしかめている。 「ゆらちゃんが気合い込めたやんか。まあ、ゆらちゃんの勘次第やな」 「……責任重大だな、ゆら」 ニヤニヤと笑う竜二は、ゆらが選んだ(?)右側へとさっさと進み、それにひょうひょうとした秀元が続く。かなりいい加減な決め方をしたのにそれで良いのかと、ゆらが問う前に竜二と秀元が行ってしまったので、仕方なく文句を言いながらゆらも後を追った。 「ほんまに、もう!」 枝が倒れた方の道へ進むゆら達の背を見ながら、リクオは鴆に確認の声をかける。 「……えーっと、ボク達こっちに行くけど……」 「行けよ、勝手に」 鴆はリクオと同行するつもりは無い。むしろ、先に山を登って目的の茸を陰陽師達より早く手に入れようとしていたのだ。ここで遅れを取ることに鴆は苛立ちを隠せない。 「──馬頭丸、君も鴆君と一緒に行ってくれる?」 こちらには日本でも屈指の陰陽師がいる。もし、奴良組に敵対する妖怪が現れたとして、妖怪との戦いであれば、これ以上頼りになる護衛は居なかった。 ならば馬頭丸も鴆の方に付いていて貰った方が、リクオは安心出来る。 「いいよー」 馬頭丸はあっさりと承諾した。牛頭丸と同行できることが単純に嬉しそうだった。しかしそれを断ったのは牛頭丸だった。 「駄目だ。お前はソイツと一緒に行け。そう牛鬼様に言われて来たんだろ?」 「ええー。ボク、牛頭と一緒がいいなぁー」 牛頭丸はそんな、だだっ子のようなことを言う馬頭丸の頭をガツンとぶん殴った。 「うるさい。お前は、そっちだ!」 殴られた頭の上の骨をさすり、ブツブツと文句を言いながら馬頭丸はリクオの元に戻ってくる。 「一応、奴良組の三代目様には名目だけでも護衛を付けなきゃなんねえだろ」 名目だけ、とはっきり言われたリクオは面白くなかったが、後で勝手に護衛を外したことを、牛鬼や鴉天狗に告げ口されて長い小言を聞かされるのも面倒だった。それに、これから山で出会う妖怪が鞍馬大天狗の配下の者かどうかは、リクオには判断出来ない。 「──何かあったら、コイツに分かるように合図飛ばすから、さっさと陰陽師共と行っちまえよ」 牛頭丸が指したコイツとは馬頭丸のことだった。何百年も一緒に居る二人には、それなりの連絡方法があるらしい。 護衛兼連絡係だと思えば、馬頭丸の同行も仕方ない。 リクオは未だ石に腰掛けて休んでいる鴆を、心配そうに見つめた。そんなに体が辛いなら、誰かに採取を頼めば良いのにと思う。それこそ、牛頭丸達にでも。 そしてリクオは気付いた。自分が先に目的の物を見つけて、それを鴆に渡せば良いのだ。 鴆はこちらに対抗心を持っているらしいが、そんなこと自分には関係無い話だ。リクオは早く茸を見つけようと、両手を握って気合いを入れた。 「よし!じゃあ、鴆君──ボク、先に行くからね!」 鴆に声をかけ、リクオは陰陽師達の後を追った。 ~後略~ |
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