君を飾る花を咲かそう(お試し版)

                          BY 月香




 夜の姿になったリクオが、いつものように薬鴆堂の目当ての部屋へ勝手に向かい、その障子を開けると、いつものように鴆が文机の前に座っていた。そしていつものように自分の主へと姿勢を正し、突然の来訪者に笑顔を向けた。
「──リクオ」
 が、いつもと違う風景がそこにはあった。
 リクオは、部屋の中へと足を踏み入れようとして、固まる。
 揺れる行灯の光に照らされた鴆は、いつもの羽模様の羽織を肩に引っかけていたが、その──鴆の腹が膨れている。不自然な腹部の形は、食事を取りすぎたとか、寒いから着膨れしているとかそういうことではない。
「──鴆。それは、何だ」
「それ?」
「そ・れ・だ」
 リクオが指さす場所を忠実に視線で辿った鴆は、リクオの疑問の原因にようやく気付いた。
「──ああこれか。見るか?」
 そんなふうに何でも無いことのように訊ねられて、リクオは返事もせずに、数歩の距離を猛ダッシュで駆け抜けた。
 飛びつくように鴆の襟元を掴み、ガバっと引っ張り懐の中を覗き込んだ。
 色の白い胸には鴆の証である毒羽の紋様が浮かび上がっており、その下の方には、いつものサラシの代わりに太めの布が巻かれていた。鴆の腹に直に押しつけられるように大事に暖められている大きな丸いものは、どうみても──卵だった。
「……何だ?」
 一応聞いてはみたが、鴆から返ってきた答えは思っていた通りのもので。
「卵だろ?」
 きょとんとした表情で、見て分からないのかと小首を傾げられ、リクオは絶句した。
 鴆は妖怪で言う所の医者だったので端から見ていると、頭が良いのだろうと思われがちだが、リクオは──実は鴆は馬鹿なんじゃないとかと常日頃から疑いを持っていた。
 しかし本当に、馬鹿だったとは。リクオは愕然とした。曲がりなりにも自分の恋人が、自分に身に覚えの無い子供(卵)を大事に抱えていたらどう思うかなんて、きっとこの毒鳥は考えもしないのだろう。



~中略~



 鴆は、ううむと唸る。
 そもそも、成人してすぐに鴆の病を発症した体の弱い自分が、子を設けることが出来るとは思っていなかった。鴆一族の他の者も、頭首である鴆に無理に嫁を取らせることは早いうちから諦めていた程だった。
 同族とならともかく、リクオとの間に本当に子供が出来るとしたらどうするんだと訊かれれば、それこそ死ぬ程の勢いで否定するだろう。
 いくら猛毒を操る力があるとはいえ、短命で脆弱で戦闘に向かない鴆の血を、本家の血筋に混ぜる訳にはいかない。ぬらりひょんは闘いに秀でた妖で、その強い畏に数多の妖怪が惹かれて百鬼が連なるのだ。そんな光景が未来永劫続いていく、それは鴆の望みだった。
 けれども逆に、どうせリクオと自分の間に子供が出来る訳が無いのだから、自分の気持ちを伝えること位は許されるだろうと、鴆は小さな声で囁いた。
「……ほしい、よ」
 真っ赤な顔で、ぽつりと答えた鴆にリクオはぱぁっと表情を輝かせる。自分一人の思いよがりで無いことを嬉しく思った。
「そうか!そうだよなぁ!」
 嬉しさで鴆に抱きつこうとしたリクオは無情にも、ぐいと鴆に身体を押し戻された。不満そうな相手に、鴆は申し訳なさそうに顔を背けた。
「卵、潰れるから……」
 本当は、鴆もとても嬉しいのだ。不可能だとしても、リクオが自分との間に子供が欲しいと言ってくれたことが。真っ赤になった顔を見られたくなくて、わざとそっぽを向いたのだった。
「ああ、そっか」
 リクオは、ぱっと体を離した。



~中略~



 学校から帰ってきたばかりのリクオを、鴉天狗が矢のごとく飛んで来て門の前で出迎えた。
「ただいま。──どうしたの?そんな急いで」
 小さな黒い羽をばたばたと動かしながら、リクオの顔の間近で止まる。
「リクオ様!」
「何か問題でも?」
 すぐに鋭い視線を向けて空気を変えたリクオに、鴉天狗はいやいやそうではありませんと、両手を振った。
 急を要する事件ではないことが分かり、リクオは自分の部屋へと向かおうとする。
 それを鴉天狗が遮り、先に見て貰いたいものがあると、リクオを別室へと案内した。
「……巷では、リクオ様に次期四代目がお生まれになると……そういう噂が……」
「ああ、そのこと?まだ噂になってるんだ」
 鴉天狗の後ろを歩きながら、ふうとリクオはため息をついた。
「はぁ、そのようで……」
 先日開かれた総会で、三代目総大将の事実上の恋人でもある鴆が、卵を後生大事に抱えてやってきたことで、奴良組一番の堅物の牛鬼がリクオと鴆の卵なのかと皆の前で詰問した。
 その誤解はすぐにその場で解いたが、おそらくそのやりとりを又聞きした者が本当のことだと思い込んで、更に噂を広めたのだろう。
「放っておいてよ。そのうち間違いだって分かるでしょ」 
「その、……困ったことになりまして」
 鴉天狗はリクオをある一室の前まで連れてくると、静かに障子を開けた。
「え?」
「遠方の、気の早い組から、祝いの品が……」
 そう言って鴉天狗が指さした部屋の中には、『祝』と書かれたのし紙が巻かれた酒樽や、なにやら恭しく水引で飾られた箱などが山積みになっている。
 中には明らかに子供用だと思われる、市松人形や甲冑を模した人形がガラスケースに収まっているものもあった。
 おそらく贈った方は、男児でも女児でもいいよう、両方に備えて寄こしたのだろう。
 それは、一つ二つの組が送ってきたとは思えない量だった。それだけの妖怪達が勘違いしているのだと知り、リクオは途方に暮れた。
 リクオが京都で百鬼夜行を率いて羽衣狐と対峙したことはすでに日本中の妖世界には知られていて、再び勢いを取り戻してきた奴良組の傘下に加えて欲しいという申し出が後を絶たなかった。
 新しく加わった組やしばらく疎遠になっていた組が、子供が出来たという噂を聞いて、忠義を示すために遅れてはならぬと慌てて送ってきたものなのだろう。
 それにしても、いくら妖怪の世界だとはいえ、男同士の自分達に子供が出来たという噂が普通にまかり通ることに、リクオは驚きを隠せない。
「──誤解だって分かるようにして、適当に返事出しといてくれる?」
 指示に頷き、さっそく作業を開始しようとする鴉天狗の背を見送りながら、リクオは苦笑するしか無かった。



~後略~



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