【葉月の拾弐日】

                          BY 月香



「ささ、鴆様。本日の診察はこれで終了でございます」
「ん?そうか。……ちと早いが、店じまいにするか」
 蛙番頭の急き立てるような態度が少し気になったが、鴆は素直に立ち上がる。
 周りに置いてある診療道具は、あえて放っておく。すると附喪神達が片付けてくれるのだ。
 小さな附喪神は、そんなささやかな仕事に誇りを持っているようで、嬉々として働いてくれる。鴆はありがたく、附喪神に任せた。




 妖怪の活動時間は夜だ。
 それを考えれば、まだ診療所の入り口を閉じる時間ではなかったが、最近は小競り合いも少なく、患者が来たとしてもかすり傷か暑気当たりだろう。
 そんなことを考えながら、鴆はとりあえず、急患があればすぐに知らせるようにと言い付けて自室へと戻った。




「今夜もあっちぃな……、夏はどうしようもねぇが」
 鴆は手拭いで首元の汗を拭いながら、夜になっても一向に涼しくならない暑さに文句を言う。
 元々『鴆』は大陸の南の方で暮らしていた妖怪だが、だからといって生まれも育ちも日本の鴆が、暑さに平気だとは言えない。
 そもそも生来の病の所為で体調を崩すことが多いため、ちょっとした気候の変化が直接その体に影響を与えるのだ。
 幸い、鴆の主である奴良組三代目総大将が以前持ってきてくれた、人間の機械が、鴆の夜に涼をもたらしてくれていた。
 薬鴆堂には一応電気が通っている。
 数年前の火事で屋敷が焼けた際に、必要最低限の分だけ人間の文化を取り入れていたのだ。
 それを知ったリクオは最初、クーラーを設置しようとしたのだが、鴆が納得しなかった。
 夏は暑いものだ。妙な機械なんか要らないと言う鴆に、人間の血が濃いリクオが冷房は絶対必要だと訴えたのだ。半分は、リクオ自身の為だったのだが。




「……これ、鴆君への誕生日プレゼントなんだ。まさか、主からの贈り物を無碍にすることは無いよね?薬師一派の頭首・鴆は」
 人間の方のリクオに、にっこりと微笑まれて、鴆はそれを突っ返すことが出来なかった。
 リクオの張り付いたような笑顔には、有無を言わさぬ迫力があるのだ。
 それでも鴆の機械嫌いを知っているリクオは、涼風機という、扇風機よりは涼しく、クーラーほどはきつくない機械を選んで贈ったのだった。
 それは、打ち水効果で周囲の気温を下げてくれるのだ。
 鴆に説明する時も『打ち水』だと言えば、すんなりと理解してくれたのでリクオはほっとしていた。
 それが、昨年の誕生日の出来事だった。
 最初はやはり、人間の妙な機械なんて、と敬遠していた鴆だったが、何度か使っているうちに段々にその有り難さが理解出来るようになっていった。特に、風の無
い日には、その機械は湿り気を帯びた冷ややかな風を振りまいてくれるのだ。
 それに、薬鴆堂の仕事にも役に立っていた。
 持ち運びが出来る涼風機は、どこにでも置くことが出来る。
 熱帯夜に重病人が出た時のことだ。安静にしてやらねばならないのだが、暑さの所為でゆっくり休ませることが出来なかった。
 そこで、氷で身体を冷やしてやりつつ、涼風機で周りの空気も冷やしてやることで病人の回復が目に見えて早くなったのだ。
「……昔に比べ、現代は暑くなりましたからねぇ。耐えられない妖怪も多くいると思いますよ」
 そう言う番頭の蛙もあまり暑さには強くない。夏はひからびそうになって大変だと言い、冬は冬で凍えそうだと言って騒ぐのだ。
 とにかく、コレは役に立つと思った鴆は、番頭の指示をして更に数台買いそろえさせたのだった。




 鴆の部屋には、リクオが贈ってくれた涼風機が置いてある。
 蛙番頭が、熱帯夜になりそうな時はあらかじめ機械を動かしておいてくれているので、今日も過ごしやすい室温になっている筈だった。
 鴆が、さて冷酒でも貰って今夜は休むかと考えていると、廊下の向こうから配下の妖怪が歩いてくる。
「ああ、丁度良い。酒を持ってきてくれよ、冷えたヤツ」
「は。畏まりました。……では、こちらに」
「うん?……暑いから、早く自分の部屋に戻りたいんだが」
「大丈夫ですよ。例の機械は、あちらに置いてあります」
 鴆は、自室に酒を持ってきてもらおうとしていたのだが、何故か別の部屋に案内された。
 そして疑問に思いながら鴆が客間の戸を引くと、中から大勢の妖怪の声が一斉に聞こえたのだった。
「「「鴆様、お誕生日おめでとうございます!!」」」
「え?……ああ?って、リクオじゃねぇか!?」
「お誕生日、おめでとう!鴆君」
 薬鴆堂の妖怪らが待つ部屋の奥、上座には鴆の主であるリクオが笑顔で座って待っていたのだった。
 部屋には長テーブルが用意され、その上には酒はもちろん、鴆が好む料理や水菓子、甘味などがずらりと用意されていた。
 リクオだけでなく、薬鴆堂の手の空いている妖怪らが皆集まっているようだった。
 ずらりと両側に居並ぶ配下の妖怪の前で、リクオはこっちだよと手招きをする。
 リクオの隣には、鴆の為の席が設けられていた。
「こっちだよ、さぁ座って!」
 鴆はリクオの言葉に素直に従う。
「こりゃ一体……」
 呆けたような顔をしている鴆にリクオはにこにこと笑顔を向けていた。
「驚かせようと思って、鴆君には黙っていたんだ」
 リクオは、自分の予想通りの表情を見ることが出来て満足気だった。
「サプライズとは、三代目も粋なお計らいですねぇ」
 人間界の行事に詳しい蛙番頭が、うんうんと頷いているが、鴆には何のことかさっぱり分からない。
「さぷ……?」
「黙っておいて、鴆君をびっくりさせようと思ったんだ」
「確かに驚いたが……」
「だって鴆君、自分の誕生日とか、あんまり気にしてなかったでしょ?」
 というか、鴆は今日が自分の誕生日だということを、すっかり失念していた。元々、誕生日を祝う習慣の無いのが妖怪の世界だからだ。
 なので鴆はここ数年、リクオに祝われてようやく自分の誕生日を思い出すくらいだった。
 祝う理由が良く分からないと言った鴆に、リクオは以前『鴆君が生まれてくれた日は、それだけでボクにとって大切な記念日だよ』と言い、これが特別な日なのだということを何度も鴆に伝えたのだった。
 いまいちピンと来ない様子の鴆にリクオは、ではもし、リクオ自身の誕生日のことをどう思うか聞いてみると、鴆は『もちろん、目出度いことだ』と即答したので、それと同じだと言うとようやく理解したようだった。
 それでも自分の誕生日を忘れることが多かったので、ならば今年はいっそサプライズでお祝いをしようとリクオは考えたのだった。


 

「鴆君、お誕生日おめでとう」
 あらためて祝いの言葉を告げると鴆は、座ったままさっとリクオへと向きを直して、深く頭を下げた。
「三代目にこうやって祝って頂けることが、下僕であるオレにとって、何よりの喜びだ」
 主にそんな言祝ぎされることそのものを恐れ多いと鴆が言うが、しかし、鴆のそんな態度はリクオには予想済みだ。
 特に気にすることなく、鴆の肩を掴んで顔を上げさせる。
「堅苦しいのは抜きにして、はいこれ」
 そう言われてリクオから、両手で持たねばならない大きさの木の箱を受け取ると、ずしりと重い。
 開けて欲しいと言われて、鴆は木箱の赤い紐を解いた。
 真新しい木の香りがする箱の中には、鴆の両手に余る大きさの硬い物が入っていた。 
「ああ。……こりゃあ、花器か?」
「うん。人間のお店で買って来たんだ。ちゃんとした職人さんが作った花瓶だよ」
 わざと色の濃淡の差を付けた、長方形をした黄色いガラス製の花瓶だった。
「綺麗だな」
 箱から取り出し、上に掲げる。黄色が光をはらんで、まるで黄金色に輝いて見えた。 
「鴆君の部屋って、いつも花とかが飾ってあるけど、花瓶もしょっちゅう変わるでしょ?だったら、もっと花瓶があってもいいかなって思って」
 部屋で寝込むことが多い鴆の部屋には、薬鴆堂の者が気張らしにと花を飾ってくれるが、季節や飾る花などの種類によって、花瓶等も色々と趣向を変えてくれているのだ。
 しかしリクオは、和風の花瓶は鴆の部屋で見たことがあったけれどもガラス製の物は見たことが無かったので、今回の贈り物に選んだのだった。
「本当に綺麗だな。花なんか生けなくても、これだけでも充分部屋が華やかになるぜ」
 ガラスの花瓶は、ほのかな光でもき立つように輝いて、殺風景な部屋を彩ってくれる。
「ぜひ使ってね。今度は、それに飾る花を持ってくるから」




 それからしばらく、毎日のようにリクオは鴆のために花を持ってくるようになったのだった。
 しかし、切り花といえども、たった一日で枯れるわけもなく、次から次へと持ち込まれる花に、リクオの花瓶だけでは収まりきらなくなり、鴆が言いにくそうにリクオに、花の持ち込みを遠慮するよう頼むのは、すぐ後のことだった。




                                          (続編に続く)2016/9/23


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(20160924)
リク誕に遅刻したけれど、日にちは23日(笑)。
続きっぽい話があるので
もうちょっとだけ、お付き合いください。