『ひな祭り』

                          BY 月香


 

 奴良本家では、人間の風習に倣って雛祭りも開催される。
 結局は、ただ宴会をしたいだけなので名目は何でもよいのだが。
 その雛人形はリクオのものだ。
 男子に何故?と思うだろうが、リクオが生まれる前、若菜が鯉伴の子を身ごもったことが分かった時、腹の中の子が男子か女子か分からないにもかかわらず、配下の妖怪達からたくさんの贈り物が届けらた。
 その中に、雛段飾りがあったのだ。
 生まれたのが男子だったので、雛祭りは行わなくても良いのだが、実は……そのひな人形は附喪神で、年に一度飾ってやらなければ、拗ねて大変なことになるのだ。
 女子のお祭りということで、広間では雪女のつららや毛倡妓が楽しそうにひな人形の飾り付けをしている。
 リクオが興味あるのは、その前に用意されている料理や菓子の方だ。
 色鮮やかなちらし寿司や、三色の可愛らしいひし餅などが飾られていた。
 ひな壇飾りの脇の大きな花瓶には、桃の枝が飾られていて、淡いピンク色の小さな花がたくさん咲いていたのだった。
 それをしばらく眺めていたリクオだったが、ふとあることを思いつき、台所へと走った。



 台所では、母親の若菜や他の妖怪が今夜の宴会の用意をしていた。
 宴会と言っても、本家に居る妖怪だけが集まる予定で、配下の組には特段、声がけはしていなかった。
「ねぇ、お母さん」
「なあに、リクオ?」
「……ちらし寿司の材料とかって、まだ余ってる?」
 そう聞きながらリクオの視線はテーブルの上の料理に向かっている。
 ぴんと来た若菜は微笑んだ。
「少しならあるわよ」
「それ、残しといて!二人分でいいから」
「はいはい、鴆さんのとこに持ってくのね?」
「え?……う、うん」
 母親の言うとおり、リクオは今夜招かれていない鴆の元に、逆にこちらから押しかけようと考えていたのだ。
 



 若菜はリクオのリクエスト通り、具を多めにしたちらし寿司を用意してくれた。
 今夜出かける、と言うことはリクオは妖怪の姿なのだ。
 おそらく酒のつまみにするだろうということを想像していると、台所にそれを受け取りに来たのは、若菜の予想通り妖怪姿のリクオだった。
 片手には、一本の桃の花の枝を持っていた。
 ひな人形が飾られた広間では、桃の節句という名目の宴会が賑わっていたが、リクオは畏を発揮してそっと抜け出してきたのだった。
 恋人である鴆と、二人きりで桃の節句を祝うために。








「よう、鴆。起きてるか」
 リクオはいつも通り、予告もせずに薬鴆堂を訪れていた。
 主の声を聞いて屋敷の中から出てきた鴆は、驚きながらもリクオの訪問を歓迎する。
「リクオ、良くきたな!けど明日はヘイジツってやつじゃねぇのか?」
 次の日、学校がある時はあまり訪れないのだ。
 しかし、今日は特別な日だった。
「……お前と酒が飲みたくなってな」
 そう言い、右手に持った桃の花の枝を掲げて見せた。
 それを見て悟った鴆は、満面の笑みを浮かべて屋敷の奥へと大きな声をかけた。
「おーい、今日の仕事は終いだ!酒持ってきてくれ。あ、今日の奴もってきてくれ!」
「今日のやつ?」
 リクオが首を傾げると、鴆は手で盃の形を作って、くいっと口元で傾ける仕草をする。
「ああ、出入りの酒蔵の業者が、今日は桃の節句だからって置いてったヤツがあるんだ」
 桃の節句といえば。
「甘酒か」
「妖怪用だから、酒精が強いやつだぜ」
「それはいいな」
 甘すぎる、女子供用の酒ではなくて、酒好きの鴆のために用意された酒ならばきっと美味いだろうとリクオは期待した。



 春は近づいたとはいえ夜風は冷たいと、リクオと鴆はいつもの鴆の部屋の中で酒を酌み交わす

 酒の肴は桃の花と。
「鴆、これは土産だ」
 リクオが差し出したのは、二段になっている黒漆の重箱だ。
 主に促されて鴆が蓋を開けると、上の段にはひなあられと三色の菱餅が。そして、下の段にはちらし寿司が入れられていた。
「……ちらし寿司か、綺麗だな」
 黄色い金糸卵が全体に散らされた上に、海老や蓮根、菜の花などがびっしりと乗せられている。
「母さんが作ってくれた」
「若菜様が!そりゃぁ、有り難てぇな」
「いっぱい食えよ」
 リクオは鴆の食の細さを気にしていた。
 生来の病弱な質の所為で、あまりたくさんのものは食べられないのだ。──その割には、酒やつまみは人並み以上に嗜むので、リクオは『酒の肴』と称して色々なものを薬鴆堂に持ち込むよ
うになっていた。 
「桃の花を見ながら甘酒をたしなむってぇのは、風流だな」
 山の上に近いこの薬鴆堂の周囲では、桃の花が咲くにはほんの少し早かったのだ。鴆はリクオが持ってきた花を見て笑みを浮かべる。
「お前と二人きりで、桃の節句を祝おうと思ってな」
 一年に一度だけ表に出されるひな人形の附喪神達は、この時とばかりに大騒ぎし、それに便乗して本家の小妖怪らも屋敷中で駆け回ったりしていた。ほんの数日だけだと思えば可愛いものだ。
「まぁ、女の祭りだけどよ」
 リクオはだから、さっさと本家の宴会を退散してきたのだ。
 しかし鴆は首を傾げて、昔からの風習にうとい主に教えてやる。
「なんだリクオ、知らねぇのか。元々は季節の変わり目に穢れを払う行事だったんだぞ?女も男も関係無いんだぜ」
「へぇ?」
「だから、こうやって酒を飲んで身を清めるのさ」
 そう言いながら鴆は、甘酒の瓶を傾けた。
「ほどほどにしとけよ」
「分かってるよ。リクオの分まで飲まねぇよ」
 と鴆は、いつも飲み過ぎる鴆を心配したリクオに、少し見当外れな返答をしたのだった。



 深夜0時を過ぎた頃、鴆と二人きりで酒を飲んでいたリクオは、廊下に向かって大声をあげた。
「さて、と……おおい、誰かいるか」
 鴆はそんな様子のリクオを見て、酒の量が足りなかっただろうかと目の前に並べられている酒瓶と黒い重箱を見た。
「はい、総大将、なんでしょうか」
 さっと現れたのは、番頭の蛙だ。
「悪いが、これを片付けてくれ。で、いつもの酒を持ってきてくれよ。あ、桃の花も片付けていいぜ」
 リクオはそう言って少し残っていたちらし寿司と甘酒を指差した。そして、今日リクオ自身が持ってきた桃の花も全て片付けて良いと言う。
「はい、かしこまりました」
 蛙番頭は疑問に感じながらも、奴良組総大将リクオの指示通りに目の前のものを片付け始めた。
「リクオ?……口に合わなかったか?」
 甘酒はやはり、酒好きのリクオの好みでは無かったのだろうか。心配する鴆にリクオは手を振ってそうじゃないと言う。
「いや、美味かったぜ。けど、もう片付けねぇとな」
 なんでも無いことのようにリクオはそう答えた。が、鴆は突然のリクオの指示に戸惑いを隠せない。
「……まさか、帰るのか?」
 もう少し一緒に酒を飲みたかったと思っていた鴆だったが、リクオはそんな鴆の心配を杞憂だと笑う。
「もう少し居るぜ」
 リクオはそのつもりで、蛙番頭にいつもの酒を用意するように言いつけたのだ。
 帰らないと言うリクオに、鴆はほっとした顔で表情を緩めた。
「良かった」
「ん?」
「明日はヘイジツだから、リクオがもう帰っちまうんじゃないかって思って……」
 帰って欲しくないと、そんなことを小さく呟く鴆をリクオは両腕で抱き寄せた。
「あ、……リクオ?」
 きょとんとした顔で自分を見上げる恋人の耳元で、リクオはそっと囁いた。
「──オレが片付けてくれって言ったのは、ひな祭りの片付けだけだ」
「うん?」
「日付が変わった。もう四日だ。……だから、早めに片付けさせたんだよ」
「はあ?」
 鴆は、リクオが何を言いたいのか分からず小首を傾げる。
 リクオは何だ知らないのかと、口の端を上げて嗤う。
「片付けが遅いと、行き送れるって言うぜ」
「行き遅れ?どういう意味だよ」
 本当に意味が分からないと眉を顰めた鴆に、リクオは不敵に笑ったのだった。
「お前には、一日も早くオレんとこに嫁に来て欲しいからな。行き遅れたら困る」




 ひな祭りでは、行事が終わった後、いつまでも片付けないでおくと、その家の娘が嫁に行き遅れるという言い伝えがあるのだ。





(ende 20160303)




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超SSですが、ひな祭りに間に合いました……。
実はこれ、「向春の候」の間の話として考えたのでした。
二年前かよ(^^;)自分ツッコミ