SUPER DELICATE

                          BY 月香



 めっきり夜風が冷たくなった頃。風邪で数日寝込んでいたリクオは、鴆の付きっきりの看病で間もなく回復に向かった。
 熱に浮かされながらも、恋人である鴆に看病して貰うというイベントを楽しんでいたリクオだったが、今回、熱を出して寝込んでいる間に気が付いたことがあった。
 どういうわけだか熱がある間は、夜になっても妖怪の姿に変化しなかったのだ。妖力が落ちていたのだろうか。
 こんなこと他の誰にも言えるものではない。そんな時に晴明が襲って来たら大事だ。
 鴆にそう相談すると、奴良組きっての薬師はリクオの唾液を採取して、調べてみるとクオに約束し帰っていった。




 数日後、リクオは休んでいた間の総大将としての業務を適当にこなし無理矢理時間を作ると、日本酒の一升瓶を片手に、治療の礼も兼ねて意気揚々と薬鴆堂へと足を運んだのだった。
 いつものように、リクオが蛇如呂に乗って薬鴆堂へと到着した時だった。たまた気が向いたので、畏で姿を消すこともせず、わざと薬鴆堂の者に自分の来訪が分かるようにして、屋敷へ降り立った。
「リクオ様!良いところにおいでくださいました!実は大変なことに!」
 ぺたぺたと自分に向かって走り寄ってくる蛙番頭に、リクオは酒の肴の用意を言いつけようとしたが、それよりも早く、番頭はリクオに縋るように足下にひれ伏した。
 その姿に尋常でない様子を感じ、リクオは番頭を問いただした。
「どうした。鴆に何かあったのか?」
「それはもう大ありで!」
 鴆に問題があるといえば、まっさきに思いつくのは体調不良だ。
「容体が悪くなったら、すぐに連絡しろと言っていた筈だ!」
 リクオはそのために蛙番頭に自分の携帯番号を教えてあったが、たった今まで何の連絡も無いことが不満でならない。
「その……容態が悪いと申しますか、──おかしいと申しますか」
 どうにも、要領を得ない番頭の言葉にリクオは苛立ちを露わにする。 
「はっきりしろ」
「その……鴆様が言うなと……」
 しどろもどろに言い訳をする番頭の言葉を聞いている暇など無いと、リクオは鴆の自室へと足早に向かった。
 



 この屋敷の主である毒鳥は、多少具合が悪くなったくらいではリクオに連絡しようとしないのだ。そんなことは今日に始まったことではない。
 元々身体が弱いのだから、些細な変化にも気を付けるべきだというのに、今回もまた自分では平気だと言い張って、黙って一人でじっと回復を待つつもりだったのだろう。
 脆弱な妖に生まれついた鴆は、体調が悪くとも堪え忍ぶことが美徳だと思っているのだ。
「おい、鴆!」
 リクオが勢い良く部屋に踏み込むと、──床に、大量の紙が散らばって落ちていた。
「ん?」
 何やら筆で文字が書いてあるが、どれもたわいのないことばかりだった。
 飯、水、茶、茶菓子、帳簿、寝る。……? 
 机の上には飲みかけらしい茶の入った湯飲みと、食べかけらしい羊羹が皿に載っていた。菓子を食べる余裕はあるらしい。
 リクオは首を捻る。どうも、病人が寝込んでいるような様子の部屋ではない。
「…なんだ?」
 部屋の奥にはいつもの通り布団が敷いてあって、──こんもりと盛り上がっている。
 この部屋は鴆の部屋だ。ということは、布団に寝ているのも当然、鴆だろう。
 自分が訊ねて来ても起きあがれないほど具合が悪くて寝ているのかと心配になったが、番頭は具合は悪くないのだと言っていた。
 どうも、鴆の今の状態が分からない。
「鴆?」
 声をかけると、びくりと膨らみが動いた。
「鴆、顔見せろ」
 リクオの命令に、そろりと顔をだした鴆には不審な所はない。顔色もそんなに悪くはない。
「どうした?」
 極力、怖がらせないように優しく訊ねたが、鴆は弱々しく首を振った。
「──具合悪いのか?」
 それにも答えず、鴆は視線を宙にさまよわせる。
 リクオは黙ったままの鴆を見つめ、まさか声が出せない──すでに毒が喉にまで回ってしまったのかと、そんな不吉な妄想で背中を冷や汗が伝った。
「……リ、クオ……」
「鴆!」
 それはかぼそい声だったが、ちゃんと聞こえた。
「なんだ、声出るじゃねえか」
 ほっとしたリクオだったが鴆はふるふると首を振った。何が違うと言うのだろうか。
「鴆?」
 近寄るリクオから、布団からはみ出してまで後ずさる鴆。さらにリクオが一歩足を進めると、鴆は座ったまま姿勢で後ろにずりずりと下がった。
「オレから逃げんじゃねえ」
 業を煮やしたリクオは、がばっと鴆に被さるように毒鳥を両腕に捕らえる。強く抱きしめられ、鴆は苦しそうに声を出した。
「…リクオっ」
 鴆は最後まで逃げるつもりは無かったようだ。きゅっとリクオの背に腕を回し、頭を主の胸に押しつける。
「鴆?」
 甘えるような、縋り付くような鴆の態度に、その顎を掴んで無理矢理上に上げさせると、目に涙が浮かんでいた。
「ど、どうした!?」
 何か自分は鴆を哀しませるようなことをしただろうか。いや、ない。
「リクオぉ」
 鴆の、様子がおかしい。落ち着かせようと頬をなでると、大人しくされるがままになっている。
「リクオっ!」
「……さっきから、リクオってしか言わねぇな」
 ぼそりとリクオが呟くと、たった今まで顔を真っ赤にしていた鴆が、途端に真っ青になる。
「鴆?」
「リクオ…」
 視界に入った床に散らばる紙と、それに書いてある単語を見つめたリクオは、ある結論に辿り着いた。
「まさかお前、──声が『リクオ』ってしか出ない、のか?」
「…リ、クオ…」
 数秒躊躇った後、ようやく鴆はコクンと首を縦に振った。
「リクオぉぉ……」
「ああ泣くなよ」
 どうしたらいいか分からず自分に縋り付く鴆を見つめながら、リクオはこれはこれで可愛いなどと不謹慎なことを考える。
「大丈夫だって、すぐ直るだろ?」
 何が原因なのかは全く見当がつかない。薬師でも何でもない自分がそう言っても何の気休めにならないことは分かるが、リクオはそう慰めることしか出来なかった。
 鴆の背を優しくなでながら想像を巡らす。
 考え方を変えてみれば、鴆がリクオの名しか呼べなくなったことは──リクオにとっても何の弊害では無いのだ。
 むしろ今まで、鴆が別の男の名をその唇で紡ぐたびに、リクオは例えようのない嫉妬にかられていたのだ。それを考えれば、何も困ることはない。
 鴆自身が恥ずかしがって外へ出ない、というのも好都合だ。
 外へ出て妙な事件に巻き込まれることもないし、鴆の見目麗しい姿(本人は無頓着だが)も、誰にも見せずに済むのだ。
「鴆っ!」
「リクオっ!リクオリクオっ」
「──大丈夫だ。オレが居るだろ」
 リクオは鴆を独占出来る得も言われぬ優越感に浸り、にやけた自分の顔が見えないように鴆を胸に抱き寄せた。
「原因とか分かんねぇのか?」
 こくんと小さく頷く鴆が愛らしく、リクオは自分の欲望のままに鴆に触れたくて仕方が無い。
 そして、それを実行に移すことに決めた。
「……よし、舌のマッサージしてやろうか。声が出るようになるかもしれねぇぞ」
「リクオ?」
 そんな、リクオにだけ都合の良いことを鴆に囁き、一体何をするのだと首を傾げる鴆の唇に自分のものを重ねる。驚いて口を開けたままの隙間から、舌を滑り込ませた。
「んん……っ」
 苦しそうな鴆のくぐもったうめき声が聞こえるが、リクオは宣言したとおり、鴆の舌のマッサージ……愛撫を止めようとしない。
 息苦しさでよりいっそう口を開いてしまった鴆の舌の根本を強く舌先で嬲り、抵抗も出来ず力を失った柔肉を思う存分、舌で味わったのだった。



○○○ 



「鴆様!検査の結果が出ましたよ!」
 余程慌てていたのか、部屋の主の許可もとらずに部屋の戸を開けた蛙番頭は、驚いてゲコッと飛び跳ねた。
 部屋には、いつものように黙って訪れていた奴良組の総大将が居たのだった。当然、鴆も一緒だ。
 リクオリクオと連呼する鴆が可愛らしくて、リクオは連日薬鴆堂へ足を運んでいたのだ。
「……ああ?何だ、煩ぇな」
 鴆との二人きりの時間を邪魔され、リクオは舌打ちをした。
「こ、これはリクオ様。今日もおいででしたか」
 リクオの腕の中には、すっかりくつろいでいた鴆が大人しく収まっていたが、番頭が叫んでいた検査の結果とやらが気になるのだろう、鴆はリクオの腕を押しのけようと、ぐいぐいと腕を突っ張った。
「リクオっ!」
 自分の異常な状態の原因を、早く知りたいのだろう。リクオは渋々とそんな鴆を手放した。
 鴆は、蛙番頭が持ってきた白い紙を受け取ると、じっくりとその内容に見入っていた。
 そして、ちらりとリクオの顔を見て、複雑そうな視線を向けた。眉間に皺が寄り、眉尻が下がっている。
「どうした?鴆。……大変なことでも書いてあったか?」
「……リクオ……」
「鴆様。私が申し上げてもよろしいですか?」
「りっリクオっ!」
 鴆はぶんぶんと首を振った。どうやら、言うなと言っているようだ。
「──オレに隠し事か?」
 業と低い声を出すと、鴆がびくりと震える。
 目を泳がせる鴆を見かねたのか、見限ったのか、蛙番頭がリクオにその報告書を差し出した。
「リクオ様、こちらをどうぞ」
「リクオォっ!!」
 慌ててそれをリクオの手から取り返そうとする鴆を片手でいなし、リクオは簡単に紙に目を走らす。
「──えーっと、よく分からねぇんだが……ここに、『インフルエンザ』って書いてあるが」
「はい」
「いわゆる、インフルエンザか?」
「はい」
「人間のかかる?」
「はい。A香港型です」
 たしか、今年の流行はその型だとテレビで言っていたような気がすると、リクオはニュースの内容をおぼろげに覚えていた。
 蛙番頭は更に詳しく教えてくれた。
「実は先日、リクオ様が熱を出して寝込んでいた病も、これと同じものだということが、後から分かりまして……」
 リクオは思い出した。鴆に、自分が罹った風邪について調べて貰っていたのだ。
 鴆にだけ伝えた大事な症状があったからだ。何故かリクオは風邪を引いている間、妖怪の姿になれなかったのだ。
「──どうりで、熱がなかなか下がらねぇと思ったんだ。インフルだったのか」
 半妖の自分の身には、何がどう影響してくるか分からない。妖怪に変化出来なかった理由は、おそらくただの風邪や熱でなく、インフルエンザだったからなのだろう。
「もしやと思い、鴆様の病も調べさせたのですが……同じ結果が出まして」
 蛙番頭が言うにはつまり、鴆もインフルエンザに罹っているのだ。
 鴆がその結果をリクオに見せたく無かった理由は、妖怪のくせに人間の病気にかかってしまったことを恥じているのか、鴆に病気をうつしたのが自分だと知り、リクオが鴆に引け目を感じないようにするためなのか。おそらく、その両方だろう。
「……リ、リクオっ」
「そうか。鴆にインフルをうつしたの……オレか」
 看病をしている最中にすでに罹患していたのか、菌を持ち帰り、リクオの身体に起きた異変を調べている時に罹ったのかは分からない。
 しかし、はっきりしていることがある。
「オレの所為だな」
「リクオっ」
 違う違うと鴆は首を振った。
 リクオは、そんな必死な様子の恋人を可愛いなと思いながら見つめていた。
 鴆のインフルエンザは元々リクオの病で、つきっきりでリクオの看病をしてくれていたから鴆も病を発症してしまったのだ。
 それがうつったとしても、こんな症状として現れるとは思ってもいなかった。
 しかしつまり、インフルが治れば、鴆の『リクオ』しか言えない病も治るはずだ。
「よし、今度はオレが看病してやるぜ」 
 そんな宣言を聞いて、主に看病してもらうなどとそんな恐れ多いことは出来ないと、じたばたとリクオから遠ざかろうとする鴆の腰を、リクオは後ろから掴んで引き寄せた。
「……り、り、リクオっ」
 鴆は、自由になる手で床に置いていた和紙をたぐり寄せ、側に転がっていた筆で急いで殴り書きする。
 お前にうつる!と書いてリクオに突き付けたが、鴆の主は文字通り鼻で笑った。
「安心しろ。人間のインフルってのは、一回かかったら数ヶ月は免疫が出来て罹らないんだぜ?」
 そんなリクオの自信満々の言葉を、鴆は理解出来なかった。鴆は人間の病に詳しくない。まだまだ勉強中の身だ。
「リクオ?」
 そうなのか?と紙に書いて首を傾げたが、今の声のニュアンスは、紙など見なくてもリクオには読みとれたなと思った。
「そうだ。知らないのか?人間の間じゃぁ常識だぜ」
「……リクオ……」
 それに、とリクオは鴆の一番側で看病するために、もっともらしい理由を並べ立てる。
「免疫が出来てるオレが看病した方がいいだろうが。お前、他のヤツにもそんな妙な病気うつす気かよ?お前だったから、声が『リクオ』ってしか出せなくなったけどな、他の妖怪にゃ、もっと酷い症状が出るかもしれねぇだろ?ウイルスの突然変異ってのは、そらぁ畏ろしいものなんだぜ」
 まあ、うつる程の接触はこのオレが絶対許さねぇけどな、と鴆の主は勝手にそう決めた。
「リクオ……」
 申し訳なさそうな様子の鴆は、無視する。
 とりあえず、インフルに罹ると夜になっても妖怪になれないということが分かったので、リクオは人間用でいいから予防注射を受けておこうと決めた。
 鴆には、予防注射の存在は知らせなくていいだろう。生粋の妖怪には、人間用の予防注射は意味が無いだろうし、それに。
 『リクオ』しか囀れなくなった鴆は、とても可愛らしかったからである。


「鳥インフルじゃなくて良かったな!」
 鴆は、そんなリクオの言葉の意味がなんなのか分からなかったが、妖怪の病も人間の病もまだまだ色々と勉強しなくてはいけないことがあるのだと、医療の奥深さを知ったのだった。



(ende 2012,6,30)


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(20120630)
第192幕を読んで浮かんだネタ。
だって、鴆の台詞「リクオ」しか無い(笑)
ずーっと自分のPCに放置してましたが
ようやく日の目を見ることに。
あ、それじゃあ夜リクが出てこれませんね(笑)

原作連載がこんな状態なので、馬鹿馬鹿しい話が書きたかった……。