携帯のはなし

                          BY 月香
注:現時点では、WJ誌は2011・39号(第168幕)まで発売されています。


●後編●


 自分の屋敷に向かう朧車の中で、鴆は逸る心を押さえつけていた。
 本当ならば、自分の翼で今すぐ飛んで行きたい。だが、すっかり猛毒の廻った羽はみだりに開けば、無関係な者達へも凶器になる。
 取り乱しては冷静な対応が出来なくなると、鴆は両腕を組み目を閉じて屋敷へ到着するのを今かと待ちわびていた。
 途端、胸の辺りでビリビリとした強い痺れを感じ、思わずすくみ上がる。
「うお!」
《おい鴆。電話だぜ。右の赤いボタンを押しな。おい鴆。電話だぜ。右の……》
「リクオの声……で、電話か!」
 鴆が懐にしまっておいた携帯が電話を着信し、バイブ機能が作動すると共に呼び出し音が鳴ったのだ。
 リクオの声で、電話を受ける時の動作を説明する声を呼び出し音にしたのは、いつまで経っても携帯電話の扱いに馴れない鴆のため、リクオが以前設定していたものだ。
「待て待て!赤いボタン……これだな!」
 声のとおりに操作した鴆が、呼び出し音が止まったのを確認して、携帯を耳に当てた。
『どうした!?鴆、何かあったか!?』
 聞こえてくるのは、恋い焦がれた主の声だった。
 良かった、何事も無いようだと安心した鴆は、逆に苛立ちを思い出し、自分を心配させたリクオに向かって怒鳴り声をあげる。
「それはこっちの台詞だぜ!おい、リクオお前一体今どこにいるんだ」
『……どこだって良いだろ。鴆、本当に何も無いのか、大丈夫か?』
 鴆の苛立ちには気付かず、リクオは機械音痴のくせに突然電話を寄こしたのは、何か鴆の身に緊急事態が起こったのではないかと案じて、無事を確認する声をかける。
『悪ぃな、お前からの電話、さっき取れなくて……』
「リクオ、今どこに居るんだよ」
『家だよ』
 そう躊躇すること無く答えたリクオの声は、鴆の体温をぎゅっと下げた。
「──嘘付け!オレはついさっきまで、本家に居たんだぞ!」
『……ちっ、そうかよ』
 あっという間に自分の嘘がバレたことに気付いた、リクオの舌打ちする音まで携帯から聞こえた。
 鴆はショックだった。リクオが自分を騙す嘘を言うなんて。ということは、もしかして。
「リクオ、オレには言えねえ場所なのか……、まさか!お、女の所とか」
『馬鹿言うんじゃねえよ!』
 即座に否定するリクオだったが、それを簡単に信じることは出来ない。顔の見えない電話とういうものが、鴆にはとても煩わしかった。
「正直に吐け!さもねえと……」
 鴆は携帯を片手に持ち、もう片方の手をリクオをぶん殴ってやろうと、ぐっと握りしめて高く振り上げる。そんな鴆の本気が電波の向こうのリクオに見えた訳ではないが、リクオはようやく折れた。
『分かったよ。──鴆、今どこに居るんだよ』
「……朧車で薬鴆堂に向かってる。本家の奴らは、お前がオレの所に出かけたって言うからな」
『そうか。分かった、オレもすぐ薬鴆堂へ行く』
「何?」
『すぐ近くに居るんだよ。話は後だ』
 そう言って、リクオとの電話は切れた。鴆はしばらく無言で携帯を握り締めて固まっていたが、そのうち真っ黒になった画面を見つめながら、がくりと項垂れた。
 リクオはすぐ近くに居ると言った。ならば何故、薬鴆堂へ直接訪れなかったのか。もし自分が居ないと気付いたのならば、どうして電話なりかけて連絡をくれなかったのか……。色々と不安材料が積み重なり、一抹の寂しさを拭いきれなかった。


○○○


 鴆が薬鴆堂へ戻ると、リクオの居所が不明になったと聞いていた番頭が心配そうな顔をしていた。
 だが、鴆は無言で自分の部屋へと足早に向かい、障子を開けると──思った通り、リクオが座布団に座って鴆を待っていたのだった。
 番頭が何も言っていなかったところを見るとおそらく、畏れを使って自分の部屋に勝手に入ってきたに違いなかった。
「よお」
「リクオ──」
「まあ座れよ」
 そんな言葉をかけられ、それではどちらがこの屋敷の主人か分からないと、眉を顰めながら鴆は大人しく腰を下ろした。
「せっかく、初めてお前からかかって来た電話だって言うのに、浮気だなんだと疑われるとはな……」
 リクオは自分の携帯を手にしながらため息を吐いていた。
「初めて?……そ、そうだったか」
 そう言われれば、今まで自分から電話をかけたことがない。いつも、リクオからかかってきた電話を受け取るだけだった。着信履歴に返したことも無いし、メールに至っては、四苦八苦しながら半刻かけて開いて読むのが精一杯で、返信なんてしようと考えたことも無い。
「いつも、オレからかけてただろ?……珍しくお前からかかってきたから、何かヤバイことにでもなってんじゃねえかと心配したんだぜ」
「それはこっちの台詞だ!お前が本家から薬鴆堂に向かう間に、何か事件に巻き込まれたんじゃねえかって、鴉天狗達があちこち探しに行ったんだぜ」
「……ああ、悪かったな。そういや、オレがここに居るって、連絡したか?」
「あ、してねえな。……おーい、番頭!」
 鴆は番頭に、本家へ連絡してもらおうと声を張り上げて呼んだが、すぐにリクオが制する。
「いや、いい。──いま、メールした」
「めえる?……そ、そうか」
 鴆と話しながら、鴉天狗へ連絡を済ませたらしいが、鴆には未だメールというものがどういう理屈で送られてくるものなのかさっぱり理解出来ないでいた。
「で、どこ行ってたんだよ。浮気か」
 ずいっと身を乗り出すようにリクオに詰め寄る鴆の問いに、リクオは何故そんな言い訳をしなければいけないのかと、恋人に疑われていることが心外だった。
「浮気じゃねえよ。お前が居るのに、そんなのする気も起きねえよ」
「いや、……リクオ。オレは別にお前が浮気するのが駄目だって言ってるんじゃねえ」
 鴆の一族は多くの鳥妖怪がそうであるように、番いは一人しか決められないがリクオは違う。これだけの美丈夫ならば、周りの妖怪が放っておくはずがない。
 奴良組総大将ともなれば、群がる女の一人や十人、いやそれ以上だって言い寄ってくるだろう。むしろそれを、手玉に取ってあしらうことが大将としての箔にもなるのだ。 
「だからしてねえって」
 鴆はリクオの弁解など聞きたく無いのだ。しかし、一つだけどうしても気になることがある。
「相手はどんな奴だ。女か。……そ、それとも、おと……」
「男になんか興味無えよ!お前以外」
「じゃあ、女……」
 鴆は本気で安堵した。
 もし相手が女だったら、男で跡継ぎも産めない自分は諦めるしか無いが、もしもリクオの相手が男だった時は、全身全霊をかけて対決するつもりだったのだ。
 笑みさえ浮かべてそんなことを聞いてくる鴆に、リクオは心底呆れていた。
「だから、浮気でも女遊びでもねえよ!」
 どう説明したら、自分の本気が鴆に通じるのか、思わず頭を抱えてしまう。 
「じゃあ、ウチに行くって本家の奴らに嘘吐いてまで、どこ言ってたんだよ」
 そして、鴆の質問は基本的な所にまた戻ってきた。
 ようやく観念したらしいリクオは、重い口を開く。
「……お前んとこの、山に」
「山だぁ?」
「ああ。……鴆の一族が隠れ住んでる里のすぐ近くに、結界が張ってある山があるだろ」
 確かにリクオの言うとおり、脆弱な鴆の一族を守るために隠れ里を作り、その周りにも広めに強い結界を張っている。人間はもちろん、半端な妖怪では足を踏み入れるどころか、そんな結界があることさえも気付かないだろう。
「そんな所、何しに……」
 鴆の頭領である自分でさえ、めったに行くことは無い場所だ。
「いや、大したことじゃねえよ。──オレがそこに行ってたってことは、お前んとこの一族の誰かに聞けば分かるだろ」
 そう、自分のアリバイを証明してこの問題は終わりだと、リクオは軽く手を振ったが鴆の不信感は治まることは無かった。
「……何してたんだよ。オレの一族は知ってて、オレには言えねえのか!」
「別に、里の奴らにだって、オレが何してるかは言ってねえよ。ただ、場所を借りてるだけで……おい、な、泣いてんのか」
 目元を手の甲でしきりに拭っている鴆の様子に気付き、リクオは慌てて鴆に近寄った。その肩に手をかけると、わずかに震えていた。
「自分が、ふがいないんだよ!」
 鴆はリクオの手を振り払った。紅い瞳でキッとリクオを睨み付ける。
「リクオ!見損なったぜ!このオレに、たった一人の義兄弟に隠し事をするなんざ、くそ!」
 本気で涙ぐんでいる鴆の姿を見つめているうちに、リクオは負けを認めて、ようやく本当のことを鴆に告げた。
「……くそ!……こっそり修行してるなんて、言えねえだろ!恥ずかしくて!」
「──し、修行?」
 思いも寄らない言葉が飛び出して、鴆は目を瞬かせた。
「ああそうだよ!あそこは広いし結界も張ってあるし、ウチから遠くも無いし丁度いいんだよ。……敵に悟られないようにってのもあるが、結界の中でこっそり修行してるなんて、格好悪いだろうが!」
 一気に真相を吐き出したリクオは、肩でぜいぜいと息をしている。
 鴆には、何故リクオがそこまで自分にまで秘密にしておきたかったのか、イマイチ理解出来ないでいた。
「お前、遠野でも修行してたし、鞍馬でもオレと一緒に……」
「──最初から周りにバレてんのとは、訳が違う」
 ぷいっとそっぽを向いたリクオの顔が赤くなっているのを見て、鴆はリクオが嘘を吐いていないことを確信した。
 ささやかな虚勢を張りたいために、自分を誤魔化そうとしたのかと思うと、三代目を襲名してもまだまだガキなんだなと微笑ましく思い、鴆は広い心でリクオの嘘を許すことにした。
「ははは──何だそうかよ!オレは、格好良いリクオも、格好悪いリクオもどっちも大好きだぜ!嫌いになんてならねえよ!」
 そう本気の告白をし、鴆は先ほど自分が振り払ってしまったリクオの手を取って、強く握りしめた。
「よし、これからもバンバン修行しな!そん時は、オレんとこに来るって言っていいからよ」
 ようやく鴆の理解と協力を得られたリクオは、恋人に微笑み返した。
「ありがとう、鴆。……まあ、今日みたいな行き違いにならねえように、修行しに行く時は電話かメールしとくからな」
「おう!オレも、電話とめえるのやり方、しっかり覚えるからな!」
 そしてなんとか携帯の最低限の扱い方を覚えた鴆のその努力が実るのは、それからすぐのことになる。リクオから、見たことの無い妖怪の素性を訊ねるメールが届いたのだった。(そして、小説第4弾へ続く。)


○○○


 本家で行われた定例会の後、鴆は庭の隅で鴉天狗に声をかけられた。
「最近、毎晩のように三代目が薬鴆堂へお邪魔しているようで」
 そう鴉天狗に頭を下げられ、一瞬何のことかと思ったが、すぐに気が付いた。
「ん?ああ、そうだな……」
 本当は『毎晩のように』というわけではないのだが、リクオとの約束でリクオが秘密の修行をする時は、本家の者には薬鴆堂へ行くと告げることになっていた。
 だがそれを知らない鴉天狗は、当然リクオが夜な夜な足繁く通っているのが、鴆の所だと信じて疑っていない。
「コホン。鴆様は三代目の義兄弟。仲むつまじいことはよろしいのですが、昼の生活もありますからな。学業に差し障りが出るようでは困りますぞ」
 鴉天狗が言うには、学校へ同行している雪女や青田坊からの報告で、最近よく授業中に居眠りすることがあり、授業が終わっても気が付かないで爆睡していることもあるのだという。
 鴆はさっさと学校なんか辞めてしまえば良いとも思っていたが、基本的にリクオがしたいことは止めるつもりは無かった。
 鴉天狗には、つい先日、どういうわけか自分とリクオの本当の関係がバレてしまったらしい。しかし特に咎められることも無く受け入れられ、有り難く思っていたが、その後何かと生暖かい目で見守られることが多くなり、多少の気持ち悪さを感じることがあった。 
「……あ、ああ。分かってる。その、……心配かけてすまねえな」
「鴆様も、あまりお体が丈夫では無いのですから、……断る時はびしっと断って頂いてよろしいのですぞ!何かありましたら、この鴉天狗が責任を持って三代目をお諫めいたします!」
 一見、頼もしい鴉天狗の言葉だったが、つまりは毎晩のように営まれている(と思われている)夜の生活の回数を減らせという話と、更に体の弱い鴆がリクオの求めに耐えられない時は、自分では言いにくいだろうから鴉天狗に教えてくれ、と言うことだ。
 いくら鴉天狗が本家の相談役とは言え、そこまで超プライベートなことまで気を遣われなければいけないのか。
「……ああ、ありがとな」
 無理矢理に笑顔を作って、去っていく鴉天狗を見送った鴆だったが、見えない所は冷や汗でびっしょりだった。早く薬鴆堂に戻って休みたいと、ふらつく足を何とか動かす。
「修行のことは黙ってろとは言われたが……ちくしょう、恥ずかしくていたたまれねえぜ……リクオ」
 鴆は、リクオ本人に修行しているのがバレて恥ずかしい思いをさせるくらいだったら、自分が矢面に立っていた方がマシなんだと、なんとか自分を納得させたのだった。


(ende 20110905)


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(20110905)
ネタを思いついたのは、9/2(金)に
某掲示板で来週のWJ・39号のネタバレを読んだ時(笑)
知らないうちに修行してたみたいですね〜。
内緒で修行するなら、こんなこともあって良いかなと。
更に、9/4発売のコミックスと小説の内容で補正しました。
早く本編に鴆が出ないかなぁ。

追記
WJ40号で、妄想はただの妄想でしかなかったことが判明。