冷
た
い
童
話
ACT.1
最初に男の目に入ったものは、真っ白な大地だった。刺すような冷たさと、頭から落ちてゆく壮快感。 何事もない時であれば、今まで何人が訪れることができたか分からないこの国へ、足を踏み入れたことだけでも、男の好奇心と冒険心を満たすに充分であったろう。だが、今はそれどころではなかった。 男はこの国に最後の望みをかけていたのだ。 今まさに、たどり着いたこの国は、実は地上にはない。天空にあるのだ。 厚い雲に覆われた流浪の城。遥かな高みにあるため、普通に目を凝らしたのでは、ただの雲なのかどうか見分けがつかない。 男がこの城を見つけることができたのは、偶然だった。 地上でも屈指の高さを誇る山へ登り、そこから見ていた雲の切れ間に、本来あるはずのない大地と城が覗いていたのだ。 男はそれが自分の捜している国だと、確信した。 天を浮遊し続ける国−−『氷河の国』と呼ばれている。 そこには、氷女という種族が住み、女だけの国を造っているという。氷河の国は常冬の世界で、氷女は冷気を操る美しい女だという噂だ。 そしてもう一つの噂は、氷女が作り出す『氷泪石』という宝石には、計り知れない価値があり、その石はありとあらゆる怪我や病に効くという。 男の体には、病魔が巣くっていた。 全身にショックを感じ、と同時に右足に激痛が走った。男はやっと自分が氷河の国の大地に降り立ったことを知った。 降りた、というよりは落ちたのである。 地面は全て雪だと考えていた男は、雪の下に隠れた岩があるなどとは思っていなかったのだ。 運が悪かったのだろう。 男の右足は、骨が折れたかどうかしたらしい。 病に冒され始めた右腕からの鈍い痛みと足の激痛に、男は呻き声を上げた。 何とか起き上がり、雪の上に腰を下ろす。 空を見上げると、灰色の雪雲が高いところで渦巻いていた。男はあの雲を突き抜けてきたのだ。 全てのものを凍りつかせずにはいられない氷の雲を通り抜けることは、容易ではない。幸いなことに、男は炎を操る力を持っており、体を炎に包ませて、あの雲を突き抜けてきたのだった。 彼が生まれ育ったのは、広いこの世界でも南の方。熱い大地にある村だった。 その村には、炎の妖気をまとう妖怪が暮らし、ほとんどの者が村で一生を終える。というのも、その一族の特殊な性質に原因があった。 炎を操るその一族の間では、同種の男女の間にしか力を受け継ぐ子が生まれなかったのだ。外の他種族の妖怪と子を生すと、もうその子供は炎の村の一族ではなくなってしまうのだ。 本能がそうさせるのか、炎の一族は種の存続を第一とし、常に同種の伴侶を得て、子供を作るのだった。 この村では、赤い髪の者が目立って多い。赤い髪の者は全て女で、男は皆髪が黒かった。同種であることを示すのは、燃えるような赤い瞳だった。 女が多いことには訳があった。この一族の女は、生涯に一度しか出産しない。 2〜3人の子を生むのだが、多くの女性は出産の時、命を落とすことになるのだ。寿命が自然と短くなる女の出生率は、男の3倍程だろうか。 炎の妖気をまとうのは腹の中の子も同じことであり、生まれてくる時、子供は母の体内を焼き焦がしながら生を受けるのだ。 子を産んだ女は、命を落とす。もしくは、二度と子供を産めない体になる。それでも、炎の一族は同種の相手を求め、母は我が子に未来を託し、男はその子らを守り育てていくのだった。 彼も母を亡くし、姉と2人、父に育てられた。 父は2人の子を残して亡くなった母を、勇気ある素晴らしい女だったと子供達に教え、2人の子はそれを誇りに思い育っていった。 2人の子は成長し、やがて姉は当然のように同種族の男に恋をし、子を産み−−命を落とした。 弟である彼はその時初めて、そのことが惨く、凄惨なものだということを知ったのだった。 散らばった姉の赤い髪よりもなお赤く、焼け爛れた体。母を焼きつくし、炎で赤く燃えている子供達−−。 彼は、自分もそうやって母を焼き殺して生まれたことを、改めて実感し、痛い程に自分を呪ったのだ。 そうして彼は村を出た。 同種族の女に恋をしないように、と。 自分の愛した女を、子供のためとはいえ、殺してしまうことはできないと−−−。 彼は、自分は父のように強くはなかったと、自分に向かって呟いた。 それまで、ほとんど村から離れたたことがなかった彼は、外のあらゆるものが、好奇の対象だった。 まず、目に多く入ってきたのが、見たことのない植物達。木、花。妖怪を食らう植物。 暑く、熱い大地に住んでいた頃は、村の周りには暑さに耐えられる、わずかな植物しかなかったから、北へ向かって気温が少し下がっただけで、こんなにも世界が変わるとは思っていなかったのだ。 自分達以外の種の妖怪は知っていた。村は出入り自由で、まれに炎の一族の女が他種族の男の子を産むこともあるし、またその逆もあった。 だが、やはり最終的には、女は同種の男と子孫を残すことを選ぶのだ。自分の命と引き換えにして−−。 彼は外に出て、気の赴くままに旅をした。当てのない旅であったので、男は旅に目的を持つことにした。 一番気に入っていたのは、隠された財宝を捜しあてること。伝説や噂をもとに捜し、手に入れるのだ。 彼がこの密林にやってきたのも、そんな伝説の所為だった。 そこには、2つと無い秘宝が眠っているという。伝説に付きものの、確証のない噂ではあったが。 それは、比較的新しい噂で、千年近く前に伝説の盗賊が隠したのだという。 場所もかなりはっきりとしている。だが、まだ誰もそれを手に入れることが叶わないでいた。 それを隠した伝説の妖怪は、植物を操ることに長けており、秘宝の周りにありとあらゆる罠を仕掛けたのだという。 熟練の盗賊達は、その場所の恐ろしさを感じて、指をくわえて見ているだけだったが、彼はまだ若く、そこの恐ろしさを知ることはなかったし、その伝説の盗賊についても、ほとんど知らなかった。 伝説と噂を頼りに、場所の見当を付けた彼は、勢い勇んでそこへと向かったのだった。 彼の目指す宝は、密林の奥にあるはずだった。植物の罠があるという話であったので、知っている限りの植物に対する解毒剤を持ち、常に自分の妖気で身を守りながら、その密林を進んでいった。 村を出てから彼自身を守ってきたのは、一族の中でも類いまれな炎の妖力だった。 そのため、彼のどんなものでも焼き尽くす黒い炎は、今回も自分を守るだろうと、自信を持っていたのだ。 だが、今回ばかりはそうはいかなかった。 彼が密林を進んで行く途中、様々な植物が彼に襲いかかり、妖花は甘い香りで彼を惑わそうとした。しかし、それらの全ては彼の炎の妖気で燃え尽きてしまった。風に乗って流れてくる、有害な花粉や胞子も炎でチリチリと焼け焦げていた。 森の奥深く、彼はとうとう宝の在りかを発見した。巨大な木の根にしっかりと抱えられている木の小箱が、目的のものに違いない。 宝の中身は、知らなかった。彼にとっては、盗み出す対象が何であれ関係なかった。ただ、誰よりも先に宝にたどり着くことが重要だったのだ。 彼は意気揚々と宝の箱に手を伸ばした。だが、炎の妖気で体を包んだままでは、木の箱が燃えてしまうと考えて右手の炎を消し、その箱を掴んだ。 が、その箱はなかなか木から外れなかった。いら立って、木の根を焼きボロボロにすると、その箱に改めて手を伸ばした。と、その時初めて、その箱が箱ではなく、木の根の一部であったことに気がついた。おそらく、宝を狙ってきた者を、油断させておびき寄せるための罠の一つなのだろう。 彼ははっとしてそれから手を放した。頭上から木の蔓が一斉に彼に振りかかってきた。彼は右手に炎の妖気を集めて、それらを焼き払おうとし−−右手に力を込めた。途端、今まで感じたことのない激痛が右手を襲ったのだ。 幾つもの細かい針のような刺が、手の表面から入り込んでくる。そんな痛みだった。さっき触れた小箱−−木の根から、なんらかの攻撃を受けたのだ。 余りの痛さに、のたうち回りたかったが、今まさに木からの攻撃を受けている状態では、それは叶わず、何とか左手の方に炎を集めて、木をまるまる一本焼き尽くすことに成功したのだった。 右手の痛みはまだ続いており、見ると、指先の方から徐々に黒く変色しているのだ。体が熱くなり、汗も出てきた。毒にやられたのかもしれない。 彼は自分の荷物の中から慌てて薬を取り出した。が、彼を攻撃した木の正体が分からないままでは、ちゃんとした治療はできない。それでも、一番効きそうなものを選ぶと、それを飲み込んだ。 それは一時しのぎに過ぎなかった。急いで医者に治療してもらわなければ、まずいことになるだろう。 自分の浅はかさに腹が立ったが、今はそれどころではなかった。彼は、熱い体を引きずるようにして、もと来た道を引き返していった。一度通り、あらかたの敵対する植物を焼き尽くした道を戻ることは、たいして苦労はなかった。 だが、右手には激痛が走り、体が熱で火照っている今は、歩くことだけでも苦痛だった。 なんとか、罠のある森を抜け出したところで、彼は地面に倒れ、そのまま草むらの中で気を失ってしまったのだった。 おそらく、一日程、彼は気を失っていたのだろう。こんな魔界で無防備に倒れてしまったことに、彼はうかつだったと自分を責めたが、そんな中自分がまだ生きていることに、幸運を感じていた。 右手はまだ痛かったが、我慢できない程ではない。熱もあらかた下がったようだった。 大きくため息をつくと、彼はゆっくりと起き上がった。−−ふと、視線の端に白いものが映った。 何だろうと彼が手を伸ばし、それを引っ張る。と、それは自分の髪の毛だったのだ。 慌ててもう一度自分の髪の毛を引っ張って−−見た。 すると、炎の一族の黒い髪ではなく、銀に近い白に変色しているではないか。 おそらく、密林の罠の毒か、激痛のため、色が無くなってしまったのだろう。 彼は自分の髪の色が変わったことに、例えようのない罪悪感を感じていた。 母からもらったこの体の一部を、変えてしまったから−−。 気落ちしていると、右手に再び激痛が走った。 見ると、指の先の黒い部分が、前よりも広がっていることに気づいた。 −−このまま、オレの右手も変わっていくのか? そんなことはできないと、彼はよろめきながら立ち上がり、一番近くの村を目指して歩き始めた。 やっとたどり着いた村の医者は、こんな病気は見たことがないと言った。 気休めに痛み止めの薬はくれたが。 彼は違う村を目指し、そこを出た。 右手の先からは、だんだんと黒く変色していき、痛みも酷くなっていく。 ある医者は腕を切り落としてはどうかと言った。今では立派な義手は幾らでもあると。 だが、彼は母からもらったこの体を変えてしまいたくはなかったのだ。 髪の色が変わってしまったことさえ、彼には不本意なことだったというのに。 村より大きな−−町、と言った方が良いような集落で、彼はある噂を聞いた。 ずっと、北の空を飛んでいる『氷河の国』。そこに住む氷女という種族が造り出す宝石には、どんな傷も病もたちどころに治す程の力があるという。 彼は、氷女の宝石のことは名前だけは知っていた。どうやって造られるのかは知らないが、『氷泪石』という名のついたその宝石は滅多に手に入らないもので、一粒でもあれば、楽に一生を過ごせるという。 −−それがあれば、腕を切らなくて済む。 彼は氷泪石を捜して町を出た。目指すのは氷河の国。厚い雲に覆われたその国は、なかなか見つかりにくいという。彼はその国へ向かう途中の村や町でも、氷泪石の情報を集めることを忘れなかった。 運が良ければ、どこか地上に氷泪石があるかもしれないと。 だが、そうはいかず石は見つからなかった。腕の痛みは段々と酷くなり、皮膚の色が黒く変わっていく。 彼は氷河の国へと進み続けた。 氷河の国は高い山に登った時、雲の隙間に見つけることができた。 彼はそれを見失わないうちに、氷河の国へと行く決心をした。 口笛を吹くと、彼の倍はありそうな赤い羽の大鳥が舞い降りた。火の鳥の一種で、彼がここへ向かう途中に捕まえた鳥だ。彼の炎の妖気で従わせることができたのだ。 大鳥は氷河の国を隠した雲の固まりを目指して飛び立ち、彼はその足をしっかりと掴む。彼は空にある氷河の国へ、もっと上から飛び降りようというのだ。 近付いただけで、冷気が彼と大鳥の皮膚につき刺さるようだった。大鳥が行きたがらないのをなだめて、彼は氷河の国の真上まで飛ばせて、そこから落下した。 体にまとう、一族でも有数の炎の妖気がなければ、氷河の国を覆う厚く冷たい冷気を無事に突き抜けることはできなかっただろう。 そうして彼は落ちていったのだった。 |
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この話は1996年夏発行の 同人誌からの再録です 在庫は、遙か昔に無くなっています 個人的に気に入っていたので 再び発表する場を得られて嬉しいです |
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