憂鬱な太陽 孤独な月

BY 月香
                                   BY 月香




 大学を卒業し、5年。大阪で刑事として勤めていたオレの元へ、突然、工藤新一が現れた。スーツ姿はともかく、何故かその手には、大きな真っ赤なバラの花束を持って、そして真剣な顔をしていた。
「服部、オレの話を聞いて欲しいんだ」
──ということは、その花束はやっぱりオレに持ってきたのか。ご丁寧にピンクと黄色の大きなリボンがかけられている。
 そういうことは、男のオレにすることではないだろう。
 警察署のロビーに呼び出されたオレは、遠巻きに婦警達から好奇心に満ちた目で見られていた。今や海外でも活躍するようになった名探偵・工藤新一は大阪でも、もちろん有名人だ。
「──オレ、今、仕事中なんやけど」
「待ってるから」
 と言われても、こんな見てくれのいい男が、警察署の入り口に大きなバラの花束を抱えてずっと立っていたら、警察の威厳というものが疑われてしまう。
 余りに予想外の新一の行動に、なんだか熱が上がってきたようだ。頭も痛い。オレはネクタイを軽く緩めた。
 ため息をつき、ポケットを探り、新一に自分の家の鍵を渡した。
「……これ、オレんちの鍵やから、ウチで待っとって」
 いつまでもここにいられるよりはマシだろうと、オレは手帳の切れ端に一人暮らしをしているアパートまでの地図を書いて新一に渡した。
 それを受け取った新一は、少しほっとしたように表情を緩めた。
 きっと新一は、この間のことを謝りに来たのだろう。
 昔もそうだった。付き合っていた頃、新一の浮気が原因でオレが怒るとプレゼント攻撃に出てくる。でも、オレはそれがイヤでは無かった。贈られるプレゼントは、オレが好きなものばっかりだった。
 そう、深紅のバラの花束さえも──そんなものを他人の目の前で渡してくれたら、付き合っている頃だったら、人目を気にせずオレに愛情を注いでくれる新一の気持ちが本当に嬉しかっただろう。
 それだけ、オレは新一を独占できているのだと信じられたから。
 






 数週間前のあの日、新一と会ったのは偶然だった。


 新一と再会したのは、最後に二人きりで会った日から5年が経過していた。
 警察の研修で東京へ出張し、ホテルに泊まっていた時、そのオレが泊まっていた同じ階で殺人事件が起きたのだ。よくよく自分は事件体質だと実感した。
 オレは、同じ警察として捜査に協力しようとしたのだが、事件の関係者かもしれない自分は捜査に加えられないと言う。それに、管轄が違うと断られてしまったのだ。
 手持ち無沙汰で少し離れた場所に立っていると、新一が向こうから歩いて来たのが見えた。
 管轄が違う刑事に協力はしてもらわなくても、本来、部外者である私立探偵には協力して欲しいのかと思うとアホらしくて笑える。が、すぐに新一を現場に呼んだらしい女刑事の視線に気がついた。昔の蘭ちゃんと一緒だった。
 なるほど新一に惚れていて、何か理由をつけて新一に会いたかったのかと。そう思うと、かわいそうで泣けてくる。
 そんなやっかいな奴に惚れんでも、ほかにいい男はたくさんいるだろうに。



 和葉は、新一との付き合いは全くなくなったが、相変わらず蘭ちゃんと仲が良いようだった。たまに電話で話しをしていると、よくその名前が出てくる。
 新一が蘭ちゃんと別れたという話を聞いたのは、あの二人が結婚してから、まだ2年しか経たない頃だった。
 オレと新一が別れて、大体同じくらいの時が経ったのかと、不思議な感じがしたので、その時のことは良く覚えている。
「……蘭ちゃんな、工藤君と別れることにしたんやって。あんなにお似合いやってんのに、恋愛と結婚はやっぱ違うんやろか?」
 そんな話を聞いても、オレは別に意外だなとは思わなかった。その前にも何度か和葉から、別れるんじゃないだろうか?という話はよく聞いていたから。
 原因は、新一の浮気だという。
「まあ、あれだけ見てくれはええし、金もある有名人やしな、いくら奥さんがおるかて言うても、周りの女は放っておかんやろ」
 事実、オレが昔、大学生の頃──東京で新一と暮らしていた時も、何度かそんなことがあった。オレが問い詰めると、お前も男なんだから分かるだろうと嫌な言い訳をする。けれど最後には謝ってくれたし、特定の女とは付き合ってはいなかったようで、本当にただの遊びだと分かっていたから、オレもなんとか許すことができたのだ。
 オレと新一が別れた理由は、オレが大阪に帰ったから。だと思う。
 はっきりとした理由は聞いていないけれど、きっとそうだ。新一はああ見えてかなりの寂しがりやで、好きな時に会えなくなった遠くの恋人よりも、身近な蘭ちゃんを選んだのだろうと、オレは勝手に理解していた。
 オレが和葉の口から、新一と蘭ちゃんが結婚するんだと聞いた時、お腹に子供がいるのだという話も聞いた。オレはその頃はまだ、新一の思い出を引きずっていたから、酷くショックを受けたことを覚えている。
 オレには、たとえ天変地異が起きたって、新一の子供を産むことなんて、できないから。その時、自分に出来ないことをやってのける蘭ちゃんが、とても羨ましく思ったものだ。
 結局、あの二人の結婚生活は、たったの2年で終わった。
 新一は蘭ちゃんに謝らなかったのだろうか、それとも蘭ちゃんが我慢できなくなったのだろうか。子供もいたというのに。
 新一の浮気が原因だということは、慰謝料と養育費は払うんだろう。
 せいぜい、がっぽりと取られてしまえばいいのだと、オレは独りで笑っていたのだった。





 オレがそんな意地の悪いことを思い出していると、天下の名探偵・工藤新一様の活躍で事件はあらかた片が付いたらしい。
 犯人だと指摘された人物が、うなだれた様子で警察に腕を引かれ歩き去って行った。
 それと反対に、新一が、オレを見つけてゆっくりと歩いてくる。
 さっきから、ちらちらとこっちを見ていたから、声を掛けられるかもしれないとは思っていたから、心の準備は出来ている。
「……よお、久しぶり」
「ホンマに、久しぶりやな」
 結構、冷静に話しをしている自分がおかしかった。大学を卒業して、二人の幸福だった時間が終わって……あれから5年も経つのだ。当然だろうか。
「事件も片付いたしさぁ、これからここのホテルのバーとかで飲まねぇ?お前、ここに泊まってんだろ」
「あーそやな、オレ、ここは管轄外やから、調書取るんも付きあわんでええみたいやし。……お前のおごりやったら、ええで」
 新一が、オレの顔を見て、笑った。その表情は、昔と全く変わらない。
「相変わらずだな、お前」
 向こうも、オレが全く昔と変わらないと言う。
「お互いさまやんか」
 そうやって、最初は、笑って酒を飲んでいたはずだった。
 途中、新一が三年前に蘭ちゃんと別れた話になると、新一の機嫌が目に見えて悪くなって行った。他人も居る場所だというのに、大声を上げ、殺しそうな目でオレを睨みつける。
 オレは、早々に話しを切り上げて逃げるように部屋に帰ったが、そのすぐ後、新一はオレが泊まっているホテルの部屋まで押しかけて来たのだった。
 部屋番号をうっかり話してしまったのは失敗だっただろうか。
 何度もドアを力任せに叩かれ、開けなければ、無理矢理蹴り開けると怒鳴られた。仕方なしに鍵を開けると、新一が勢いに任せて飛び込んできた。
 新一もオレも、正気を失うほど飲んでいたとは思えない。だが、オレは新一から逃げることができなかった。
 狭い部屋では、逃げる場所も無く、数歩下がればすぐに壁に突き当たる。
「……工藤?」
 腕を掴まれ、バランスを崩したところを足で引っかけられ、そのままベッドの上に放り投げられた。
 オレは起きあがろうとしたが、間髪入れずに新一がオレの肩をベッドに押しつけるようのし掛かってきた。逆光の所為でその表情が読みとれず、オレは新一に恐ろしさを感じた。
 思わず、新一を押しのけようとその腕を掴むと、苛立ちを含んだ声でオレの動きを封じる。
「──何だよ、抵抗すんのか?……今更じゃねーか」
 怖い、と思ったが──オレは新一が怖かったのではなくて、新一がこういう行動に出た『理由』を知るのが怖かったのだ。
 ただの怒り任せの行動なのか、それとも新一が──まだ、自分のことを好きなんじゃないだろうかと、ほんの少しだけ期待してしまったから。
 ──オレはまだ、新一が好きだった。






 特に急ぎの事件も発生しなかったので、オレは誰かに呼び止められる前に勤務する警察署を飛び出していた。何とか、定時に出ることができた。
 早く家に帰らなければ。新一が、待っている。
 きっと新一は、この間オレに無理矢理したことを謝りに来たのだ。
 あの日、目が覚めると新一の姿はもうすでに無かった。気だるい体を無理矢理起こして、オレはテーブルの上や電話の横を見た。何か、新一からメモでも残っていないだろうかと思ったのだ。
 結局、何も残ってはいなかったけれど。
 自分の体に残るキスの跡が無ければ、夕べのことなど幻だったと自分に言い聞かせていたかもしれない。
 あの時のことはただの成り行きだった。それだけなんだ。期待してはいけない。
 そうは思っていても、オレは考えを止めることができない。
 もしかして新一は、謝りに来ただけではなくて、オレとよりを戻すために大阪へ来たのだろうか……なんて。
 なんて、いやらしい自分。
 そうしてオレは再び、自己嫌悪に陥るのだった。





 急いでアパートに戻ると、オレは扉を勢いよく開けた。真っ先に玄関の足下を見ると見慣れない男物の靴が脱ぎ捨ててある。良かった、新一はまだ居るのだ。
「……工藤……?」
 短い廊下を進みゆっくりと部屋を覗くと、部屋の中央に新一が座っているのが見えた。
 声をかけようとして、動きが止まる。
 新一は、オレの部屋で……泣いているようだった。
 そっと顔をのぞき込むと、新一は無言で、ただ、はらはらと涙をこぼしている。
 そんな新一の目の前には、一抱えもありそうな古いダンボール箱が置いてあった。蓋は開いている。
 オレには、その箱が何なのか分かっている。
 実家に置いてくれば良かったと少し後悔した。押し入れの奥に入れていたはずだったのに、きっと新一が部屋を色々とオレの部屋を物色して見つけ出したのだろう。家捜しは探偵の性っていうものかと、ちょっと呆れてしまった。
「……勝手に、人んちの押入れ見たら、アカンで?」
 オレはなだめるように、なるべく優しい声で新一に言った。
 ゆっくり近づくと、新一がくるりと振り向きオレに手を伸ばしてきた。
 オレを、そのまま両腕で抱きしめてくる。その暖かさが昔の新一と同じで、オレはまた錯覚してしまいそうになる。
「服部……オレは、全部、捨ててしまったんだ……」
 オレの耳元に、囁くような震える小さな声で新一がそう言っているのは、この箱の中身のことだろう。
 その中には昔、恋人同士だった間に、新一からもらったプレゼントの数々が納められていた。
 時計、服……それが入っていた箱、袋、リボン。
 そして、『今日は遅くなる』といった、何気ない日常のメモ。
 ずっと一緒に居ようという言葉と共にもらった、黒ずんでしまった銀の指輪。この指輪は昔、新一がオレの左の薬指にはめてくれたものだった。
「オレは、みんな捨ててしまったんだ……蘭と、結婚する時に」
 ゴメン……と項垂れる新一に、オレは努めて明るい声で答える。
「別に、責めたりはせんよ」
「でもお前は持ってた。こんな、包み紙やリボンまで」
 新一のことを、散々タチの悪い寂しがりやだと思ってきたが、オレも相当なものじゃないか?だってオレはどうしても、新一との幸せな思い出を手放すことができなかったのだ。
「はは、気持ち悪いやろ?」
「そんなこと、ない!」
 ばっと立ち上がった新一は、オレの目を真っ直ぐ見つめてオレの腕を取った。この間は怖かった新一の腕の力も、今はそんなことは無い。
「……ああ、オレどうしたんだろう。お前が、こんなに大事にしてくれていたのに、オレは、全部捨ててしまったんだ……」
 腕を引き寄せられ、肩を抱き寄せられた。新一の表情が見えなくなり、オレは少し不安になる。
「工藤?」
 オレの声に反応して、新一の抱きしめる力が強くなる。それが、気持ちよくてたまらない。
 されるがままになっているオレの耳元で、新一が躊躇いがちな声で訴えてくる。
「……あの時は、蘭しか、居なかったんだ。お前の他に、オレの側で、オレを……許してくれる人間を」
 それはおそらく、蘭ちゃんと結婚した時の話なのだろう。
「その割には、蘭ちゃんはお前んことフッたみたいやけどな」
 オレはそう、笑い飛ばしてやる。
 蘭ちゃんは新一の全てを許すことが出来なかったのだ。──では、オレは?
「……なあ……捨てたんやったら、も一回、拾うてみる?」
 オレなら、新一の全てを未来永劫許していける。そんな気がする。
「服部……?」
 新一がゆっくりとオレの体を離し、オレの真意を伺うように見つめてくる。
「もう一回、オレを拾うてくれへん?」
 はっきりとそう言うと、新一が泣きそうな顔で、笑った。
「オレから、そう言おうと思ってたんだ。オレと、オレともう一度──」
 その先は言わなくていいから。
 オレは、新一の言葉を遮りたくて、自分から口付けを仕掛けた。軽く、触れ合うだけのものだったけれど、新一はもう何も言わず、オレを再び力強く抱きしめてくれる。
「服部……!!」
「先手必勝やな」
 新一──頼むから、期待させるだけさせといて、また捨てるなんてナシやで?
 もしかしたら、昔捨てたオレにまた心を戻してくれたように、いつか、蘭ちゃんにも戻って行ってしまうかもしれない。その可能性は、まったく無いとは言えない。
 でも、オレだって今度は、新一を寂しがらせたりしない。東京と大阪なんて距離を感じさせないくらい、オレはお前のことを想っていきたい。



 オレとの思い出をすべて捨ててしまったと言った新一に、オレは以前新一からもらった、すっかり黒ずんでしまった銀の指輪を渡した。
 そのまま、新一の薬指にはめてやり、5年振りの恋人同士の深い口付けを交わす。
 この間とは違う。酒の席の成り行きなんかじゃない。今は互いにシラフで、思いを確かめあっているのだ。
「なあ工藤。オレには、新しい指輪買うてや。メッチャ高いヤツな。それくらいエエやろ?」
「ああ。約束するよ……服部」
 そしてオレは、あの段ボールを全て処分してしまおう。
 新しいオレで、新一を愛していけるように。



 《ende》
(20130110)
この話は、無料配布本です。
いずれUPする予定でしたが
すっかり忘れていて(笑)
発行は、2007年頃だったかな……