新一と夏とオレ
割のいいバイトがあると言ってきたのは、新一の方だった。 平次は随分前だが、短期集中で出来るバイトを探していると新一に言った覚えがある。 「まさか、こーゆー仕事だとは思わんかったで」 平次が今いるのは、工藤邸の一室。広い部屋の壁全てが本棚という、小説家工藤優作の書斎だった。 この家の現在の主人は、脚立の上で偉そうにふんぞり返っている。 「いいだろ、真夏に空調の効いた場所で、バイトできるなんてさ、贅沢なもんだぜ」 感謝しろとでも言いたげな新一に、少し腹が立ったが、確かに条件としては申し分ない。どうせ、夏休みにはなんだかんだと理由を付けて、ここへ来るつもりだったから。 涼しい部屋で、新一と二人きりで(ここがポイント)できるバイトなんて、他にどうやったって探せるものではない。 「この本全部片付けて、一人十万か。まあ、ニ人やったら、三日もあれば十分やな。お前のオトン、気前ええやないか」 「大量の本を送ってきたのは、父さんだよ。これを全部片付けろって、冗談じゃないって騒いだら、バイト料は出すって言ったんだ。友達の分も出すって言ったから、わざわざ呼んでやったんだぜ」 ダンボール箱の山を見ながら、新一は溜息を付いた。 平次もそれと一緒に溜息をつく。 「……大阪からの交通費は、考えてへんかったやろ?」 夏休みに入って間もない日、いきなり「東京へ来い」と電話が来て、平次は新一からお呼びが掛かるなんて珍しいこともあるものだと、言われるがままにやって来た。もちろん交通費は自腹だ。 「どうせ、オレが呼ばなくても、来ただろ、お前?」 「うっ!」 まるっきりの図星を刺され、平次は文字通り返す言葉を失う。 「だろ?」 新一はしてやったりと、ニヤリと笑う。平次は真っ赤になってうろたえたが、今更言い分けはできそうにない。 「そ、そうやけど」 「なら、いーじゃん。あ、そこの本、取って」 楽しそうにその平次の様子を見ていた新一は、脚立の上から平次に次々と命令し始めた。 ◆◆◆◆◆ 「げ、これも本か?」 玄関脇に無造作に詰まれたダンボールを見つけて、平次が大げさにうめいた。 「今朝、届いたんだよ。父さん、日本の出版社に頼んで、色んな本をアッチに送ってもらってるから。溜まるとこうやって、送って来てたんだけど。−−少し前までは、オレもコナンだったから、結構、溜まってたんだよな」 「しゃーないな、やろか」 うんざりしながらも、平次はその箱を一つ抱えあげた。本が詰まっている為、かなりの重さだったが、平次も普段から体を鍛えているのでそんなに苦にはならない。 「ああ、やっぱ、一人よりニ人ってのは良いよな」 新一も箱を一つ抱え、一緒に書斎へと向かう。その時、ふと新一が口を開いた。 「ん?」 「一人だとさあ、本って結構重いし、ついつい、本開いて読んじゃうんだよな、オレ」 「ああ、その気持ちは分かるで。オレも、片そう思うても、一人やと注意する人間もおらへんし、中見てまうもんなぁ」 開けっ放しだった書斎のドアをくぐり、やっとで箱を下ろす。 「そうだろ?」 うんうんと頷く平次に、新一は同意してもらったことが嬉しくて、満面の笑みを返す。 以前は良く、幼馴染の蘭が本の片付けを手伝ってくれたが、最中に本を読み始めてしまう新一に、いつも呆れ顔で文句を言っていた。 本好きの気持ちは、同じような人間にしか分からないのだ。 「お、これなんか、オレまだ見てへんヤツや」 思わず手にした本をめくりそうになって、新一の冷ややかな視線を感じた平次は、とっさの所で理性で持ちこたえる。 「……なぁ、後で貸して?」 「ああ。これの片付けが終わったらな」 そんな様子を微笑ましく見て、くすくすと笑っていた新一だった。が、送られて来た本の中には、新一が読んでいないものもたくさんあるのだ。平次の手前、読みたいという自分自身の欲望をなんとか押さえ、新一は平次と二人で片付けを再開した。 ◆◆◆◆◆ 「予定通り三日で終わったのはええとして、何や結局、一日八時間労働どころじゃあらへんで!労働基準法違反や!超過勤務手当てを要求するで!」 平次は肩をぐりぐりと回して、筋肉痛をほぐそうとする。 「あー、うるせーな」 「せやかて、本の片付けがこんなにキツイとは思わへんかったもん」 片付けた本の量は、普通の人間の感覚ではないのだ。流石は世界屈指の推理小説家だ。 それにハードカバーものが多くて、それだけでもかなりの重さになる。 それにタイトルが日本語ではないものが多くて、新一から指示を出されてもそれを理解するまでに、更に時間がかかっていた。 いくら体力に自信のある平次でも、三日間ずっと本の片付けばかりというのは、きつかった。 「読みたいヤツがあったら、幾らでも貸してやるよ」 そう言う新一には、下心があった。 「ここで読んで行けばいいだろ。気が済むまで居ていいんだぜ?」 口に出しては言わないけれど、もうしばらく、彼と一緒に居たかったから。 「それだけなんか?」 上目遣いに催促され、新一は目を逸らして少し考えたふうだったが、平次に向き直ると手招きして、側に来させた。 「じゃあ−−ちょっと、こっち向けよ」 言われるままに側へ寄った平次は、すっと新一の顔が自分のすぐ目の前に寄せられたことに気づいた。 「−−ん?」 自分の勘違いでなければ、今の唇の上の柔らかい感触は、新一の同じもの。 「ほら」 「へ?」 「なんだよ、いらねーのか?超過勤務手当て」 心なしか、新一の顔が僅かに赤い。 「えっ!?」 「嬉しーだろ?オレにキスしてもらってさ」 「−−ぅん、っておいっ!何で、これが、嬉しいと思うんやっ!?」 条件反射的に思わず頷いてしまったが、慌てて平次は自分の口を押さえる。顔を真っ赤にして叫ぶ平次に、新一は涼しい顔で聞き返した。 「嬉しくねーの?」 「う、……うれしい」 小さな声で、けれどもしっかり聞き取れた返事に、新一はほっとして笑う。 「じゃあ、いいじゃん」 そんな新一にドキドキしながら、平次は控えめに聞いてみる。 「−−知っとったんか?お、オレが、工藤んこと、好きやって」 「気付いてないとでも、思ってたのか?お前」 そうは言ったものの、新一は絶対にそうだと確信があったわけではない。ギリギリ冗談で済ませられるくらいの、カマを賭けたつもりだった。それにまんまと引っかかったのが平次だった。 「せやかて……」 「知ってたさ。だから、超過勤務手当てだって言っただろ。嬉しいんだろ?」 「……うん、せやかて」 それでもまだ、平次は何か言いたそうだった。そんな平次を無視し、新一はこれからの休みの過ごし方を一方的に提案する。 「お前、まだこっちに居られるんだろ?明日は、どっか遊びに出ようぜ」 父さんからもらったバイト代で、パーッとやろうぜと、嬉々として言う新一の真意が掴めず、平次は上の空で返事を返した。 「あ?ああ、せやな」 「何、ボーっとしてるんだよ?明日、どこ行く?」 腕を伸ばして背伸びをしている新一に、どうしても一つ確認しておきたいことがあって、平次は恐る恐る声を掛ける。 「く、工藤……?」 「何だよ?」 「工藤は、好きでもないヤツと、き、キスなんかして、平気なん?」 口に出した後で、しまった、言わなければ良かったと後悔したが、ヘタに一人で盛り上がって、実は冗談でした−−なんて言われた日には、立ち直れない。 「……だーれが、好きでもないヤツなんだよ?」 「え?」 「オレは、誰とでもそんなことする程、軽い男じゃねーよ」 向こうを向いていたため、新一がどんな表情をしているかどうか、平次には分からなかった。 「え!?ほ、ほな……」 もっとはっきりした言葉を聞きたくて、身を乗り出すようにして新一に詰め寄った平次を、新一はあっさりとかわす。 「さーて、明日、どこ行こうか?メシ食って、映画?それとも、海の方にでも−−」 それではまるで、デートのようではないか? 「なあ工藤、これって−−デート?」 平次が不安そうに聞いてきたので、新一はくるりと振り向いて笑って答えた。 「−−さあな」 「ず、ずるいやんか、そんなん!」 はぐらかされたと知って、喚きたてる平次の肩をポンと叩く。 「推理してみれば?西の名探偵さんだろ」 「おお、やったるで!時間はぎょーさんあるからなぁ!!」 かなりの意気込みを見せる平次を、新一は楽しそうに眺めていた。 とりあえず、明日の予定を決めよう。夏休みは、まだ始まったばかりだから。 《end》 |
このストーリーは、2000年夏の インフォメーションペーパーの 裏面に掲載した、 無料配布小説です。 裏面のオマケだったので、 当時、一体何人の方が気づいて 読んでくれたのか……謎。 |