ミドリノヒビ【2】 『カロライナジャスミン』
BY 月香 「仕切り直しだ」 数日後の夜、妖怪に変化したリクオが薬鴆堂にやってきた。 鴆は、書き物の手を止めて、主の来訪を喜んだ。 腕には、大きな鉢植えを抱えていた。それは透明な袋で大事そうに包まれている。 鉢には数本の細い支柱が突き刺さっており、それに蔓状の緑が巻き付いていた。たくさんの小さな葉の他、筒型の小さな黄色い花がいくつも咲いている。 カタバミの鉢植えの代わりだと言う。 リクオが以前贈ってくれた、クローバーだと思っていた鉢植えは、実は全く違う種類の植物だったのだ。 リクオは鴆に幸運の印の四つ葉のクローバーを贈りたかった。なのに、鴆からの指摘を受けるまで、ちっとも気づかなかった。 残念そうな顔のリクオに鴆は気にするなと言い、それで話は終わった筈だったが、リクオが今日、そんな新しい鉢植えを持ってきたということは、やはり自分の勘違いが我慢ならなかったらしい。 可愛いもんだと、鴆はくつりと笑った。 家人に酒と肴を用意させ、鴆はリクオを上座に座らせる。 リクオは鉢植えを畳の上に置いた。 「残念ながら、自分で摘んできたんじゃねぇがな。けど、花屋を色々探したぜ。昼のオレが」 四つ葉のクローバーは、先に附喪神から鴆に贈られてしまった。 ならばとリクオが探したのは、鴆に望む願い。 花言葉に詳しそうな同級生に何気に贈り物について尋ねると、それならばと鳥居が教えてくれたのは、自分が祖母にプレゼントしたものだという。 それが、この鉢植えだった。カロライナジャスミン。しかし、花の時期は春だったので、せっかくの贈り物、花や蕾の一つでも付いていないと格好が付かないと、いくつもの花屋を巡って花が咲いているものを見つけたのだった。 リクオの手でビニルが外された鉢植えからは、さわやかな香りが漂ってくる。それが、名に「ジャスミン」を抱く所以なのだという。 花の名前を告げると、鴆は首を捻る。 「聞いたことねぇな」 カタカナの名前の植物には、あまりなじみが無いのだろう。リクオ自身も、同級生の鳥居から教えてもらうまでは、そんな花があるなど知らなかった。 鴆は鉢植えをじっと見つめ、葉をつまんでひっくり返してみたり、花を覗いてみたり、香りを嗅いでみたりとせわしない。 植物全般に詳しい鴆が珍しそうにしているので、これを選んで持ってきたリクオは、なんだか優越感を感じて楽しんでいた。 「外国から来た花だからな」 山に自生しているようなものでは無いので、栽培か天然物かという違いは考えずに済むのがありがたかった。 「──花言葉は『長寿』だからな、頑張れよ。鴆」 盃を掲げ、ニヤリと笑い冗談まじりでそう告げたが、これはリクオの本心だ。 「頑張ってるってぇの」 それを分かっている鴆も、冗談交じりでそう答える。 『鴆』は短命な妖怪だった。それでも、主であるリクオがそう望むので、鴆は「『鴆』にしては長生きだった」と言われるよう、精進するつもりだった。 リクオはそれを指さしながら、もっと鴆の気を引きそうなことを言う。 「これは毒草で、何か薬効もあるらしいぜ」 「え?」 思ったとおり、鴆は目をきらきらさせて、よりいっそう食い入るように花を見つめている。 リクオが、やっぱり鴆には、花言葉に意味を持たせるよりは、こっちの方がいいのかなどと、次の贈り物のことを考えていると、薬効があると聞いた鴆は、ひょいと葉っぱを一枚ちぎって口に含んでしまったのだった。 「あ、おいっ」 リクオは、まさか今、この場でそんなことをすると思っていなかったから、驚きの声を上げてしまった。 いやしかし、鴆は薬草などの専門家で、自ら猛毒を持っているので、それを自分の舌で確認しているのだろうということは分かった。分別の付かぬ幼子が、もしそういうことをしたら、ひっぱたいてでもはき出させるだろうが、目の前の毒鳥は、それが仕事の奴良組の薬師なのだ。 そう思い直し、リクオは手元の盃から酒を飲み干す。 鴆は、口を何度かもごもごとさせて──首を捻り、はっと何かに気づいて、懐紙にそれをはき出した。 「そんなんで、何か分かるのかい?薬師さんよぉ?」 それまで、鴆の行動を面白そうに見ていたリクオだったが、振り返った鴆が思いの外真剣なまなざしを向けてくるので、一瞬何事かと体を後ろに引いてしまった。 「おい。これは、本家にもあるか?」 「いや?買ってきたのは、これだけだ」 「そうか……」 「なんだ、もっと欲しいのか?だったら、花屋に……」 鴆が欲しいと言うのなら、一部屋全部花で埋め尽くしてもかまわない。 そうリクオが甘い妄想をしていると、鴆はさらに聞いてくる。 「これは、どこにでもあるもんなのか?」 「ああ、普通に売ってたぜ」 花が咲いている鉢が欲しかったので、花屋をいくつか巡ったことは黙っていた。 鴆は、ううんと唸り、顎に手をやっていくらか思案した後、自分で勝手に頷いて結論を出したらしい。 「リクオ、これは毒だ」 そう告げられても、最初からリクオはこれが毒だと言って持ってきたのだから、何を今更と思ったが、それでも鴆の言葉を否定することもなく、そうか、と応える。 「毒と薬は紙一重って言うからな」 「ああそうだ。絶対に口にするんじゃねぇ」 鴆の言い方は、いつになく真剣だった。 リクオはふうんと返事をしただけだった。野菜と見まがう形をしているわけでもないので、普通であれば口にすることは無いように思えたので、危機感は無い。 「そんなに凄い毒なのか」 頷く鴆に、だったらこれを探して持ってきたかいがあったと、自分の選択に自信を持っていた。 「ああ。……正確には違うな。オレが知っているものの近似の種だろう。これは少し、毒性が弱い。一番ヤバいヤツは、乾燥したものがウチにある。『冶葛』だ」 「ふうん。そういう漢方でもあるのか」 「ああ。妖怪には薬になるからな。けど、日本には自生していない。たまに、大陸から乾燥したヤツが手に入る。植物の中じゃ、最強だと言われている」 そこまでの説明を受けて、ようやくその『冶葛』とやらが、とんでもない猛毒の類だと理解した。 「……へぇ。植物の毒ってぇと、トリカブト、とか」 「それよりも、強い。人間はまず、死ぬ」 なけなしのリクオの知識でひねり出した、有名な毒草の名前だったが、鴆はそれよりも強い毒性を持つと言う。 「こんなに良い匂いだってのに……」 鴆と似ている。そう思い付いたリクオは、そんな想像を止めることが出来なくなっていた。 可憐な形をして香しい花だというのに猛毒をもつというコレと、見目麗しい猛毒の羽根を持つ毒鳥と。 「似てるな、お前と」 ぽつりと呟いたリクオの声をしっかり聞いた鴆は、不満そうに顔をゆがめた。 「ああ?何言ってんだ」 花と例えるのは不味かっただろうかと、リクオは任侠気質の強い義兄弟の様子を伺う。 鴆も男だ。花と比べられるのは不本意だったのだろう、そんなことを考えていたが、どうも鴆は違うところが気にいらないらしい。 「冶葛はすげぇ苦いんだ。酒に溶かして暗殺に使うとか、ぜってぇ無理だぜ」 鴆毒は無味無臭だ。鴆は、自分の毒がいかに暗殺に適しており、古代中国で重用されたかを語る。猛毒を持つ者の、プライドだろうか。 「殺すにも、ある程度の量が必要だ。文献によりゃ、葉っぱ二、三枚必要だそうだ。けれど、鴆の羽根は掠めるだけで死ぬ。羽根一枚で人間何百人も死ぬ。鴆毒の方が、すげぇんだぜ!」 「分かってるよ」 本当に嬉しそうにそう語るので、リクオは楽しくなってきた。 嬉々として鴆が語る毒が、鴆自身を蝕んでいるとしても、鴆が今ここで『鴆』たり得るのは鴆毒のおかげだ。 その猛毒欲しさに乱獲され、あるいは害鳥として駆逐され、鴆の一族が日本に逃れてきた所為で、今こうしてリクオは鴆と向かい合える。 リクオはそっと盃を床に置き、そんな愛しい恋人を、そろそろ口を閉じろよと、鴆をぐいと自分の方へ引き寄せた。いつものように唇に口付けようとしたリクオだったが、それに気づいた鴆は慌てて、リクオの顔を手のひらでバチンと叩いた。 「あ、すまねぇ!」 咄嗟に拒否してしまったことに気づき、はっとして鴆は慌てた。 「……なんだよ、お預けか?どこでそういうテク身につけたんだよ」 叩かれたリクオは、面白そうにニヤニヤと笑って鴆を見つめている。 「馬鹿野郎!」 「ああ?」 「さっき、オレがこれの葉を口に入れたの見てただろうが!」 鴆は慌てているが、そんなに危険なものだろうかと、リクオは植物最強の毒に無頓着だ。 「鴆、鴆毒は世界最強だろ?」 「当然だ」 「だったら、鴆毒も効かないオレにとっちゃあ、そんなのたいしたことねぇっての」 リクオは、鴆の制止など聞きもしない。鴆の腕を強く掴み、どうあっても逃さぬと再び自分の側へと抱き寄せ、有無を言わさず口づけた。 「あ、こら……。んっ」 いつものように舌を絡め、さらに甘い時間を共有しようとリクオは上機嫌だった。 「……っ!!」 だが、リクオは気づくべきだった。 鴆が先程、葉を口に含んで、すぐに吐き出したことを。 「うぉおお!苦ぇ!ってか、辛ぇ!」 口元を抑え、畳の上を這うようにもだえるリクオを、鴆は仕方なさそうに眺める。 「だから、言ったろ。鴆毒は無味無臭だけど、冶葛は苦いって」 主の警戒感の無さをどうにかしなければと思いながら、鴆は酒の入った盃を差し出すのだった。 ('13.09.16) |
HOME (20130916) 『シロツメクサ』の続き。 「冶葛」についてはネットで色々調べたけど、説明はちょっと適当(笑;) 猛毒を持つ花の花言葉が『長寿』って面白いですよね。 やはり、毒と薬は紙一重。 |