斑 雪

                          BY 月香






 リクオ様の妻にと望まれた私のことを、玉の輿だとか、長年の夢が叶ったとか色々周りは言ったけれど、私の心の中に渦巻く想いは、そんな簡単な言葉では済まされなかった。
 幹部の居並ぶ婚儀の間で、リクオ様から妻となる杯を受けながら、──これを受けるのは私ではなくて、本当はもっと相応しい者がいたのだということを私は知っている。
 私だけではない。皆も知っていることだ。ただ、口に出さないだけで。
 かつて、リクオ様の祖父・ぬらりひょん様がかけられたという狐の呪い。そのため、ぬらりひょんの血筋は、妖との間には子に恵まれなかったという。
 そんなやっかいな呪いもようやく解けた頃、私は三代目からの求婚を受けた。
 私は正直驚いた。──リクオ様の一番お側に仕えたいという私の願いは、きっと叶えられないのだと諦めていた頃だったからだ。
「……つらら、オレにはお前が必要なんだ。一生、オレの側に居てくれ」
 私はその時、嬉しかった筈だ。──何かが腑に落ちないまま、私はリクオ様の求めに応えた。それが、私の願いだったから。


 けれど。
 毎夜のように、夫であるリクオ様の部屋に向かった私には、まずしなければいけない大事な役目がある。リクオ様が直々に、私にしか任せられないのだと言ったお役目だった。
 部屋の中にはリクオ様は居ない。
 私は真っ直ぐ、床の間にかかる大きな掛け軸の前へと立った。桜の花が描かれた、とても素敵な絵だったけれど、私の目的の場所はそこではない。
 そっと、板造りの壁を押すと、音も無く壁は開いた。
 こうした隠し扉は、このお屋敷にはいくつかある。きっとまだ私が知らない場所もあるに違いない。中を覗くと深い階段があり、私をいつも虚無の渕へと誘うのだ。
 木の階段を下りて行っても、やはり、音はしない。明かりも一切無いけれど、妖の目には必要無いものだ。ひやりとした冷気だけが地下から漂ってくる。
 辿り着いた小さな部屋には綺麗な畳が敷かれていて、そこに布団が一つと、冷たい人形が一つ。
 私はその人形にそっと触れて、姿形が変わっていないこと、冷たさが失われていないことを確認し、軽く冷気をその上から吹きかけた。そして、再びリクオ様の部屋へと戻る。
 これが、私の日課だった。
 部屋へと上がると、リクオ様が私が地下から戻ってくるのを、酒の入った杯を傾けながら待っていた。
「おう、つらら」
「リクオ様」
「何か変わったことは無かったかい?」
「……いいえ、何も」
「そうか」
 はい。何もお変わりありませんでした。──あなた様の、恋人は。




 
 私がリクオ様に求婚されたのは、リクオ様の恋人である薬師一派の鴆様が、危篤状態に陥った頃だった。その時のリクオ様の取り乱しようは、端から見ている側近の私も目を背けてしまいたくなるものだった。
 そんな時に、リクオ様は憔悴しきった顔で、私に妻になれと言ったのだ。
 想い人がいらっしゃるのに、私などにそんなことを言うリクオ様を不思議に思ったけれど、鬼気迫るリクオ様の勢いに押され、私は頷いていた。
 それが、私の長年の夢でもあったから。
 その足で、私はリクオ様に伴われ、薬鴆堂へと向かった。
 リクオ様はずっと何も言わず、ただ私の肩を抱いた。


「──鴆、お前がずっと見たかった、オレの嫁だぞ」
 息絶え絶えの鴆様の側で、リクオ様はそんなことを言った。
「お前が心配してた、奴良組の四代目のことも、もう心配いらねぇからな」
 私は、死にゆくリクオ様の恋人に見せるために連れてこられた、偽りの『嫁』だったのか。私は落胆した。と同時に、納得した。
 そして心配になった。こんな見え透いた嘘に騙されてくれる鴆様だったら良いのだが……。
 『鴆』はその身毒ゆえに短命だった。リクオ様はそれを理解したうえで、鴆様を唯一の恋人に選んだのだった。
 けれど鴆様は男性で、とうていお二人の間には奴良組の四代目は望めなくて、それが奴良組に強い忠誠を誓う、幹部である鴆様の心を痛めていたことは、私にだって分かる。
 その恋人の最後のために、私という『嫁』を連れてきたのだ。
 リクオ様は、鴆様の手を握りしめる。
 もう、鴆様は声を出して答えるどころか、頷くことも、リクオ様の手を握り返すことすら出来ない。
 リクオ様が吐いた渾身の嘘も、理解しているかどうか分からなかった。
 ただ、ほんの少し、唇の端が上がったように、見えた。
 リクオ様に手を握られたまま、鴆様が息を引き取ったのは、それからすぐのことだった。
 ああ、私の役目は終わったのだと呆然としている私に、リクオ様はこう言った。
「つらら、コイツをこのまま凍らせてくれ」
「──え?」
「妖は死んだら、……畏を失ったら消滅してしまう。だから消えてしまう前に、こいつを凍らせてくれ」
 鴆様が失われないように。
「……つらら、オレにはお前が必要なんだ。一生、オレの側に居てくれ」
 その願いを、拒む勇気は私には無かった。





 毎夜、私はリクオ様のお部屋へと向かう。
 そして、地下へと足を運ぶ。リクオ様の大切な人を、失わないように。
 もちろんリクオ様は、いつか鴆様が目を覚ますだなんて思ってもいないだろう。そこには、ただの抜け殻があるだけだ。
 だから、リクオ様は鴆様の抜け殻をご自分で見に行くことは無い。
 私が一人、毎夜、確認しにいくだけだ。
 それが、私の大事なお役目。


「何か変わったことは無かったかい?」
「……いいえ、何も」
 あなたの大切なものは、今日も変わりなく冷たい姿で横たわっている。
 たとえ、──私が暗い嫉妬に耐えられなくなって、あの人形に冷気を与えることが無くなったとしても、あの人形が僅かに残った畏を失い、この世界から消えてしまったとしても、私は。
「何も、変わったことはありませんでした」
 私は、リクオ様に寄り添いながら、毎夜、こう答えるのだ。




(終)





HOME / BACK



正直、「リクつら」も好きなんだ。本当ですよ。
「フリージングコフィン!」
分かる人だけ笑ってください…。

(20120327)