○○のはなし

                          BY 月香


「ええ?もう一度言ってよ!」
「ですから、恐れながら──ささ美を鴆殿の番いにと」
 鴉天狗からの突然の話に、リクオは耳を疑った。
「『つがい』って、奥さんってこと?!」
 鴉天狗は神妙に頷く。
「同じ鳥族でありますし、ささ美はこの私・高尾山天狗党の党首の娘、家柄的にも問題無いかと……」
「……か、鴉天狗って鴆の一族に嫁げるの?無理なんじゃないの?」
 『鴆』は猛毒を抱く一族だ。生半可な妖怪が、その結婚生活に耐えられる筈が無い。
「前例が無かったわけではございません」
 ということは、鴉天狗の一族ならば毒は問題無いと考えているのだ。
「で、でも普通、薬師一派の頭首のお嫁さんって言ったら、鴆の一族から選ぶんじゃ……」
 なんとか考え直してもらおうと、リクオは慌てて思いつく言葉を口にした。
 そして一瞬の後、自分が余計なことを言ってしまったことに気付いた。
 それではまるで、同族の女ならば鴆の番いとして認めると言ったも同然だ。しかしリクオは相手が誰であれ、鴆が嫁を取るなどと考えたくも無いし、認めない。
 さっきの自分の言葉をどう撤回しようかと逡巡していると、鴉天狗からその答えが発せられた。
「……確かにその通りですが、聞けば今、鴆の一族には妙齢の未婚の雌がおらぬとか」
 鴉天狗は、リクオすら知らない情報を口にする。
「そ、そうなんだ」
 リクオの焦りなど気付かぬままに、鴉天狗はううむと唸った。
「……言うのも憚られますが、鴆殿は一族の中でも毒が強く、特に儚い命だと……」
 それは鴆本人も良くリクオに言うことだったので、考えたく無いが本当のことだ。
「ならば、なるべく早くに番いを得て落ち着いた生活をするのも宜しいかと。それに、鳥獣の妖にとっては番いを得ることは、一人前の妖怪の証でもありますからな」
 結婚するのがさも当然のような物言いだ。
 まさか、自分の義兄弟に限ってそんなことは絶対無いと思いながら、リクオは恐る恐る鴉天狗に尋ねた。
「……鴆君がそう言ってたの?」
 もし、鴆本人がそう望んでいるのなら、リクオが頑固な鴆を説得するのは難しい。
「いえ、これは私めとぬらりひょん様が。鴆殿にはこれからお話をと……」
 その答えに、リクオはほっと胸をなで下ろす。鴆が望んだ話では無いのだ。
「じゃあ絶対に、言っちゃ駄目だからねー!」
 鴉天狗からこのことを鴆がまだ知らないのだと聞いたリクオは、そう言い捨てると廊下を猛スピードで走り出した。


◇◇◇


 時を同じくして──自室で報告書に目を通していた黒羽丸の所へ、弟のトサカ丸が駆け込んできた。
「──兄貴、あの話、聞いたか!」
「何の話だ」
 弟の慌てっぷりには全く動じず、兄は視線を報告書に向けたままだ。
「兄貴はささ美が嫁に行ってもいいのかよ!」
 その話のことかと、黒羽丸は弟へと向きを変え、居住まいを正した。
「何、平然としてんだよ!」
「……悪い話では無いとは思う。確かに鴆様といえば毒鳥の代名詞。その毒は気になるが……」
 頭に血が上っている弟と、冷静な兄は酷く対照的だった。
「我らも高位妖怪のはしくれだ。ささ美ならば鴆様の毒の影響もそれ程受けないのでは、と思ってはいるのだが」
 さり気なく、自分達の由緒正しい血統を誇らしげに語る黒羽丸に、トサカ丸は苛立ちを隠さない。
「そういうことじゃねえよ!」
 じゃあ、どういうことなんだと目を細めた兄へ向かって、兄妹思いの次兄が怒鳴る。
「日陰者になるってわかってるのに、兄貴はささ美を鴆様の所に嫁にやるのかよ!」
 聞き捨てならない言葉を聞き、黒羽丸が立ち上がった。見下ろすように弟を窘める。
「鴆様ならば、ささ美を蔑ろにすることはあるまい。日陰者などとは、鴆様にも失礼だぞ」
 黒羽丸は本家付きの妖怪でリクオの護衛兼諜報の束ね役だったが、本家と懇意にしている薬師一派とも、当然ながら親交が深い。
 鴆ならば、大事な妹を大切にしてくれるだろうと、疑いもしていなかった。 
「そういう意味じゃなくてさぁ……」
 トサカ丸は頭をガリガリと掻きむしった。平然としている兄の様子が気になる。そして、あることに思い至った。
「え?まさか兄貴は知らねえのか?」
 ぐいっと自分に迫る弟に、兄は目を細めた。
 

◇◇◇


 ささ美は、ふうとため息をついた。その答えをリクオが真剣な目で待ちわびている。
「──リクオ様、ご心配なされなくとも、このお話、断るつもりでした」
 案外あっさりと望む答えが聞くことができたリクオは、拍子抜けした。
「え?あ……そう」
 良かった、と表情を和らげるリクオとは対照的に、ささ美は眉を顰めて難しそうな顔をする。
「ですが、父が大変乗り気で」
 困った様子のささ美だったが、母親譲りの美貌は損なわれない。見た目だけなら、儚く美しいと言われる鴆の隣に立っても遜色は無いだろう。
 リクオは、意外な所から義兄弟の嫁候補が現れたことに、困惑するばかりだった。
 これが、ささ美が鴆以外の相手に嫁ぐという話であれば、リクオも特にこだわること無くめでたい話だと祝っていただろうが──鴆だけは駄目なのだ。
「でも、鴆君は……その、ボクが言うのも何だけど、体が弱くて、……た、短命だって、言うし」
 ……長くは一緒にいられないんだよと、小さな声でリクオが呟くと、それに応えて背後から声が聞こえた。
「ええ、それは承知の上での話でしたから」
 それは、三羽鴉の長兄だった。黒羽丸がこの縁談を肯定するような台詞を言ったことに、リクオは更に焦りを強くする。
「──逆に、短命な者に嫁ぐという、あまり利の無い話だったため、父上は、他の者には声がかけられなかったのではないかと思われます」
 そう聞いて、生真面目な鴉天狗らしいとリクオは思った。
 自分の娘に白羽の矢を立てたのは、何も親の欲目でも無く、薬師一派の頭首の妻という地位に固執した訳でも無い。ただ、親の代以前より見守って来た『鴆』へ、自分の子供達と同じように庇護者のような想いを抱いていただけなのだろう。
「それだけ、鴉天狗は本気ってこと?……黒羽も?」
 父親に良く似た長男に、リクオは警戒心を抱いたが、主の射るような視線を向けられ黒羽丸は首を振った。
「いえ、この話、私からも父上にお考え直すよう注進するつもりです」
 隣でトサカ丸が、うんうんと大きく頷いている。
「そう、良かった。黒羽の話だったら、鴉天狗も聞いてくれるだろうし」
「トサカ丸から聞きました。……私は危うく、妹を主の恋敵にする所だったのですね」
 申し訳無さそうな黒羽丸の言葉に、リクオはドキリとして冷や汗を流した。
「……え?な、何のこと」
 仕事一筋の長兄から、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「この黒羽丸、常日頃から若の護衛を務めていたにもかかわらず、全く気付かず、諜報の任を担う者として失格です……」
 しらばっくれようとしたが、ぎゅっと拳を握りしめて自責の念を込めて訴えている長兄に、リクオは脱力する。
「あ、そ……」
 トサカ丸とささ美を見ると、ふうとため息を吐いていた。どうやら、二人はリクオが何故、鴆の嫁の話にこれだけ敏感になっているか、その理由が分かっていたらしい。
 鴆は、リクオの恋人だった。
 なるべく隠しておきたい事実だったが、側に居る機会の多い黒羽丸は気付いておらず、その他の二人が知っていたということに、そんなことに思いも寄らない黒羽丸の真面目な性格が見てとれた。
 おそらく、鴉天狗もこのことを知らない。
 知っていれば、鴆のことはともかく、リクオが同性の義兄弟に現を抜かしていることに、奴良組の未来を悲観して大騒ぎするに決まっている。
 リクオは鯉伴から聞いたことがあった。その昔、なかなか嫁を取らない鯉伴に、鴉天狗は祖父以上に気合いを入れて、ありとあらゆるタイプの美女を次から次へと宛おうとしたのだと。
 毎日が見合い状態だったと、昔を懐かしがって笑い飛ばす鯉伴の話を思い出し、リクオはそれと同じ事が自分にも降りかかるのではないかとうんざりする。
 三羽鴉全員一致で、この話は無かったことにすることが決まった。
「ただ……当事者の鴆様に断りも無く、話を無かったことにしても良いのかと」
 生真面目な長兄は、父親はともかく鴆に対して義を損なうのではないかと、そこが気になっているらしい。
「鴆様は断るだろ。あ、いや別に、ささ美だから断られるって言ってんじゃなくてな」
 お前に非がある訳では無いのだと慌てて言いつくろう次兄に、妹のささ美は分かっていると言い、呆れ顔を見せた。
 リクオは握り拳を振り上げて断言した。
「もし、この話が鴆君の耳に届いたとしても絶対断るよ!だって──」
 ボクの、恋人なんだもん。と自信満々に言いそうになって、リクオは顔を真っ赤にして口ごもった。
 夜の自分ならば、逆に見せつけるくらいの勢いで、鴆が自分の大事な妖なんだと宣言したかもしれないが、昼のリクオはまだ中学生だったので、気恥ずかしさが先に立つのだ。
「黒羽兄上、……出来れば鴆様にはご内密に」
 当事者の一人であるささ美の言葉に、妹思いの長兄は渋い顔をしている。
「ぬらりひょん様と、父である鴉天狗からの縁談ということになれば、鴆様のお立場上、断り難いことになるかと」
 冷静に自分の結婚話を分析するささ美に、確かにそうだとリクオは深く頷いた。


◇◇◇


 まだ日があるうちにリクオが薬鴆堂へ赴くのは、三代目を襲名した最近では珍しいことだった。縁側で小春日和の日差しを浴びながら、鴆とリクオは番頭の煎れてくれた茶を飲んでいた。
「……鴆君は、子供が欲しいとかって考えたことある?」
 リクオは何気なく聞いたつもりだったが、訊ねられた鴆はその内容に驚き、思わず茶を吹き出しそうになった。
 まさか、リクオの口からそんな話が出るとは全く予想していなかったのだ。何故そんなことを聞いてきたのか分からなかったが、鴆は素直に答える。
「……あるか無いかって言ったら……当然あるけどな」
「え、本当?」
 当然だと言う鴆に対して、リクオは食いつくように前のめりになった。
「元々、鴆の一族は短命だし、さっさと跡継ぎを作っておかないと、いつ弱って死んじまうか分からねえからな」
 聞けば、納得出来る理由だったため、ますますリクオは焦りを感じてしまった。 
「……そう、なんだ。でも、鴆君ってお嫁さん貰うとか、そういう話をしたこと無いよね?」
「ああ──実は、昔は許嫁が居たんだけどな」
「えええ?!」
 初めて聞く内容に、リクオは思わず大声で叫んでしまった。
「でも、婚約は解消したんだぜ。いやぁ、これが笑い話でな」
 頭を掻きながら、少し恥ずかしそうに言う鴆の話を、リクオはゴクリと唾を飲み込んで待った。
「オレが生まれてすぐに決められた許嫁だったんだが、普段はオレは薬鴆堂に居るだろ?離れて暮らしてる一族の奴らとは滅多に会うことも無くて、そしたら……他の鴆の雄と大恋愛の末、番いになっちまったんだ」
 鴆は一夫一妻制で一度決めた、たった一羽の番いを生涯の伴侶とするのだと、リクオは聞いたことがあった。つまり。
「それって、鴆君が、振られたって、こと」
「ははは、まあそうなるかな」
「……はは、ははは」
 鴆が笑い話だと言っているので、ここは笑っても良いのだろう。リクオは乾いた笑いを返した。
「まあ……そしたら、他にオレに釣り合う雌が居なくなっちまったんだ。元々、一族の数も少ないしな」
 生まれたばかりの雛なら雌が居るんだがなと、しみじみと語る鴆に、リクオはだったらその雛が大きくなったら娶るのかと聞きそうになり、止めた。
 当代の鴆の頭首はまれに見る強毒を持ち、若くして一族特有の病を発症した。そのため、儚く短命だという鴆を体現したような存在なのだという噂は、奴良組の者ならば誰でも聞いたことのある話だった。
 おそらく鴆は、その雛が成人するまで自分が生きているかどうか分からないのだ。
「あの時、嫁を貰ってたら、お前にオレの血を引く次ぎの鴆を残してやれたんだろうけどよ」
「そんな!」
 次ぎの鴆という言葉に、リクオは怒りと苛立ちしか抱けない。鴆の代わりの者など、いらないのだ。
 リクオはぶんぶんと首を振る。
 そんな様子の主を見て、鴆は逆に嬉しくてたまらなかった。自分の想いが間違っていないと知り、嬉しそうに鴆は語った。
「──リクオ、オレもお前の鴆は『オレ』だけにして欲しいと思ってるんだぜ」
「え?」
「オヤジもそう言っていた。──オヤジは鯉伴様の鴆だから、だからリクオの鴆にはなれないってな。……もう死にかけで、リクオが三代目を継げる十三歳になるまで、自分が生きられねぇって分かってんのにさ」
 当時、すでに鴆の父は床から起き上がれなくなっており、いつ死んでもおかしくなかったという。そんな時だ、父の見舞いに鯉伴と小さなリクオが薬鴆堂へやってきたのは。
 まるで遺言のように、鴆の父は息子に向かって次期総大将リクオの鴆になるようにと言ったのだ。自分は二代目の鴆だからお前は三代目の鴆になれと。父の言葉は息子にとっては絶対だった。
 無理強いは駄目だと、父を窘めたのは意外にも鯉伴だった。代々の鴆の頭首には主を選ぶ権利があるのだと言った。
 リクオにその器があるのか分からないし、そもそも奴良組総大将の座は世襲制だとは決まっていない、人望と実力がある者が継げばいいのだという話だった。
 鯉伴は、人間の血が濃い息子が妖怪としての未来を選ぶのか、人間として生きるのか、息子自身に選ばせるつもりだったのだと思う。
「だから逆に言い返してやったんだぜ、オレはリクオの鴆になるから、だから鯉伴様の鴆にはなれねえってな!」
 誇らしげにそんな昔話をする鴆が輝いて見えて、リクオはその言葉を叶えることが出来て本当に良かったと思う。
 そして、この先もずっと鴆の願いを全て叶えていくのだと、リクオは自分に誓った。
「ボク以外の鴆になったら、駄目だからね!」
「はっ、ならねえよ。どだい無理な話だからな。鴆の寿命は短いから、お前以外に主を得ることなんて出来ねえよ」
 いずれ訪れる未来だとしても、鴆の命の期限のことは今から心配したくない。リクオは、キッと恋人を睨んだ。
「そんな話をするのも駄目だよ」
「……お、おう」
 鴆はリクオが不機嫌になる理由が分からなかったが、主の命令ならば覚えておこうと、頷いた。
「それに……主ってことだけじゃなくて、鴆君はボクの恋人なんだから、お嫁さんも貰っちゃ駄目だよ」
 拗ねたような物言いを、鴆は笑い飛ばした。リクオは、真剣な自分の願いを笑われて口を尖らす。
「──今更、嫁なんて貰えねえよ」
「え?」
「言ったろ、鴆は番いを決めたらもう変えられねぇって。オレの番いは、その……お前だろ?」
 違うのか?と鴆が首を傾げれば、リクオはたまらずに勢いを付けてぎゅっと鴆に抱きついた。鴆は、思わずよろめいたが小柄な体を抱き留め、その背にきゅっと腕を回す。
「ううん、違わないよ!鴆君、大好き!」
 リクオの心の中は、全ての負の感情が吹き飛ばされ、生涯の恋人を得た喜びで一杯だった。



                                                 (ende)
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この話は2011.6.26「おそれのきわみ弐」にて
無料配布したものに加筆修正したものです。
「○○」には『番い』『ヨメ』『結婚』とか考えましたが
どっちかっていうと『ムコ』かな。鴆の話だからな。
ラブい話が書きたくて、勢いだけでかき上げました(^^)
2011.6.30