狐の館〜蜃気楼〜

BY 月香


 ふと、自分の体が水平に移動している感覚で、意識を取り戻した。
 体は動かない。いや、無理をすれば少しは動くようだ。
 蔵馬は薄く目を開ける。見えるのは白い天井だけ。
 カラカラと、車輪の走る音もしている。どうやら、何かに乗せられて何処かへと運ばれている最中のようだった。
 蔵馬は自分の記憶を辿ってみる。何故自分がこんなところにいるのか、一体どういう状況になっているのか、思い出さなくてはいけない。
  (そういえば、オレは−−)
 蔵馬は、ゆっくりと記憶を巡らせた。確か自分は、霊界にいたはずだった。いた、というより「捕まって」いたのだ。理由は霊界の「闇の三大秘宝」と呼ばれる宝を盗み出したため。
 蔵馬が盗みを働き、霊界のお尋ね者になったことには理由があった。
 母を助けるためだ。
 蔵馬は妖怪ではあるが、その肉体は人間から生まれたのだ。まだ純粋な妖狐の頃、人間に害を及ぼす妖怪として、蔵馬は霊界のハンターに追われ、深手を負った。そして命からがら、魂だけ人間の受精体に乗り移り、逃げ延びたのだった。
 その時は、自分の妖力がある程度戻ったら、さっさと人間の家を出て行こうと思っていたのだが、自分を産んでくれた人間の「母の愛情」に触れ、蔵馬はどうしても人間界での生活を、捨てることができなかったのだ。
 そして数ヵ月前、その人間の母が病に倒れた。
 医者は、現代の医術では助からないかもしれない、覚悟を決めて下さい−−と、今ではただ一人の家族、蔵馬に伝えた。
 人間の振りをし、ずっと母を騙し続けたことに罪悪感を抱き続けていた蔵馬は、せめて妖怪としての自分が母にできることを探した。だが、植物を操ることのできる、蔵馬の薬草の知識を持ってしても、母の病気は一向に良くならなかった。
 日に日に容体の悪くなっていく母の姿を見ながら、蔵馬が最後の手段として考え付いたのが、霊界の三大秘宝の一つ「暗黒鏡」を使うことだったのだ。
 暗黒鏡。それは、どんな願いでも叶えてくれるという、夢のような鏡。そして、その代償として命を奪う、魔性の鏡だった。
 蔵馬は、それを霊界から盗みだし、自分の命を賭けて「母の幸せな人生」という願いを叶えることに成功した。
 しかし、命を失わずに今、ここにこうして生きているのは、一人の不思議な霊界探偵のおかげだった。蔵馬はその少年−−浦飯幽助と交わした約束を守り、霊界に自首して来たのだった。
 霊界は、半分人間のような、妖怪・蔵馬の処遇に頭を悩ませているようだった。
 今回の事件を担当していた、霊界の後継者コエンマは、蔵馬に対して「執行猶予と条件付きで、人間界へ返してやろう」と言ってくれてはいたが、その采配に不満を持つ霊界の者は多い。
 あっさりと自分が人間界へ帰れるとは思ってはいなかったが、人間としての籍を持つ自分を、
へたに処罰できはしないだろうと、蔵馬はそれほど不安を感じてはいなかった。
 ただ、気になっていたことは、一緒に霊界から秘宝を盗み出した仲間の、飛影のこと。
 飛影に「霊界の三大秘宝を盗もう」と仕事を持ちかけたのは蔵馬の方だった。その蔵馬が、飛影を裏切ったのだ。
 蔵馬はその時、本当は暗黒鏡に命を奪われ、死んでいるはずだった。自分の願いを叶えるために、飛影をやっかいな仕事に巻き込んだことを、自らの死で清算しようとしていたのだが、それは幽助のおかげで叶えられなかった。
 さらに蔵馬は、霊界探偵の幽助が飛影を捕らえるために戦っていた時、幽助をかばい、飛影の攻撃を邪魔したのだ。その結果、飛影も今、霊界の捕らわれの身となっている。
 コエンマは、飛影も執行猶予付きで解放してやると言っていたが、蔵馬は自首してきた自分とは違い、飛影の場合はそれがかなり難しいことぐらい、理解していた。
 さっきまで、蔵馬は飛影と一緒の部屋にいたのだ。霊界特製の手械を付けられ、妖気を封じられたままで。
 飛影は一言も蔵馬と言葉を交わしてはくれなかった。視線さえも。蔵馬は何度もしつこく話しかけたのだが。
 何故自分が、暗黒鏡を欲しがったのかと言うことを。暗黒鏡を使っても結局、命を失わずに済んだ訳−−つまり、浦飯幽助を助けた理由のことを。そして、霊界の実力者であるコエンマが、自分と飛影の二人を釈放してくれると約束してくれたこととかを−−。
 飛影が自分を憎んでいるのは、当然だと思っていた。けれども蔵馬は、このままで飛影との関係を終わらせたくなかったのだ。
 だが、飛影はずっと無言だった。蔵馬の方を見向きもしないで、ただ白い壁を凝視していた。
 真っ白な監獄で、蔵馬は飛影に無視され続けていたのだ。
  (それから、どうしたんだっけ−−)
 蔵馬は自分の乗せられているのが、よく病院などで怪我人を手術室に運ぶ時に使うような、台車の付いたベッドだということに気がついていた。まだ、体は思うように動かない。
 蔵馬は、飛影と二人で白い牢に監禁されていた時、食事を差し入れられたことを思い出した。
いくら捕らえた妖怪とはいえ、食事だけは出してくれるんだなあと思ったことを覚えている。 そして、飛影にも食事を勧めた。と言っても、飛影は相変わらず、蔵馬の方をちっとも見てくれないし、話も聞いてくれなかったので、蔵馬は食事を飛影の見える所に置いただけだったけれども。すると飛影は、食欲は十分あったらしく、霊界に差し出された食事を全てたいらげたのだった。
 きっと、その食事に何か「薬」でも盛られていたのだろうと、蔵馬は推測した。こうして、運ばれている最中に目が覚めたのは、植物を操り薬草等とも親しんでいた自分が、薬物に強かったせいなのだろう。


 自分を運んでいる者の足音が止まり、薄目を開けていた蔵馬は、元どおりに目を閉じる。体に感じていた移動する感覚も止まり、扉の開く機械音が聞こえた。
 どうやら、何処かの部屋の中へと運び込まれたようだった。
「今日は、この二匹か」
 誰かの声が聞こえる。蔵馬はその頃には、体が十分動く程に回復していたが、まだ気を失っている振りをし、耳を澄まして様子を伺っていた。
 この部屋には、霊界人の気配が二つと、自分以外の妖怪の気が一つ感じられる。
「薬が効いているからな、今のうちにさっさと処理してしまえよ」
 意外と若い、もう一人の声がした。部屋全体から、低い唸るような機械音が響いている。
「途中で目を覚まさんだろうな、結構強い妖怪だと聞いているぞ」
「大丈夫だ。では、オレはもう行くからな。後は頼むぞ」
 そう言った一人が、部屋を出ていく気配がした。扉が開き、閉まる。
 低い機械音がやけに耳についた。
 蔵馬は自分の手足が、妖気を封じる械などで束縛されていないことを確かめる。霊界人は、うかつにも、薬だけで蔵馬を押さえておけると思ったらしい。
「−−ええと、今日の妖怪は『蔵馬』と『飛影』か」
 紙をめくる音と一緒に霊界人の声がした。やはり、感じていた妖気は飛影のものだった。
 さっき「処理する」とか話していたが、何のことだろうか。この機械の部屋で−−と、そこまで考えて、蔵馬の脳裏を掠めた霊界の一つの噂があった。


−−霊界に捕まって、運よくまた戻ってきた妖怪の中には、より狂暴になって戻って来た奴がたくさんいる−−
 そして、せっかく釈放されたというのに、以前よりも重大な悪事を働き、再び霊界に捕らえられて今度こそ処分されるのだ。
 つまり、死刑。
 一度きりの軽犯罪では、さすがの霊界もすぐに妖怪を死刑にすることはできないようだった。
だが、罪を重ねた妖怪は、危険因子として捕らえて死刑にできる。その為に、わざと妖怪を逃がしているのではないか。犯罪を促すような、なんらかの処置を施して−−。


 蔵馬はもしかして、その根拠のない話は本当だったのだろうかと、息を飲む。そして、その懸念は真実だったということを、霊界人の言葉から知るのだった。
「−−妖怪を洗脳するのも、そろそろ飽きてきたな。こんな奴ら、へたな大義銘文なんぞなくたって、死刑にしちまえばいいのに」
 蔵馬はそれを聞き、怒りの余り目を見開いてしまった。慌てて、また目を閉じて眠っている振りをする。
 せっかく、コエンマが人間界へ−−母のもとへ返してくれると約束してくれたというのに、洗脳されて自分が自分でなくなっては、帰る意味がない。
 どうやら相手は、独り言を言っている霊界人、一人だけだ。蔵馬は自分だけで、何とかできると思った。すぐ側には飛影がいたが、彼はきっと薬の所為で深い眠りに付いている。
 その時、洗脳の準備をしている霊界人が、蔵馬の顔を覗き込んで、低い声を漏らした。
「いや−−、だがこいつは処分されるのが惜しいくらい、綺麗な奴だな。霊界にも、こんなに綺麗な奴はいない−−」
「……そんなに−−綺麗?」
 突然、声が聞こえて霊界人は驚いて飛び上がった。今の今まで、ここにいる妖怪は気を失っていると思っていたのだ。それに、今は妖気を封じる手械を外している。攻撃されたら、大して力のない霊界人はひとたまりもない。
 蔵馬は目をゆっくりと開き、ベッドの上で体を起こす。余裕有りげな瞳で、霊界人を睨つけた。声のとおり、白い服をまとった、まだ若い青年だった。霊界人は皆、見かけだけでは年齢を判断できないので、当てにはならないが。だが、感じる霊力は、大したことがない。
「……う、うわぁ!」
 霊界人は叫びながら後へ飛び退き、慌てて何やら機械を操作しようとする。
「動かないで!」
 蔵馬の叱責にびくりと震えて、直ぐ様に手を壁一杯の機械から離した。
「……た、助けてくれっ!」
 床に倒れ込んで、涙顔で自分に助けを請う姿を見ると、蔵馬は霊界人を見下ろして嘲笑を浴びせる。自分の長い髪の中に手を差し入れ、何やら植物の種を取り出した。すかさず、霊界人の方へ放り投げると、それからあっという間に芽が出て蔓が伸び、霊界人に巻きついて、その体の自由を奪ってしまった。
「ひぃぃっ!」
 まだ自由な両足をばたつかせて、逃れようとする霊界人に、蔵馬は穏やかな声で語りかける。
「命は助けてあげますよ。安心してください。ただ−−」
 蔵馬は視線を巡らせ、隣のベッドで眠る飛影を確認すると、言葉を続ける。
「ただし、オレのお願いを聞いてくれたら−−ね」
 霊界にもそうはいない−−と霊界人自らが賛美していた、蔵馬の秀麗な顔で微笑まれたが、捕らえられている者にとっては、その顔は恐怖の対象でしかなくなっていた。
「な、なんでも聞く!だから、殺さないでくれぇ!」
 霊界の住人は、言わば魂の終局の姿。人間のように死んだ後、転生するということはない。死んだらそれで、おしまいなのだ。普段、死から遠ざかった立場にいる彼等は、目の前に突きつけられた『死』に対しては無力だった。
「まず一つは、オレ達の洗脳を止めてくれませんか。オレ、自分の頭の中をいじられるのは、すごーく嫌なんですよね」
 凄い速さで首を縦に振る霊界人の姿に満足し、蔵馬はぐるりと周りを見渡して言った。
「それから、ここにある機械の使い方、説明してもらえません?」
「何だと!?」
 さすがにその「お願い」には驚いたようだった。恐怖で震えながらも、ばっと顔を上げ、逆に蔵馬に問いかけてくる。
「……そんなこと知ってどうするんだ」
 そう言ったきり、口を噤んでそっぽを向いた。
 蔵馬は、一応こんな奴でも仕事に対する責任感はあるのかと、少しだけ感心する。だが、それでは自分の目的が果たせない。
 霊界人を捕らえている植物の蔓に命じ、その顔を無理やり自分の方へ向かせた。
「−−教えてくれないんですか?」
 蔵馬の気が怒りの様相で立ちのぼる。体に巻きついた蔓が、段々ときつく絞まってくることに気が付いた時、霊界人は哀願の叫び声をあげた。
「あ、いや−−教える!教えるから−−助けてくれ!」


 蔵馬は機械の前に立った。
 霊界人は、蔵馬の夢幻花の花粉で眠りに付いている。目を覚ました時には、きちんと自分の仕事を終えたと思い込んでいるだろう。機械の使い方を聞きながら、蔵馬はこの霊界人にコエンマとの関わりを尋ねてみた。思ったとおり、コエンマは妖怪の洗脳に一切関わっていないという。霊界の上層部のごく一部の者と、厳選された技術者しか知らないことらしい。
 もう一人、この部屋で眠り続けているのは−−飛影。白い寝台の上に横たわり、薬の所為で深い眠りに就いていた。
 その頭部には、いつも付けているバンダナの代わりに、壁一杯の機械から伸ばされた色とりどりのコードが、黒いバンドで固定されている。
 蔵馬はキーを叩き、機械に言葉を入力する。
 飛影を『洗脳』するために−−彼の脳裏に、言葉を焼きつける。
  『浦飯幽助ニ協力スル』
 これは、コエンマが釈放の条件として提案していたことだった。しかし、蔵馬は今のままでは、飛影が霊界の命令なんかに従うはずがないだろうと思っていた。けれども、主犯の自分だけが人間界へ戻り、飛影が霊界に束縛されたままという状況も、極力、避けたいことだった。もし、そのことが知れ渡れば、他の妖怪は奇異に思うだろう。
 口さがない者達が、一人だけ釈放された蔵馬が、霊界となんらかの取引をしたと噂するかもしれない(実際、そうなのだが)。
 霊界に恨みを持つ妖怪は、たくさんいる。蔵馬は、自分一人だけが、そいつらの逆恨みの標的になることから、避けたかったのだ。
 霊界から釈放されたのが飛影と二人になれば、それ程不自然には見えないだろう。もう一人の共犯者は、前科があったので霊界から戻って来ないのも、当然のことだ。
 蔵馬はそんな理由を考えながら、その言葉を機械に打ち込む。
 自分でも、言い訳がましい理由だと思う。蔵馬が一番初めに思ったのは、ただ−−飛影にはこの霊界の空気が似合わないと−−それだけだったのだが。
 そして、さらに指を動かしもう一つの言葉を、打ち込んだ−−。


◇◇◇◇◇


 霊界の洗脳システムは、かなりのものだった。
 もともと飛影にも、浦飯幽助に引き付けられる部分があったのか、悪態を付きながらも手を貸している姿を見ると、蔵馬は嬉しくなってくる。
 蔵馬自身も幽助のことは好きだったし、彼とその友達とこうやって飛影を交え、仲間として一緒に戦っていけることは、蔵馬の望んでいた状況そのものと言ってもいいくらいだった。
 それに、飛影が幽助とうまくやっているということは、もう一つ飛影の深層意識に打ち込んだ『言葉』も、有効だということだ。
 コエンマが約束を守ってくれたおかげで、蔵馬と飛影は人間界へ、執行猶予付きではあるが解放された。
 地上へ戻り、『霊界探偵に協力すること』という、霊界から出された条件を守るために、飛影はとりあえずの自分の居場所を蔵馬に伝えた。
「−−オレは向こうの林に居る。用ができたら呼びに来いよ」
 蔵馬は、霊界に捕らえられてから初めて、彼が自分の方を見て、自分に向かって声をかけてくれたことに胸を震わせた。
 霊界の白い牢にいた時から、ずっと飛影は蔵馬を無視していた。
 だが、解放されていくらか気分も落ち着いたのか、−−それとも蔵馬の仕組んだ『洗脳』が効いたのか、ここに来てやっと飛影から声をかけてくれたのだ。
 蔵馬はドキリとして、柄にもなく顔が火照っていることに気が付いた。
 もしかして、彼のことが好きなのかもしれない−−そう、初めて思った。


◇◇◇◇◇


 幽助から、垂金という成金の屋敷に捕らわれていた、妖怪の少女を救い出したという話を聞いた。その妖怪は『氷女』という種族だった。人間界で言うところの『雪女』である。彼女等の涙は宝石に変わり、その石は人間界で一粒数億の値が付くという。金の亡者ならば、喉から手が出る程欲しい妖怪だろう。
「すっごいカワイイ子だったぜ。桑原なんか、もうメロメロになっちゃって、これで飛影の妹だって知ったら、アイツ再起不能だなぁ」
「−−妹?」
「おうよ、『雪菜』って……あれ、もしかしてお前、知らなかった?」
 まずかったかなーと頭をかく幽助を、蔵馬は食い入るように見つめる。
「『ユキナ』……?」
 以前、飛影がうわ言で呟いた名だった。蔵馬がその名の持ち主について尋ねた時、飛影は今にも殺しそうな目で睨みつけてきたのだが−−彼の妹だったのだ。
 蔵馬は、飛影の秘密を一つ知ったような気になって、思わず、笑みを浮かべる。
「なあ、蔵馬。オレが飛影の妹のことお前に教えたって、飛影には言わないでくれよ」
 幽助は両手を合わせて、拝むように頭を下げた。片目だけ開けて、蔵馬の方を伺う。蔵馬は、
静かに笑いながら首を傾げた。
「どうして?」
「あいつ、絶対こーゆーこと知られんの嫌がると思うんだよな。オレが言ったなんて知られたら、オレ殺されちまう」
「そうかもね」
「おいおい、そんなあっさり言うんじゃねぇよ」
 幽助は咎めるように蔵馬の肩に手をかけたが、本気で怒っている訳ではないことは、その目で分かる。
「でも、幽助が言ったんだろうってことは、すぐ気が付くと思うけど」
「……そん時はそん時だ」
 幽助にしては珍しく、神妙な顔付きになって言うので、蔵馬はおかしくなって、思わず吹き出してしまった。


「雪菜さん、見つかったんだってね。良かったですね」
「−−貴様、誰からそれを聞いた?」
 その夜、何の前ぶれもなく蔵馬の部屋にやって来た飛影に、開口一番そう言うと、飛影は案の定きつい瞳で蔵馬を睨つけた。蔵馬はそれを全く気にする様子もなく、答えをはぐらかす。「誰だっていいじゃないですか」
 飛影の方も、別に答えを聞きたい訳ではなかったので、勝手に自分で結論を出してしまった。
「大方、幽助あたりが言ったんだろう。つまらんことを言う奴だ」
 その答えは、見事に当たっていたが、蔵馬はほんの少し幽助を弁護するつもりで、飛影に諦めるように言う。
「彼には、隠し事は向かないんですよ。素直ないい子です」
「うるさい!」
 途端に打って変わって、怒りの妖気を発する飛影に、蔵馬は意表を突かれて口を噤んだ。
 飛影は明らかに不快そうな様子で、蔵馬を見ている。
 蔵馬は飛影が、『雪菜』の名前を出した時以上に、幽助の話に気を悪くしていることに気が付き、おかしいと思いながらも話題を変えた。
「……ところで、今日は何の用ですか?血の匂いもしないし−−薬が欲しいんですか?だったら、少し待って……」
 立ち上がろうとした蔵馬を、飛影が引き止める。
「薬じゃない」
「だったら、何かあったんですか?」
 それには答えない。
 蔵馬はそれ以上は聞かないで、黙って飛影の側に腰を下ろしていた。
 飛影のいら立ちの原因に、ふと蔵馬は思い当たる。何かあったというよりも、何も無くなってしまったのかもしれない。
 飛影は蔵馬の知る限り、ずっと雪菜を捜していた。蔵馬が飛影と出会った切っ掛けも、原因はそこにある。だが、その雪菜も無事に自分の国へと帰り、飛影には人間界での目的が、無くなってしまったのではないだろうか。
 もしかして、彼は魔界へ帰るつもりなのかもしれない。
 蔵馬はそう考え、寂しさを感じている自分に気付いた。
「……お前は、−−」
 ふいに声を掛けられ、蔵馬ははっとして飛影の方を向き直る。
「オレが、どうか……?」
 蔵馬は、言いかけたまま黙ってしまった飛影の顔を見つめた。それまで視線を逸らしていた飛影が、初めて蔵馬の顔を真正面から見据える。
「お前は、−−オレに何かしたのか?」
「何かって……」
「最近、お前のことが気になってしょうがない。お前が目の前にいなくても、オレの邪眼が知らないうちにお前の姿を追っている−−」
「え?」
 まるで、告白のようだと思った。
 蔵馬は、そんなことを考えてしまった自分自身に赤面してしまい、飛影の方をまともに見ることができずに、ばっと目を逸らしてしまった。
 そんな蔵馬を飛影がどう思ったのか、蔵馬の胸倉を掴むと無理やり、自分の方を向かせた。蔵馬が苦しそうに眉を寄せたが、飛影は気にする様子もなく、更にきつく、締め上げる。
「−−お前が、何か、したんだろう?−−前からそうだったが、最近もっと酷くなった」
「前……から?」
「そうだ」
 飛影は無表情だった。
 意を決して、蔵馬はもう視線を逸らすことはせず、ある期待を抱いて飛影に繰り返し聞いた。
「−−オレのこと、見ていたい?ずっとオレのこと、考えているの?オレに会いたくて、しょうがない時が……ある?」
 執拗に聞いてくる蔵馬を見て、飛影は自分の考えに更に確信を持つ。
「ああ、そうだ−−やはり貴様、何かオレにやったんだな!」
 蔵馬の服を掴み、グイと引き寄せた。
 その飛影の顔が間近に迫り、蔵馬は自分の高鳴る鼓動を聞いていた。
 これは、もしかしてあの『洗脳システム』のおかげだろうか−−?こんな形で効いてくるとは、思いもしなかった。
「−−オレも、そうだよ」
「何?」
「オレも同じだよ、貴方のことが気になってた。オレには邪眼はないから、ずっと見ていることはできないけれど、ずっと考えてた」
 蔵馬に真正面から微笑まれ、飛影はそれに目を奪われた。
「なんなんだ、一体……」
 飛影は、今まで感じたことのない暖かな感覚を覚え、戸惑う。
「飛影、こうしてみたく、ない?」
 蔵馬はそう言って、飛影の手を取って自分の頬に触れさせる。
「−−く、蔵馬!」
 咎めるような声を出しはしたが、飛影はその手をどけようとはしない。
 カッと頭に血が上り、今度は飛影の方が視線を逸らした。
「飛影−−こっち、見てください」
 自分の手を押さえる蔵馬の温もりに、不思議なものを見るような目付きで、飛影は蔵馬の方へとゆっくりと振り返る。蔵馬は飛影に向かって、いつもと変わらない微笑みを向けていた。 雪菜を助け出してから、飛影は行く充ても無く人間の世界をさ迷っていたのだが、今夜は自然とここへ足が向いてしまった。
 魔界へ帰れるのならとっくにそうしている。だが、妖力が大きくなりすぎて、飛影は魔界へ渡れなくなっていたのだ。
 最近、ふと気を抜くと蔵馬のことが頭に浮かぶ。見返りも何も無いはずなのに、何かと自分に世話を焼く蔵馬。今思えば、雪菜は少し蔵馬に似ていた。
 飛影は蔵馬の頬に添えられている手に力を込めた。もう片方の手も、蔵馬の白い顔に添えて、
誘われるように顔を寄せた。
 蔵馬は何も言わなかった。
 飛影の好きにさせて、唇を重ねられた時も、目を閉じてそれを受け入れた。
「飛影−−オレのこと、見ていたい?オレに触れていたい?」
「ああ……」
 そう答えながら、飛影は蔵馬の背に腕を回して力を込める。こうして蔵馬を腕に抱いていると、自分の脳裏にチラついていた蔵馬の姿は、ただの幻だということが分かる。
 蔵馬も、飛影の肩に自分の頭を預け、彼の耳元で小さく囁いた。
「そういうのをね、人間界じゃ『恋』って言うんですよ」
「−−そうなのか」
「ええ、そうなんですよ、飛影。オレも貴方に恋をしていた−−」
 きっと、貴方を裏切った時から、ずっと−−。


◇◇◇◇◇


 蔵馬は霊界の『洗脳システム』の機械の前に立ち、白い指でキーを押す。使い方は、先ほど霊界人から聞き出してある。
 深い眠りに就いたままの飛影を洗脳する為に、蔵馬はある言葉を入力した。

『浦飯幽助ニ協力スル』と。

 飛影が無事に霊界から釈放されるためには、コエンマの出した条件に従うことが必要だった。
だが、飛影がそれにおとなしく従うとは思えなかった。蔵馬は、飛影が条件を飲む切っ掛けを作ろうとしたのだ。
 そして、更に指を動かし、もう一つの言葉を入力する。
































 『蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬蔵馬−−』 



 ひたすら、蔵馬は自分の名前を入力し続けた。
「−−飛影、貴方にオレを見て欲しいから−−。もうこれで、オレを無視できなくなるよ、飛影−−」
 彼の深層意識に、自分の名前を打ち込む。決して、忘れられないように。
 蔵馬は快感だった。
「憎まれてもいい。疎まれてもいいから−−オレを忘れないで、オレを見ていて欲しい」
 白い牢で、飛影に無視し続けられた蔵馬は、思ったよりそれに精神的な苦痛を感じている自分に気付いた。
 飛影が幽助に仕掛けた攻撃を、蔵馬が遮った時、飛影に『降魔の剣』で貫かれた腹の傷よりも、ずっとその痛みは苦しいものだった。
 憎んで欲しかった、罵って欲しい。−−彼に殺されても良かった。
 こんなに自分のしたことを後悔したのは、今までになかったことだった。
 幽助を助け、飛影の攻撃を邪魔して、彼を裏切った。
 蔵馬自身の自己満足のためだったが、それを償いたかった。そう思って飛影と同じ場所に監禁されることを、コエンマに頼んだはずだったのに。
 蔵馬は、自分の存在そのものを考えようとしない飛影に、たまらない焦燥感を感じていたのだ。そして同時に、憎しみさえも。
 殺されるより、ずっと辛いことだった。
 自分がこんなに望んでいるのに、彼は自分を受け入れてはくれないのだ。
 蔵馬は、自分の名を機械に打ち込むのを止めた。後は、目の前にあるこのスイッチを入れるだけ。
 だがこれで確実に、飛影は生きている限り蔵馬を忘れないだろう。ずっと心の奥底に、嘘の『蔵馬』を抱き続けるのだ。
 これは、飛影に対する報復でもあった。
 今度、目を合わせた瞬間に、殺されるかもしれない。それでも、蔵馬は飛影に自分を忘れてて欲しくなかったのだ。
 蔵馬は嬉しくて、意外と幼い顔で眠り続ける飛影に、極上の笑みを投げかけた。


                                     ende



 蔵馬は飛影の耳元で、小さく囁く。

「飛影−−安心して下さいね」
「何がだ」
「オレ、貴方が好きですから」

 これだけは、『嘘』じゃない−−。


                              [1997.12.18]

我ながら懐かしい作品です。
妖怪の狡猾さを出すつもりで書いていたのですが
逆に、飛影がピュアに……(笑)